デボラとバラク
概要
ナツメヤシの下で裁いていた女預言者が、将軍バラクに「タボル山へ行け」と命じ、バラクは「あなたが一緒なら」と言った。カナンの鉄の戦車900が雨で沼にはまり、将軍シセラは天幕で女ヤエルに杭で殺された。「デボラの歌」は聖書で最も古い詩の一つ。
場所
32.69°N 35.39°E · イスラエル
関わった人(1)
デボラ女預言者本文
旧約聖書の士師記の4章と5章は、同じ一つの戦いを二度語っている。4章は散文の物語で、5章は「デボラの歌」と呼ばれる詩である。二つは細部が少しずつ違い、その違いが、この話がどのように伝えられてきたかを考える手がかりになっている。舞台は、イスラエルにまだ王がいなかった士師の時代、北のガリラヤの山地とその南に広がるイズレエルの平野である。
4章によれば、イスラエルの人々は、カナンの王でハツォルに君臨するヤビンに、20年にわたって苦しめられていた。ヤビンの軍を率いる将軍シセラは、鉄の戦車900両を持っていた。馬に引かせた戦車は、平らな土地では無敵の兵器だった。山地に住み、歩兵しか持たないイスラエルの部族には、手の出しようがなかった。

そのころイスラエルを裁いていたのは、ラピドトの妻で女預言者のデボラ(デボラ)だった。名はヘブライ語で「蜜蜂」を意味する。彼女はエフライムの山地の、ラマとベテルの間にあるなつめやしの木の下に座り、人々はそこへ来て争いの裁きを求めた。聖書に登場する士師の中で、女性は彼女ひとりである。デボラは、北のナフタリ族の町ケデシュから、アビノアムの子バラクを呼び寄せた。バラクという名は「稲妻」を意味する。デボラは告げた。ナフタリとゼブルンの部族から1万人を率いてタボル山へ行け。主がシセラとその戦車をキション川におびき出し、あなたの手に渡す、と。
バラクの答えは、英雄らしからぬものだった。あなたが一緒に行ってくれるなら行く。行ってくれないなら行かない。デボラは同行を承知したが、こう付け加えた。それならこの戦いの栄誉はあなたのものにはならない。主はシセラを、一人の女の手に渡すだろう。読む者は、その女とはデボラのことだと思う。だが話は別の女のほうへ進んでいく。

タボル山は、イズレエルの平野の北東にぽつんとそびえる丸い山で、高さは600メートルに満たないが、周りの平地から急に立ち上がっている。戦車は斜面を登れない。バラクは1万人を山の上に集め、シセラは900両の戦車を率いて、山の南西を流れるキション川のほとりに陣を敷いた。デボラが「立ちなさい。今日こそ主がシセラをあなたの手に渡す日だ」と言うと、バラクは山を駆け下りた。4章は、主がシセラと戦車の軍をかき乱したとだけ書く。5章の歌は、何が起きたかをもっと具体的に歌っている。天は滴り、雲は水を注いだ。キション川が彼らを押し流した。激しい雨で川があふれ、平野がぬかるみになって、戦車が動けなくなったと読める。
シセラは戦車を捨て、走って逃げた。たどり着いたのは、ケニ人ヘベルの天幕だった。ヘベルの一族はヤビンと和を結んでいたので、安全だと思ったのだろう。ヘベルの妻ヤエルが出てきて、どうぞお入りください、恐れることはありませんと招き入れ、毛布をかけた。シセラが水を求めると、彼女は乳の革袋を開けて飲ませた。疲れ果てたシセラが眠り込むと、ヤエルは天幕の杭と槌を手に忍び寄り、杭を彼のこめかみに打ち込んで、地面まで突き通した。追ってきたバラクを、ヤエルは天幕に招き入れ、あなたが探している男をお見せしましょうと言った。デボラの予言どおり、栄誉は女の手に渡った。

5章のデボラの歌は、勝利を祝う詩でありながら、どの部族が戦いに加わり、どの部族が来なかったかを数え上げている。エフライム、ベニヤミン、マキル、ゼブルン、イッサカル、ナフタリは来た。ルベンは羊の柵の間にとどまって迷い続け、ギルアドはヨルダン川の向こうにいた。ダンは船のそばにとどまり、アシェルは海辺に座っていた。南のユダとシメオンの名は、歌に出てこない。のちの「イスラエル十二部族」のまとまりが、この時代にはまだゆるやかなものだったことをうかがわせる。歌はヤエルを「女の中で最も祝福された者」とたたえ、倒れるシセラの姿を繰り返しの言葉で描く。そして最後に、敵の側の情景に移る。シセラの母が窓から外を眺め、なぜ息子の戦車は帰りが遅いのかと嘆く。賢い侍女たちは、戦利品を分けているのでしょう、男一人に娘を一人か二人、と慰める。読む者は、その息子がもう帰らないことを知っている。
デボラの歌は、聖書の中でも最も古い部分の一つと考えられている。文法や語彙が古く、紀元前14〜13世紀のウガリットの詩(ウガリットの文字)と似た言い回しを持つことから、紀元前12世紀から11世紀ごろに成立したとみる学者が多い。出エジプト記15章の「海の歌」(出エジプト(伝承))と並んで、ヘブライ語の詩の最古層とされる。ただし成立年代には異論もあり、もっと後の時代とする説もある。

史実かどうかとなると、話は複雑になる。北のハツォルの遺跡には、紀元前13世紀ごろに町が焼けて滅びた跡が残っている。ところが旧約聖書のヨシュア記11章では、ハツォルの王ヤビンはヨシュアに討たれ、町は焼かれたことになっている。同じ名の王が二度、別の英雄に倒されるのである。二つの伝承が別々に伝わり、後に一つの歴史にまとめられたと考えられている。士師記は、この勝利のあと地は40年のあいだ穏やかだったと記すが、デボラがどう死んだか、どこに葬られたかは書いていない。タボル山は、4世紀ごろからキリスト教でイエスの姿が光り輝いた「変容の山」とされ、いまは頂に教会が建っている。戦車がぬかるみに沈んだ平野を見下ろす同じ山である。