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Event / できごと

ネブカドネザル1世のエラム遠征

Nebuchadnezzar I's campaign against Elam
BC1120年頃
年に諸説あり重要度 3

概要

エラムに奪われていたマルドゥクの像を、夏の暑さの中の遠征で取り戻した。「刃は炎のように熱く、水は毒のように」。マルドゥクはこのあとバビロンの最高神になり、『エヌマ・エリシュ』が整えられる。600年後の同名の王のほうが有名になった。

場所

バビロン
32.54°N 44.42°E · イラク・バービル県

関わった人(1)

ネブカドネザル1世?–BC1104年頃 · 王

本文

カッシート朝バビロン。400年。 BC1155年、エラムのシュトルク・ナフンテがバビロンを略奪し、ハンムラビの碑とナラム・シンの勝利碑とマルドゥクの像をスーサへ運んだ。 ルーヴルのハンムラビ法典がスーサで見つかったのはそのため。

イシン第二王朝。4代目。ネブカドネザル。「ナブーよ、私の境界石を守れ」。 クドゥル。境界石。王が臣下に土地を与える契約を石に刻み、神々の印と呪いを添えた。 この王の時代のものが最も多い。

最初の遠征は疫病で失敗した。 二度目。夏。タンムズの月。エラムは冬に攻めるもので、夏に来るとは思っていなかった。 戦車隊長シトティ・マルドゥクのクドゥル。「私は王の戦車の右に。王は私を免税に」。戦争の記録が土地の契約の中にある。 「刃は火のように燃え、道の石は炎のように熱く、水はなく、井戸は涸れ、最も強い馬が倒れ、最も強い兵の足が萎えた」。 ウライ川。デール。勝った。「エラムの王は逃げ、二度と見えなくなった」。 「私はマルドゥクの手を取ってバビロンへ」。 新年祭で王が神の手を取る儀式を、エラムでした。

マルドゥク。それまではバビロンの街の神。神々の王はニップルのエンリル。 この王の時代にマルドゥクが神々の王になった。 『エヌマ・エリシュ』。マルドゥクがティアマトを裂いて天と地を作り、50の名を受ける。 マルドゥクの帰還を祝って整えられた、と考える人が多い。毎年の新年祭で読まれた。 「マルドゥクの帰還の詩」では神が自分で語る。「私はエラムへ自分で行った」。 負けたのは神が弱いからでなく、神が自分で去ったから。エルサレムの神学と同じ。

600年後、カルデア人の王が彼の名を取った。ネブカドネザル2世。 2世が有名になりすぎて、1世は専門家しか知らない。

同じ時代のできごと

デボラとバラクBC1125年頃ティグラト・ピレセル1世の遠征BC1114年サムソン(伝承)BC1100年頃ドーリア人の移動BC1100年頃