ネブカドネザル1世のエラム遠征
概要
エラムに奪われていたマルドゥクの像を、夏の暑さの中の遠征で取り戻した。「刃は炎のように熱く、水は毒のように」。マルドゥクはこのあとバビロンの最高神になり、『エヌマ・エリシュ』が整えられる。500年あまり後の同名の王のほうが有名になった。
場所
32.54°N 44.42°E · イラク・バービル県
関わった人(1)
ネブカドネザル1世?–BC1104年頃 · 王本文
紀元前2千年紀の後半、メソポタミアの南部、バビロンを中心とする国は、山地から来たカッシート人の王たちに治められていた。カッシートの王朝はおよそ400年続き、大国エジプトやヒッタイトとも手紙と贈り物を交わす、落ち着いた時代を築いた。その東、いまのイラン南西部のザグロス山脈のふもとには、スーサを都とするエラムの国があった。エラムはメソポタミアと古くから争い、また交わってきた隣国である。
紀元前12世紀の半ば、エラムの王シュトルク・ナフンテがメソポタミアに攻め込み、町々を荒らした。彼は戦利品として、古い王たちの記念の石碑をスーサへ運び去った。そのなかには、600年ほど前のハンムラビの法を刻んだ黒い石の碑(ハンムラビ法典)も含まれていた。この碑が、20世紀のはじめにバビロンではなくスーサの遺跡から掘り出され、いまパリのルーヴル美術館にあるのは、このためである。続く王の時代に、エラムはカッシートの王朝を倒した。そして、バビロンの守り神マルドゥクの像を、エサギラの神殿から持ち去ったと伝えられる。
古代メソポタミアの人々にとって、神の像は単なる彫刻ではなかった。像には神そのものが宿り、毎日食事を供えられ、衣を着せられ、祭りには町を練り歩いた。像が敵に連れ去られることは、神が町を見捨てたことを意味した。マルドゥクのいないバビロンでは、王が神の手を取って王権を新たにする新年の祭りも行えなかった。
カッシートの王朝のあと、南部では、イシンの町から出た王たちの新しい王朝が力を伸ばした。その4代目の王がネブカドネザル1世である。名はアッカド語でナブー・クドゥリ・ウツルといい、書記の神ナブーに跡継ぎ(あるいは境)を守ってくれるよう願う意味とされる。在位はおよそ紀元前1125年から1104年とされる。

王の第一の目標は、マルドゥクの像を取り戻すことだった。最初の遠征は失敗に終わった。後の文書は、軍に病が広がったことを伝えている。王はあきらめず、次の遠征を準備した。
その遠征の様子は、思いがけない形で残っている。王はこの戦いで手柄を立てた戦車隊の長シッティ・マルドゥクに、税と労役を免じる特権を与え、その証書を石に刻ませた。境界の石(クドゥル)と呼ばれる、土地の権利や特権を記し、神々の印と、これを犯す者への呪いを刻んだ石である。そこに、遠征の苦しさが書き込まれている。軍は真夏のタンムズの月に出発した。斧は火のように焼け、道の石は炎のように熱く、井戸には水が無く、いちばん強い馬が倒れ、いちばん強い兵の足もよろめいた、という。普通なら軍を出さない酷暑の季節を選んだのは、敵の不意を突くためだったと考えられている。

両軍はエラムの地を流れるウライ川のほとりでぶつかった。砂ぼこりで昼が闇のようになったという激しい戦いの末、エラムの王は逃げ去り、二度と姿を見せなかったと証書は記す。バビロンの軍はスーサへ進み、マルドゥクの像を取り戻した。王はこれを、自分が神の手を取ってバビロンへ連れ帰ったこととして誇った。エラムはその後、数百年のあいだ歴史の記録からほとんど姿を消す。
マルドゥクは、もともとバビロンの町の守り神で、メソポタミア全体の神々の王は、ニップルの町のエンリルだった。だが、この時代からマルドゥクは神々の頂点に立つ神として、より強く崇められるようになったと考えられている。マルドゥクが混沌の海の女神ティアマトを討ち、その体を裂いて天と地を作り、神々から50の名を授けられて王となる創世の叙事詩『エヌマ・エリシュ』は、のちにバビロンの新年の祭りで唱えられた。この叙事詩がネブカドネザル1世の時代に整えられたという説は有力だが、もっと早い時代の成立と見る研究者もいて、決着していない。

この時代には、マルドゥク自身が語る形の文書も作られた。そこで神は、自分は怒って自ら国を離れ、外国へ出かけ、やがて自らの意志でバビロンへ帰る、と語る。像が奪われたのは神が負けたからではなく、神が自分で去ったからだ、という語り方である。国の不幸を、神の弱さではなく神の意志として説明しようとする考え方は、後の時代の別の民族の信仰にも見られる。
マルドゥクの像の受難は、これで終わらなかった。のちにアッシリアの王たちが、バビロンを罰するたびに像を持ち去った(センナケリブのバビロン破壊)。500年ほどのち、カルデア人の王が、この偉大な先王の名を取ってネブカドネザルと名乗った。それがネブカドネザル2世で、バビロンを壮麗な都に造り替え(ネブカドネザルのバビロン)、エルサレムを滅ぼして聖書にその名を残した。2世があまりに有名になったため、名の元になった1世は、いまでは専門家のあいだで知られるにとどまっている。