デボラ
概要
「蜜蜂」。士師記で唯一の女性の士師。エフライムの山地のナツメヤシの木の下で人々を裁き、バラクを戦いに送り、勝利の歌を歌った。「私デボラは立った、イスラエルの母として」。士師記5章の歌はBC12世紀の言葉と考えられ、聖書で最古の部分の一つ。
関わったできごと(1)
デボラとバラクBC1125年頃 · 女預言者本文
旧約聖書の『士師記』に登場する女預言者で、士師と呼ばれるイスラエルの指導者の中で、ただ一人の女性である。名のデボラはヘブライ語で「蜜蜂」を意味する。生まれも死も記されず、物語は4章と5章、同じ出来事を散文と詩の二つの形で語る部分にしか出てこない(デボラとバラク)。

舞台は、イスラエルにまだ王がいなかった時代である。イスラエルの諸部族はカナンの山地に住み、平野にはカナン人の都市が並んでいた。士師記によれば、ハツォルの王ヤビンがイスラエルを20年にわたって苦しめ、その将軍シセラは鉄の戦車900両を持っていた。平地の戦いで戦車にかなう兵はいない。山の民イスラエルは、谷や道を押さえられて身動きがとれなかった。
そのころデボラは、エフライムの山地の、ラマとベテルのあいだにあるナツメヤシの木の下に座り、人々は争いの裁きを求めて彼女のもとに来た。ラピドトの妻、と紹介される。ラピドトは「松明」を意味する語でもあり、のちのユダヤ教の学者たちの中には、これを夫の名ではなく、彼女自身の燃えるような性質を指すと読む者もいた。

デボラは、北のナフタリの地のケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、神の命令として、ナフタリとゼブルンの部族から1万人を集めてタボル山に登るよう告げた。バラクは、あなたが一緒に来てくれるなら行くが、来てくれないなら行かない、と答えた。デボラは同行を承知したが、こう言い添えた。この戦いの栄誉はあなたのものにはならない。神はシセラを一人の女の手に渡されるからだ。
イスラエルの兵がタボル山から駆け下りると、シセラの戦車隊はキション川のほとりで崩れた。5章の歌は、星々が天から戦い、キション川が敵を押し流した、とうたう。突然の豪雨で川があふれ、戦車がぬかるみで動けなくなったのだと解釈する研究者が多い。シセラは戦車を捨てて走って逃げ、ケニ人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げ込んだ。ヤエルは彼を迎え入れ、水を求めたシセラに乳を飲ませ、眠りに落ちたところで、天幕の杭を槌でこめかみに打ち込んだ。デボラの言葉どおり、栄誉は女の手に落ちた。それも、イスラエル人ですらない女である。

5章の「デボラの歌」は、勝利をたたえる古い詩である。村々の暮らしは絶えていた、私デボラが立ち上がるまで、イスラエルの母として私が立ち上がるまで、と歌い手は名乗る。歌は、戦いに加わった部族を一つ一つほめ、来なかった部族を名指しで責める。ルベンは羊の群れのそばで笛の音を聞いていた、ダンは船のそばにとどまった、と。最後の場面は敵の側に移る。シセラの母が窓から外をのぞき、息子の戦車の帰りが遅いのはなぜかと嘆く。侍女たちは、きっと戦利品を分けているのでしょう、一人の男に娘を一人か二人、と慰める。帰らない息子を待つ母の姿で歌は終わる。
この歌は、聖書の中でも最も古い部分の一つと考えられている。言葉づかいや文法が古風で、北シリアのウガリットから出土した紀元前2千年紀の詩と表現が似ているためである(ウガリットの文字)。成立を紀元前12世紀から11世紀とみる研究者が多い。ただし、そこに語られた戦いがどこまで実際の出来事を伝えているかは分からない。ハツォルの王ヤビンは『ヨシュア記』ではヨシュアに滅ぼされたことになっていて、二つの物語の食い違いも古くから指摘されてきた。士師記は、戦いのあと国は40年のあいだ平穏だった、とだけ記して、デボラの物語を閉じる。

なぜ女性が人々を裁いていたのか、聖書はその理由を説明しない。ただ裁いていた、と書くだけである。後のユダヤ教の学者の中には、私デボラが立ち上がるまで、と自ら誇ったために預言の霊が一時彼女を去った、と批判的に読む者もいた。一方で、彼女は聖書の女預言者の代表として語り継がれ、20世紀には、女性がラビ(ユダヤ教の教師)になることを認めるべきだという議論の中で、その前例として引かれた。
音楽の世界では、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが1733年、英語のオラトリオ『デボラ』を作曲している。ロンドンでイタリア語のオペラの人気が陰り始めたころで、聖書を題材にした英語のオラトリオは、やがて『メサイア』へとつながっていく。デボラの後、士師記にはサムソンらの物語が続き、王国の時代へと移っていく。