イザヤ
概要
エルサレムの貴族で、四人の王の顧問。「インマヌエル」「切り株から新芽」「狼と子羊」。アッシリアの包囲で王に「静まれ」と言った。66章の預言書の前半が彼で、後半は捕囚期の別人。ミカエランジェロがシスティーナに描いた。伝説ではマナセに鋸で挽かれた。
関わったできごと(1)
イザヤの預言BC740年頃 · 預言者本文
イザヤは紀元前8世紀の後半、南のユダ王国の都エルサレムで活動した預言者である。アモツの子とされるが、生まれた年も死んだ年も分からない。王と直接会って意見を述べていることから、宮廷に近い身分の高い家の出だったと考えられている。ユダヤ教の伝承では、王家の親族だったともいう。妻は「女預言者」と呼ばれ、二人の息子には、それぞれ「残りの者は帰る」「急いで分捕り、速やかに奪う」という意味の、預言のしるしとなる名がつけられた。

旧約聖書の『イザヤ書』6章によれば、彼が預言者として召されたのは、ウジヤ王が死んだ年、紀元前740年ごろのことである。エルサレムの神殿で、イザヤは高い王座に座る神と、その周りで聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、と呼び交わす六つの翼をもつセラフィムを見た。汚れた唇の者である自分は滅びると恐れるイザヤの唇に、セラフィムが祭壇の炭火を当てて清めた。神が、誰を遣わそうか、と問うと、イザヤは、私がここにおります、私を遣わしてください、と答えた(イザヤの預言)。
イザヤの40年ほどの活動は、新アッシリア帝国が西アジアを呑み込んでいった時代と重なる。紀元前735年ごろ、北のイスラエル王国とアラムの王が同盟を組み、アッシリアに対抗するよう迫ってユダに攻め込んだ。若いユダの王アハズは、アッシリアに助けを求めようとした。イザヤは王に会い、恐れるな、落ち着いて静かにしていよ、と説いた。そして、しるしとして、若い女が身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエル(神は我らと共にいる)と呼ぶ、と告げた。アハズはイザヤの言葉を聞かず、アッシリアに貢ぎ物を送って保護を求めた。アッシリアは北の同盟軍を打ち破り、紀元前722年ごろには北のイスラエル王国そのものを滅ぼして、住民を各地へ移した(アッシリアの強制移住)。

次の王ヒゼキヤは、宗教の改革を進めるとともに、エジプトと結んでアッシリアからの独立を図った。イザヤはエジプトを頼ることに強く反対し、エジプトに頼る者の行く末を示すため、3年の間、裸足で衣を脱いで歩いたと書かれている。紀元前701年、アッシリア王センナケリブはユダに攻め込み、多くの町を落としてエルサレムを包囲した(センナケリブのエルサレム包囲)。センナケリブの年代記は、ヒゼキヤを籠の鳥のように閉じ込めた、と誇っている。このときイザヤは、アッシリアの王はこの都に入らない、と預言した。聖書は、神の使いが一夜にしてアッシリアの陣営を打ったと伝え、アッシリアの記録は、ヒゼキヤが莫大な貢ぎ物を差し出したと記す。いずれにせよ、エルサレムは落ちずに残った。
イザヤの言葉は、その後の世界に深く刻まれている。剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする、国は国に向かって剣を上げず、もはや戦いを学ばない、という平和の幻は、ニューヨークの国連本部の近くの壁にも刻まれている。狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。切り株から一つの芽が萌え出る。ひとりのみどりごが我らのために生まれた、その名は平和の君と呼ばれる。これらの言葉はキリスト教で救い主の到来の預言と読まれ、ヘンデルの『メサイア』にも歌われた。イザヤは神を「イスラエルの聖なる方」と呼び、その呼び名は書の全体を通じて繰り返し現れる。
ただし、66章ある『イザヤ書』のすべてを、紀元前8世紀のイザヤが書いたわけではない、というのが今日の聖書学の大勢である。40章からは、調子も時代もがらりと変わる。慰めよ、わが民を慰めよ、と始まるこの部分は、バビロン捕囚の末期、紀元前6世紀の半ばの状況を前提とし、ペルシアの王キュロスの名を挙げて、彼を神が油を注いだ者と呼んでいる。異邦人の王が、捕囚の民を解放する神の道具とされたのである(キュロスのバビロン征服)。この部分の作者は、名の分からない預言者として「第二イザヤ」と呼ばれる。さらに56章以下は、捕囚から帰還した後のエルサレムを背景としており、「第三イザヤ」と呼ばれる。イザヤの名のもとに、二百年にわたる預言が一冊にまとめられたと考えられている。

第二イザヤの中には、「主の僕」をうたう四つの詩がある。とくに53章の、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った、屠り場に引かれる小羊のように口を開かなかった、という一節は、キリスト教ではイエスの受難の預言として読まれてきた。ユダヤ教では、この苦しむ僕はイスラエルの民そのものを指すと理解されている。同じ言葉が、二つの宗教でまったく違う意味を担ってきたのである。
1947年、死海のほとりの洞窟で、羊飼いの少年がイザヤ書の巻物を見つけた。長さ7メートルあまりの羊皮紙に、66章のすべてが書かれている。書かれたのは紀元前2世紀ごろと考えられ、ほぼ完全な形で残る聖書の書の写本として、最も古いものである。千年以上後の中世の写本と比べても、本文はほとんど変わっていなかった。

イザヤの最期については、聖書は何も語らない。ユダヤ教の伝承と、後の時代の文書『イザヤの昇天』は、ヒゼキヤの子マナセ王の時代に、イザヤは木の中に隠れたところを、木ごと鋸で挽かれて殺されたと伝えている。新約聖書のヘブライ人への手紙が、信仰の証人たちの中に鋸で挽かれた者を数えているのは、この伝承を指すと考えられている。ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井に、書物を手に振り返るイザヤの姿を描いた。