人物

アモス

Amos
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イスラエル王国重要度 3

概要

テコアの牧夫で、いちじく桑の栽培者。北の都で「牛の中の牛」と貴婦人を罵り、祭りと生贄を退け、正義を求めた。祭司に追われて帰った。文字で残る最初の預言書。「わたしは預言者でも、預言者の子でもない」。

関わったできごと(1)

アモスとホセアの預言BC750年頃 · 預言者

本文

アモスは、紀元前8世紀の半ばに北のイスラエル王国で語った預言者である。旧約聖書に収められた『アモス書』は、預言者の名を冠した書物のうち、成立が最も古いものの一つとされる。それまでの預言者の言葉は、物語の中で人づてに伝えられるだけだったが、アモスからは、預言者自身の言葉がまとまった書物として残るようになった。その中心にあるのは、祭りや生贄よりも、貧しい者への公正を神は求める、という主張である。

アモスは南のユダ王国の人で、ベツレヘムの南、荒野の縁の村テコアの出身だった。書の冒頭は彼を「牧者の一人」と紹介する。使われているヘブライ語は、モアブの王について「羊を飼う者」と書くのと同じ語で、ただの雇われ羊飼いではなく、群れを持つ牧畜の業者だったとみる説もある。本人は、自分は牛を飼い、いちじく桑の実を作る者だと言っている。いちじく桑は、実に傷をつけて熟させる手間のかかる木で、乾いた低地で育つ。いずれにせよ、宮廷や神殿に仕える人ではなかった。

アモスが語ったのは、北の王国の王ヤロブアム2世の時代である。書は、それが「地震の2年前」だったと記す。北イスラエルの遺跡には紀元前8世紀半ばの大地震の跡が見つかっており、紀元前760年前後のことと考えられている。このころの北王国は、長い歴史の中でも最も豊かな時代にあった。北の大国アッシリアは一時勢いを失い、ヤロブアム2世は領土を広げ、都サマリア(オムリのサマリア建設)の貴族たちは象牙で飾った家に住んでいた。その繁栄の陰で、借金のかたに貧しい農民が土地を失い、奴隷に売られていた。

アモスは国境を越えて北王国の聖所ベテルに現れ、語り始めた。最初は周りの国々への裁きである。「ダマスコの三つの罪、四つの罪のゆえに、わたしは決して赦さない」。ガザ、ティルス、エドム、アンモン、モアブ、そしてユダ。聞いていたイスラエルの人々は、敵が裁かれるのを喜んだだろう。だが最後に矛先は彼ら自身に向かう。「彼らは正しい者を金で、貧しい者を履物一足の値で売った」。

彼の言葉は、豊かな人々の暮らしを具体的に突く。象牙の寝台に寝そべり、群れの中から子羊を選んで食べ、竪琴に合わせて歌い、鉢で酒を飲みながら、国の崩れていくのを少しも悲しまない者たち。夫に酒をせがむサマリアの貴婦人たちを、彼は「バシャンの雌牛ども」と呼んだ。バシャンは肥えた牛で知られた土地である。人々は、神が敵を打ち破る「主の日」を待ち望んでいたが、アモスは、それは光ではなく闇の日だと言った。

最もよく知られるのは、神の言葉として語られる次の一節である。「わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。献げ物の匂いも喜ばない。……正義を水のように、恵みの業を尽きることのない川のように流れさせよ」。宗教の中心を儀式から人の扱い方に移すこの言葉は、2700年後、アメリカの公民権運動の中で生き返った。キング牧師は1963年のワシントンでの演説で、正義が水のように流れ下るまで私たちは満足しない、とこの一節を引いている(ワシントン大行進)。

ワシントン大行進に関わる図版:Civil rights march on Washington, D.C. from Lincoln (cropped)
ワシントン大行進Wikimedia Commons This photograph was made by Rowland Scherman at the March on Washington. The negatives are in the custody of the Nationa · Public domain

書には、アモスが見た五つの幻も記される。いなごの群れと、すべてを焼き尽くす火の幻では、アモスが神に取りなし、災いは止められた。だが、城壁に垂らされた下げ振り(垂直を測るおもり)の幻のあとでは、神はもう見過ごさないと言う。夏の果物を盛った籠の幻は、ヘブライ語の「夏の果物(カイツ)」と「終わり(ケーツ)」をかけた言葉遊びで、イスラエルに終わりが来たことを告げていた。

ベテルの祭司アマツヤは、王に「アモスがあなたに背く企てをしている」と知らせ、アモスには「先見者よ、ユダの地へ逃げ帰り、そこでパンを食べ、そこで預言せよ。ベテルは王の聖所だ」と命じた。アモスは答えた。「わたしは預言者ではない。預言者の子でもない。わたしは牛を飼い、いちじく桑を作る者だ。主が群れの後ろからわたしを取り、行ってわが民イスラエルに預言せよと言われたのだ」。「預言者の子」とは、預言で生計を立てる者たちの集団の一員という意味で、アモスは自分が職業の預言者ではないことを強調したのである。この後アモスがどうなったのかは、何も分からない。

『アモス書』の大部分は破滅の言葉だが、最後の数節だけは、倒れたダビデの仮庵を建て直し、民を再び地に植えるという希望で終わる。調子が大きく異なるため、ユダ王国が滅んだ後の時代に書き加えられたとみる研究者が多い。アモスの言葉を誰がいつ書き留めたのかも分かっていない。弟子だったのか、本人だったのか、南のユダ王国で編まれたのか、学説は分かれる。

アモスが語ってから40年ほどのうちに、アッシリアは再び勢いを取り戻し、紀元前722年ごろ、北のイスラエル王国は滅ぼされた(イスラエル王国の滅亡)。ほぼ同じ時代に、北ではホセアが、南ではやや遅れてイザヤが語っている(アモスとホセアの預言)。羊と果樹の世話をする一人の男が、王の聖所で王国の終わりを告げた。その言葉が書き留められ、読み継がれたことで、「預言者」とは未来を占う者ではなく、権力の不正を名指しする者だという像が生まれた。

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