ギュゲスのリュディア

概要
王を殺して王妃を娶った護衛の男が、新しい王朝を開いた。金の産地を持ち、ギリシアの神殿に贈り物をし、貨幣の最初の鋳造につながる。
場所
38.49°N 28.04°E · トルコ・マニサ県
関わった人(1)
ギュゲス?–BC652年頃 · 王朝を開いた本文
アナトリアの西部、サルディスを都とするリュディアは、金で知られた国だった。都のそばを流れるパクトロス川は、山から金と銀の自然の合金を運んできた。その国で紀元前7世紀の前半、王朝が入れ替わった。新しい王の名はギュゲスという。どのようにして王になったのかについて、ギリシア人は二つの話を残した。
一つはヘロドトスの『歴史』にある(ヘロドトス『歴史』)。王カンダウレスは自分の妻の美しさを自慢したくてたまらず、信頼する護衛のギュゲスに、寝室に隠れて王妃の裸を見るよう命じた。ギュゲスは断ったが、押し切られた。王妃は部屋を出ていく男に気づき、何も言わなかった。翌日ギュゲスを呼び出し、二つの道を示した。王を殺して自分と国を手に入れるか、見てはならないものを見た罪でここで死ぬか。ギュゲスは王を殺した。

もう一つはプラトンの『国家』にある。地震で開いた裂け目に降りた羊飼いが、死体の指から指輪を抜き取る。その石を内側に回すと姿が消えた。羊飼いは使者に紛れて宮廷に入り、王妃と通じ、王を殺して国を奪った。プラトンはこの話を、誰にも見られないなら人は正しく振る舞うか、という問いのために使っている。どちらの話も、王朝の始まりが簒奪だったことを物語っている。
ヘロドトスによれば、それまでリュディアを治めていたのはヘラクレスの子孫を称する王家で、22代、505年続いたという。ギュゲスの家はメルムナス家と呼ばれ、ここからクロイソスまで5代の王が出る。数字の正確さはともかく、古い王家を力で終わらせた男が新しい家を開いた、という筋は動かない。

王位をめぐって国内が割れたとき、決着をつけたのはデルフォイの神託だったとヘロドトスは書く。神託はギュゲスを王と認め、ただし報いは5代目の子孫に下る、と付け加えた。ギュゲスは返礼として、銀の奉納品と6つの黄金の混酒器をデルフォイに贈った。フリギアのミダス王に次いで、デルフォイに奉納した異国の王だったとヘロドトスは言う。その品々は後世まで「ギュゲスの宝」と呼ばれた。同じころの詩人アルキロコスも、「黄金に富むギュゲス」の名を挙げている。
ギリシア語の「僭主」(テュランノス)という語が残っているいちばん古い例は、アルキロコスの詩の、このギュゲスに触れた一節だとされる。血筋によらず実力で支配者になった者を指す言葉で、のちにギリシアの諸都市に現れる独裁者たちが、そう呼ばれることになる。ギュゲスは、その名の原型になった王でもある。

ギュゲスの名は、東のアッシリアの記録にも出てくる。アッシュルバニパルの年代記に「ルッディのグッグ」として現れ、夢のお告げを受けて使者を送り、北から来た騎馬の民キンメリア人と戦う助けを求めたという。のちにギュゲスはアッシリアに背いたエジプトを支援し、アッシュルバニパルの不興を買った。ギリシアとアッシリアの両方の記録に名が残る人物は、この時代には珍しい。
ギュゲスは西のイオニアのギリシア都市にも兵を向け、ミレトスやスミュルナを攻め、コロフォンを取った。リュディアとギリシア世界の長い関わりは、ここから始まる。

最期は、そのキンメリア人と戦って死んだ。40年ほど前にフリギアの都を焼いた人びとである(キンメリア人のゴルディオン破壊)。次の王の代にはサルディスの町も荒らされたが、王朝は生き延び、ギュゲスの子孫が国を立て直した。
サルディスの北には、ビン・テペ(千の丘)と呼ばれるリュディア王家の墳丘墓群がある。そのうちの大きな一基の石組みには、ギュゲスの名と読める刻みが見つかっており、彼の墓ではないかと考えられているが、確かめられてはいない。
リュディアでは、この王朝のもとで、金銀の合金に刻印を打った小さな塊が作られるようになる。重さと品位を王が保証したもので、鋳造貨幣の始まりとされる(リュディアの鋳造貨幣)。ギュゲスの代に始まったのか、もっと後なのかは分かっていない。神託の言う5代目はクロイソスにあたり、その代でリュディアはペルシアに滅ぼされる。ヘロドトスは、この予言が当たったとして話を結んでいる。