ネブカドネザルのバビロン
概要
青い釉薬の煉瓦で門を飾り、ジッグラトを建て直した。空中庭園はこの都のものとされるが、バビロンの記録には出てこない。
場所
32.54°N 44.42°E · イラク・バービル県
関わった人(1)
ネブカドネザル2世BC634年頃–BC562年 · 王本文
バビロンは、ユーフラテス川のほとりにある古い都である。紀元前18世紀にはハンムラビがここを都にしてメソポタミアをまとめたが、その後は長く周りの大国に支配された。紀元前7世紀には、アッシリアの王センナケリブが反抗を続けるバビロンを攻め落とし、町を壊して運河の水を流し込んだ(センナケリブのバビロン破壊)。そのバビロンが最も輝いたのは、アッシリアが滅んだあとのことである。
紀元前626年、カルデア人の将軍ナボポラッサルがバビロンで王を名乗り、東のメディアと手を結んで、紀元前612年にアッシリアの都ニネヴェを落とした(ニネヴェ陥落)。その子がネブカドネザル2世である。即位の直前の紀元前605年、彼はシリアのカルケミシュでエジプトの軍を破り、アッシリアに代わってシリアとパレスティナを支配下に置いた。43年におよぶ長い治世のあいだ、彼は毎年のように西へ兵を出した。従わなかったユダ王国のエルサレムを、紀元前597年と紀元前587年(586年とも)の二度にわたって攻め落とし、二度目には神殿を焼いて、王族や職人、住民の多くをバビロンへ連れ去った(バビロン捕囚)。旧約聖書に、この王が恐ろしい征服者として描かれるのはそのためである。

その同じ王が、残した碑文のなかで最も多く語っているのは、戦争ではなく建築である。ネブカドネザルはバビロンを、神々の王マルドゥクにふさわしい世界の中心として作り直そうとした。町はユーフラテス川をまたいで広がり、内側の町は二重の城壁で囲まれ、その外側を堀がめぐった。東岸にはさらに長い外側の城壁が築かれた。ギリシアの歴史家ヘロドトスは、城壁の上を四頭立ての馬車がすれ違えるほど広かったと書いている。ただし、ヘロドトスが本当にバビロンを訪れたのかは疑われており、数字には誇張も多い。
町の北の入口に建てられたのが、愛と戦いの女神の名を冠したイシュタル門である。門の壁は、青い釉薬をかけた煉瓦で覆われ、そこに牛と、マルドゥクの聖獣である竜(ムシュフシュ)の浮き彫りが何段にも並んでいた。門から南へは、祭りの行列が通る大通りが延び、その両側の壁には、獅子の浮き彫りが120頭ほど並んでいた。新年の祭りには、マルドゥクの像がこの道を運ばれた。20世紀のはじめ、ドイツの調査団が掘り出した煉瓦の破片をつなぎ合わせて門を復元し、いまはベルリンの博物館でその姿を見ることができる。

町の中心には、マルドゥクの神殿エサギラと、その北に、エテメンアンキ(天と地の基の家)と呼ばれる巨大な階段状の聖塔、ジッグラトがあった。古い時代からあったものを、ナボポラッサルとネブカドネザルが建て直したもので、粘土板の記録から、土台は一辺90メートルほど、高さもそれに近かったと推定されている。旧約聖書の「バベルの塔」の物語の元になったのは、この塔だと考えられている。いまは土台の跡しか残っていない。王の名を刻んだ煉瓦は何百万個も焼かれ、遺跡からはいまもその刻印のある煉瓦がいくらでも見つかる。
古代の七不思議の一つ、「バビロンの空中庭園」も、この王のものとされてきた。紀元前3世紀のバビロンの神官ベロッソスは、山国メディアから嫁いだ王妃が故郷の緑の山を恋しがったので、ネブカドネザルが段々に木を植えた庭を造ったと書いた。ところが、バビロンで見つかった数多くの粘土板にも、ネブカドネザル自身の碑文にも、この庭のことは一度も出てこない。発掘でもそれらしい跡は確かめられていない。そのため、空中庭園は実はアッシリアのニネヴェで、センナケリブが水を引いて造った庭園のことだったのではないか、という説が出され、有力な説の一つになっている。

ネブカドネザルは紀元前562年に亡くなった。旧約の『ダニエル書』には、王が正気を失い、獣のように草を食べて7年を過ごしたという話があるが、これは後の王ナボニドゥスにまつわる伝えが混ざったものとみられている。ネブカドネザルのあと、新バビロニアの王たちは短い治世で入れ替わり、最後の王ナボニドゥスは月の神を重んじてマルドゥクの神官たちと対立した。紀元前539年、ペルシアのキュロス2世の軍が来ると、バビロンはほとんど戦わずに門を開いた(キュロスのバビロン征服)。キュロスは、自分はマルドゥクに選ばれてバビロンを救いに来たのだと碑文に刻んだ。巨大な城壁は、町の内側の不満の前には役に立たなかった。
バビロンはその後もペルシア、アレクサンドロス大王のもとで都の一つとして使われたが、やがて新しい町に人が移り、少しずつ砂に埋もれていった。20世紀にはイラクの指導者サダム・フセインが、自分の名を刻んだ煉瓦で遺跡の一部を建て直させている。ネブカドネザルに自分をなぞらえたのである。