アモス
概要
テコアの牧夫で、いちじく桑の栽培者。北の都で「牛の中の牛」と貴婦人を罵り、祭りと生贄を退け、正義を求めた。祭司に追われて帰った。文字で残る最初の預言書。「わたしは預言者でも、預言者の子でもない」。
関わったできごと(1)
アモスとホセアの預言BC750年頃 · 預言者本文
アモスは、紀元前8世紀の半ばに北のイスラエル王国で語った預言者である。旧約聖書に収められた『アモス書』は、預言者の名を冠した書物のうち、成立が最も古いものの一つとされる。それまでの預言者の言葉は、物語の中で人づてに伝えられるだけだったが、アモスからは、預言者自身の言葉がまとまった書物として残るようになった。その中心にあるのは、祭りや生贄よりも、貧しい者への公正を神は求める、という主張である。
アモスは南のユダ王国の人で、ベツレヘムの南、荒野の縁の村テコアの出身だった。書の冒頭は彼を「牧者の一人」と紹介する。使われているヘブライ語は、モアブの王について「羊を飼う者」と書くのと同じ語で、ただの雇われ羊飼いではなく、群れを持つ牧畜の業者だったとみる説もある。本人は、自分は牛を飼い、いちじく桑の実を作る者だと言っている。いちじく桑は、実に傷をつけて熟させる手間のかかる木で、乾いた低地で育つ。いずれにせよ、宮廷や神殿に仕える人ではなかった。
アモスが語ったのは、北の王国の王ヤロブアム2世の時代である。書は、それが「地震の2年前」だったと記す。北イスラエルの遺跡には紀元前8世紀半ばの大地震の跡が見つかっており、紀元前760年前後のことと考えられている。このころの北王国は、長い歴史の中でも最も豊かな時代にあった。北の大国アッシリアは一時勢いを失い、ヤロブアム2世は領土を広げ、都サマリア(オムリのサマリア建設)の貴族たちは象牙で飾った家に住んでいた。その繁栄の陰で、借金のかたに貧しい農民が土地を失い、奴隷に売られていた。
アモスは国境を越えて北王国の聖所ベテルに現れ、語り始めた。最初は周りの国々への裁きである。「ダマスコの三つの罪、四つの罪のゆえに、わたしは決して赦さない」。ガザ、ティルス、エドム、アンモン、モアブ、そしてユダ。聞いていたイスラエルの人々は、敵が裁かれるのを喜んだだろう。だが最後に矛先は彼ら自身に向かう。「彼らは正しい者を金で、貧しい者を履物一足の値で売った」。
彼の言葉は、豊かな人々の暮らしを具体的に突く。象牙の寝台に寝そべり、群れの中から子羊を選んで食べ、竪琴に合わせて歌い、鉢で酒を飲みながら、国の崩れていくのを少しも悲しまない者たち。夫に酒をせがむサマリアの貴婦人たちを、彼は「バシャンの雌牛ども」と呼んだ。バシャンは肥えた牛で知られた土地である。人々は、神が敵を打ち破る「主の日」を待ち望んでいたが、アモスは、それは光ではなく闇の日だと言った。
最もよく知られるのは、神の言葉として語られる次の一節である。「わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。献げ物の匂いも喜ばない。……正義を水のように、恵みの業を尽きることのない川のように流れさせよ」。宗教の中心を儀式から人の扱い方に移すこの言葉は、2700年後、アメリカの公民権運動の中で生き返った。キング牧師は1963年のワシントンでの演説で、正義が水のように流れ下るまで私たちは満足しない、とこの一節を引いている(ワシントン大行進)。

書には、アモスが見た五つの幻も記される。いなごの群れと、すべてを焼き尽くす火の幻では、アモスが神に取りなし、災いは止められた。だが、城壁に垂らされた下げ振り(垂直を測るおもり)の幻のあとでは、神はもう見過ごさないと言う。夏の果物を盛った籠の幻は、ヘブライ語の「夏の果物(カイツ)」と「終わり(ケーツ)」をかけた言葉遊びで、イスラエルに終わりが来たことを告げていた。
ベテルの祭司アマツヤは、王に「アモスがあなたに背く企てをしている」と知らせ、アモスには「先見者よ、ユダの地へ逃げ帰り、そこでパンを食べ、そこで預言せよ。ベテルは王の聖所だ」と命じた。アモスは答えた。「わたしは預言者ではない。預言者の子でもない。わたしは牛を飼い、いちじく桑を作る者だ。主が群れの後ろからわたしを取り、行ってわが民イスラエルに預言せよと言われたのだ」。「預言者の子」とは、預言で生計を立てる者たちの集団の一員という意味で、アモスは自分が職業の預言者ではないことを強調したのである。この後アモスがどうなったのかは、何も分からない。
『アモス書』の大部分は破滅の言葉だが、最後の数節だけは、倒れたダビデの仮庵を建て直し、民を再び地に植えるという希望で終わる。調子が大きく異なるため、ユダ王国が滅んだ後の時代に書き加えられたとみる研究者が多い。アモスの言葉を誰がいつ書き留めたのかも分かっていない。弟子だったのか、本人だったのか、南のユダ王国で編まれたのか、学説は分かれる。
アモスが語ってから40年ほどのうちに、アッシリアは再び勢いを取り戻し、紀元前722年ごろ、北のイスラエル王国は滅ぼされた(イスラエル王国の滅亡)。ほぼ同じ時代に、北ではホセアが、南ではやや遅れてイザヤが語っている(アモスとホセアの預言)。羊と果樹の世話をする一人の男が、王の聖所で王国の終わりを告げた。その言葉が書き留められ、読み継がれたことで、「預言者」とは未来を占う者ではなく、権力の不正を名指しする者だという像が生まれた。