ニネヴェの図書館

概要
各地から集めた粘土板3万点あまり。BC612年に宮殿が焼けたとき、粘土が焼き固まって残った。『ギルガメシュ叙事詩』が読めるのはこの火事のおかげになる。
場所
36.36°N 43.15°E · イラク・ニーナワー県(モースル)
関わった人(1)
アッシュルバニパルBC685年頃–BC627年頃 · 集めさせた本文
紀元前7世紀、メソポタミアの北にある新アッシリア帝国は、その力の頂点にあった。東は今のイラン西部から、西は地中海の岸とエジプトまでを支配した(新アッシリア帝国、アッシリアのエジプト征服)。都はティグリス川のほとり、ニネヴェである。この都の宮殿に、王アッシュルバニパルは文書を集めた。
アッシュルバニパルは、もともと王位を継ぐはずの子ではなかったとされる。そのため若いころに書記の教育を受けたらしい。王になってからの碑文で、彼は自分が楔形文字を読み書きでき、難しいシュメール語やアッカド語の粘土板を読み解き、洪水より前の時代の石の文字まで調べた、と誇っている。王が自分の読み書きを自慢するのは、この時代には珍しいことだった。

王は、帝国の各地から粘土板を集めさせた。南のバビロニアは古い学問の中心で、神殿や学者の家に代々の文書があった。王が学者たちに、手元の粘土板を探し出して送るよう命じた手紙の写しが残っている。集めたものは書記たちが写し直し、末尾には、これはアッシュルバニパルのものである、という奥付が付けられた。盗んだ者や消した者には神々の呪いがかかる、と書き添えたものもある。兄弟との戦争に勝ったあとには、バビロニアの学者の家から大量の粘土板を持ち帰った記録もある。
中身でいちばん多いのは、占いの文書だった。羊の肝臓の形、星の動き、生まれた子の姿から未来を読む手引きである。王は大事を決める前に占いを立てたので、これは国を治めるための道具だった。ほかに、医学の処方、呪文、言葉の対照表、天文の記録、神話や叙事詩があった。世界の始まりを語るバビロニアの創世神話も、ここから見つかっている。

紀元前612年、メディアとバビロニアの連合軍がニネヴェを攻め落とし、宮殿は焼かれた(ニネヴェ陥落)。アッシリアは数年のうちに滅んだ。もし書物が紙や羊皮紙だったら、ここで灰になっていたはずである。だが粘土は、焼かれると固くなる。崩れた宮殿の下で、粘土板は焼き固められたまま、二千数百年眠ることになった。火が、保存をした。
19世紀の半ば、イギリスの発掘者たちがニネヴェの丘を掘り、宮殿の跡から大量の粘土板を見つけた。かけらを含めて3万点あまりが大英博物館に運ばれた。当時、楔形文字(楔形文字の成立)はようやく読めるようになり始めたところだった。
1872年、大英博物館で粘土板を整理していたジョージ・スミスという若い研究者が、あるかけらに目を留めた。そこには、神々が洪水を起こすことを知らされた男が船を造り、家族と生き物を乗せ、水が引いたあと鳥を放って陸を探す話が書かれていた。のちに『ギルガメシュ叙事詩』(『ギルガメシュ叙事詩』)と呼ばれる物語の一部である。旧約聖書のノアの箱舟と筋がよく似ていた。スミスが学会でこれを発表すると、大きな騒ぎになった。新聞社が資金を出して彼をニネヴェへ送り、彼は欠けていた部分の粘土板を実際に見つけてきた。

この洪水の話は、ニネヴェの写本よりもさらに古い。メソポタミアでは、似た洪水の物語が紀元前2千年紀の前半にはすでに書かれていた。聖書の物語は、この地域に古くから伝わる話の流れの中にある、と考えられるようになった。
アッシュルバニパルの文書群は、いまもメソポタミアの言葉と学問を知るためのいちばん大きな手がかりの一つである。ただし、一つの図書館が整然と並んでいたのか、いくつかの宮殿の書庫の集まりだったのかは、発掘の記録が十分でないために、はっきりしない部分が残る。