イザヤの預言
概要
ウジヤ王の死んだ年、神殿で炭火に唇を触れられた。「剣を鋤に、槍を鎌に」。アッシリアが北を滅ぼす年に、南で語った。第40章以降は別人が200年ほど後に書いたとされ、そこに「苦難の僕」がある。キリスト教が最も引く預言書。
場所
31.77°N 35.21°E · イスラエル/パレスチナ
関わった人(1)
イザヤ預言者本文
紀元前8世紀の半ば、パレスチナには二つのヘブライ人の王国が並んでいた。北のイスラエルと、エルサレムを都とする南のユダである。東では、新アッシリア帝国がティグラト・ピレセル3世のもとで勢いを取り戻し、西へ向かって征服を進めていた。征服した土地の住民を丸ごと別の地へ移す政策でも知られる。小国の王たちは、アッシリアに従うか、手を組んで逆らうかの選択を迫られていた。
旧約聖書の『イザヤ書』は、エルサレムの預言者イザヤの言葉として伝えられる書物である(イザヤ)。その第6章で、イザヤは自分が預言者として召された場面を語る。ウジヤ王が死んだ年、紀元前740年ごろのことである。神殿で、イザヤは高い玉座に座る主を見た。六つの翼を持つセラフィムが、聖なる、聖なる、聖なる万軍の主、と呼び交わしていた。イザヤは、自分は汚れた唇の者だ、と恐れおののく。するとセラフィムの一人が、祭壇の燃える炭火を取ってイザヤの唇に触れ、あなたの罪は赦された、と告げた。主が、誰を遣わそうか、と言うと、イザヤは、ここにおります、私を遣わしてください、と答えた。

イザヤはアモツの子で、王に直接会って言葉を伝えることができた。都の上流の家の出だったと考えられている。ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤと、四代の王の時代に預言したとされる。妻は「女預言者」と呼ばれ、子どもたちには、残りの者は帰る、という意味の名や、分捕りは早く、略奪は速い、という意味の名を付けた。子どもの名前そのものが、民への警告だったのである。
紀元前734年ごろ、北のイスラエルとアラム(シリア)は、ユダを反アッシリアの同盟に引き込もうとして、エルサレムに攻め寄せた。ユダの王アハズは怯え、アッシリアに助けを求めようとした。イザヤは王に会い、静かにしていなさい、恐れてはならない、と説いた。そして、しるしとして、若い女が身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエル(神は我らと共に)と呼ぶ、と告げた。その子が分別のつく年ごろになる前に、王の恐れる二つの国は荒れ果てる、というのである。

この言葉は、のちに大きな意味を持つことになった。ヘブライ語の原文で「若い女」にあたる語を、紀元前3世紀以降にエジプトで作られたギリシア語訳(七十人訳)は、「処女」を意味する語で訳した。新約聖書の『マタイによる福音書』はこのギリシア語訳を引いて、イエスの誕生を預言の成就と書いている。ユダヤ教とキリスト教の間で、この一節の読み方は長く論争の的になってきた。
アハズはイザヤの言葉に従わず、アッシリアに貢ぎ物を送って保護を求めた。アッシリアはアラムを滅ぼし、紀元前722年には北のイスラエル王国も滅んで、その住民は遠くへ移された(イスラエル王国の滅亡)。ユダは生き残ったが、アッシリアの属国になった。

アハズの子ヒゼキヤは、アッシリアから離れようとした。紀元前701年、アッシリア王センナケリブは大軍でユダに攻め込み、多くの町を落として、エルサレムを囲んだ(センナケリブのエルサレム包囲)。『イザヤ書』と『列王記』は、イザヤが王に、アッシリアの王はこの都に入らない、と告げ、実際にアッシリアの軍が引き揚げたと伝える。アッシリアの側の記録も、エルサレムを落としたとは書いておらず、ヒゼキヤを籠の中の鳥のように閉じ込め、重い貢ぎ物を取ったと記している。
『イザヤ書』には、のちの世界で繰り返し引かれる言葉が多い。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。第2章のこの一節は、ニューヨークの国連本部の向かいの公園の壁に刻まれている。第11章の、狼は子羊と共に宿る、という平和の情景もよく知られる。
ただし、『イザヤ書』全66章を、一人のイザヤが書いたのではないと考える研究者が多い。第40章から先には、エルサレムがすでに滅び、民がバビロンに連れ去られている状況が前提として書かれ(バビロン捕囚)、ペルシアの王キュロスの名が、民を解放する者として出てくるからである(キュロス2世)。そのため、第1章から第39章を紀元前8世紀のイザヤに由来する部分、第40章から第55章をバビロン捕囚の終わりごろの無名の預言者の言葉、第56章以降を捕囚から帰ったあとの時代のものとして、第一、第二、第三イザヤと呼び分けることが多い。一方で、書物全体を一つの伝統の中で育ったものとして読む立場もある。

第二イザヤは、慰めよ、わが民を慰めよ、という言葉で始まる。その中に、「苦難の僕」と呼ばれる人物が登場する。彼は侮られ、人々に捨てられ、私たちの病を負い、私たちの痛みを担った、と第53章は描く。キリスト教はこれをイエスの受難の預言と読み、ユダヤ教では苦難を受けたイスラエルの民そのものと読むことが多い。新約聖書の中で最も多く引かれる預言書は、この『イザヤ書』である。
1947年、死海のほとりの洞窟から見つかった写本の中に、『イザヤ書』の全巻を一つの巻物に写したものがあった。紀元前2世紀ごろの写しとされ、それまで知られていた中世の写本より千年ほど古い。その本文は細かな違いを除けば、のちに伝わったものとほぼ同じだった。ヘンデルのオラトリオ『メサイア』は、第40章の、慰めよ、という言葉の独唱で始まる(ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル)。ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井画に、本を閉じかけて何かに呼ばれたように振り向くイザヤの姿を描いた。