ミダス
概要
アッシリアの記録に「ムシュキのミタ」。BC709年にサルゴン2世に貢いだ。ギリシアの伝説では触れたものが金になり、ロバの耳を床屋だけが知っていた。キンメリア人がゴルディオンを焼いたとき、牛の血を飲んで死んだ。
関わったできごと(1)
ミダス王のフリギアBC720年頃 · 王本文
ミダスは、紀元前8世紀の後半にアナトリア(いまのトルコ)中西部を治めたフリギアの王である。ギリシア神話では、触れるものすべてが黄金に変わり、ロバの耳を持つ王として知られる。だが伝説の陰に、実在の王がいた。同時代のアッシリアの記録に、その名が残っているからである。

アッシリアの王サルゴン2世の年代記には、「ムシュキの王ミタ」が何度も登場する。ムシュキはアッシリア人がフリギア人を呼んだ名とみられ、ミタはミダスにあたる。紀元前717年、ユーフラテス川沿いの町カルケミシュの王ピシリがミタと通じてアッシリアに背こうとしたとして、サルゴンはカルケミシュを滅ぼし、属州にした。紀元前715年ごろには、南東の小アジアのクエ(キリキア)の地で、ミタに奪われていた町々を取り戻したと記す。ミタはアッシリアの北西の辺境で、反アッシリアの勢力を後ろから支える大国の王だったことになる。ところが紀元前709年、ミタは自ら使者を送り、アッシリアに貢を納めた。サルゴンはこれを、遠い国の王が自分の前に頭を下げたと誇らしげに記している。東の大国ウラルトゥ(ウラルトゥの興り)とアッシリアのあいだで、ミダスは身の振り方を変えたのだとみられる。
ミダスの目は西のギリシアにも向いていた。ヘロドトスによれば、ミダスはデルフォイのアポロンの神殿に、自分が裁きの席で座る玉座を奉納した。ギリシア人以外の王がデルフォイに奉納した最初の例だったという。のちのギリシアの伝えでは、ミダスはエーゲ海沿岸の町キュメの王の娘を妻に迎えたともいう。フリギア人がギリシアの文字をもとに自分たちの文字を作ったのも、このころのことと考えられている。
ギリシア人はこの東の富める王から、いくつもの物語を作った。酒の神ディオニュソスの養い親シレノスが酔って迷い込んだのを、ミダスが手厚くもてなして送り返すと、神は礼に何でも願いをかなえると言った。王が触れるものすべてが金になるよう願うと、パンも水も金に変わって食べられなくなり、王は神に願いを取り消してもらった。神の言いつけでパクトロス川で身を清めると、その力は川に移り、以後その川の砂から砂金が採れるようになったという。パクトロス川は実際に砂金の採れる川で、のちにリュディアの富を支えた(ギュゲスのリュディア)。もう一つの話では、竪琴の神アポロンと笛の神パンの腕比べで、ミダスがパンの勝ちを言い立てたため、怒ったアポロンに耳をロバの耳に変えられた。王は帽子で耳を隠したが、髪を切る床屋だけは秘密を知っていた。黙っていられなくなった床屋は地面に穴を掘って「王様の耳はロバの耳」とささやき、穴を埋めた。やがてそこに生えた葦が、風に吹かれるたびにその言葉をささやいたという。

フリギアの都ゴルディオンには、もう一つの言い伝えがある。昔、フリギアに王がいなかったころ、牛車に乗って最初にやって来た者を王にせよという神託が下り、そこへ農夫ゴルディオスが息子ミダスとともに牛車で現れた。王になったゴルディオスの牛車は神殿に納められ、そのくびきを結んだ複雑な結び目を解いた者がアジアの王になると言われた。紀元前333年、アレクサンドロス3世はこの結び目を剣で断ち切った、あるいは心棒の留め具を抜いて解いたと伝えられる(ゴルディオンの結び目)。
ミダスの最期について、地理学者ストラボンは、北から侵入したキンメリア人に国を荒らされ、牛の血を飲んで自ら命を絶ったと書く(キンメリア人のゴルディオン破壊)。古代のギリシア人は、牛の生き血には毒があると信じていた。古代末期の年代記作者エウセビオスの年表に従うと、その死は紀元前696年ごろになる。ギリシアの哲学者プラトンは対話篇の中で、ミダスの墓に刻まれていたという詩を紹介している。墓の上に立つ青銅の乙女が、水が流れ木が茂るかぎり、ここにミダスが眠ると旅人に告げ続ける、という内容で、プラトンは行をどの順に並べ替えても意味が変わらない、組み立ての無い詩の例として、これを引いた。

ゴルディオンの遺跡は、20世紀にアメリカのペンシルヴェニア大学が本格的に掘った。1957年、考古学者ロドニー・ヤングは、高さ50メートルを超える最大の墳丘の中心から、杉と松の丸太で組んだ墓室を掘り当てた。「ミダスの墳丘」と呼ばれるこの墓には、60歳を過ぎた男性が、青銅の器や象眼をほどこした木の家具とともに葬られていた。いまも形を保つ木造の建物としては世界で最も古いものの一つである。だが、のちの年輪年代測定で、墓室の木材はおよそ紀元前740年ごろに切られたものと分かった。墓の主はミダス本人ではなく、その父や先代の王である可能性が高い。都がキンメリア人に焼かれたという話についても、かつてその跡と考えられていた大火災の層は、測り直すと紀元前800年ごろのものであることが分かり、伝承とは結びつかなくなった。ミダスの死と都の破壊の年代は、いまも研究が続いている。
墓の中の器に残っていた食べ物のかすは、1990年代の終わりに化学的に分析された。葬儀の宴で出されたのは、羊か山羊の肉とレンズ豆の煮込みで、飲み物は葡萄の酒と麦の酒と蜂蜜の酒を混ぜたものだったらしい。この分析をもとに、2000年にはアメリカのビール会社がこの酒を再現して「ミダス・タッチ」の名で売り出した。黄金の手の伝説の王は、2700年後に酒の名として戻ってきたことになる。フリギアという国については、ミダス王のフリギアにまとめてある。