サムソン(伝承)

概要
髪を切らない誓いの男が、獅子を裂き、ロバの顎で1000人を倒し、ガザの門を担ぎ、デリラに髪を切られて目を潰され、神殿の柱を倒して敵と共に死んだ。士師記の最後の英雄。ヘラクレスに似た話で、太陽神話とも言われる。
場所
31.50°N 34.47°E · パレスチナ
関わった人(1)
サムソン士師本文
サムソンの話は、旧約聖書の士師記13章から16章に置かれている。士師とは、王がまだいなかった時代に、危機のたびに現れてイスラエルの部族を率いた人々のことだ。士師記は、民が神に背き、敵に苦しめられ、救い手が立ち、また背く、という繰り返しで組み立てられている。サムソンはその最後に出てくる士師で、敵はカナンの南の海岸に住むペリシテ人だった。ペリシテ人は、紀元前12世紀ごろにエーゲ海の方面から移ってきた人々(海の民の侵入と青銅器時代の終わり)の一派と考えられ、ガザ、アシュケロン、アシュドド、エクロン、ガトの五つの町を拠点にしていた。
話は誕生から始まる。ダン族のツォルアの町に、マノアという男と、子のできない妻がいた。主の使いが妻に現れ、男の子を産むこと、その子は胎にいるときからナジル人として神に捧げられること、だから妻もぶどう酒を飲まず、子の頭には剃刀を当ててはならないことを告げた。ナジル人の誓いは民数記にも定められているが、ふつうは期間を限るもので、生まれる前から一生というのは異例だった。生まれた子はサムソン(サムソン)と名づけられた。名はヘブライ語の「太陽(シェメシュ)」に由来するとする説が有力で、近くにはベト・シェメシュ、「太陽の家」という町もあった。

大人になったサムソンは、ペリシテの町ティムナで一人の女を見初め、両親に妻に迎えたいと言った。両親は、なぜ割礼のない者たちから妻を取るのかと嘆いた。ティムナへ向かう途中、ぶどう畑で若い獅子が吠えかかると、彼は素手で子山羊を裂くように獅子を裂いた。後に通りかかると、獅子の死骸に蜂が群がり、蜜があった。婚礼の宴で、彼はこれを謎にして30人の客に出した。「食べる者から食べ物が出て、強い者から甘いものが出た」。7日のうちに解けば30着の亜麻の衣と晴れ着を払うという賭けだった。客たちは花嫁を脅し、花嫁は泣いて夫から答えを聞き出した。サムソンは「私の雌牛で耕さなかったなら、謎は解けなかった」と言い捨て、アシュケロンで30人を殺して衣をはぎ、賭けを払った。
それからは報復の連鎖になる。花嫁が別の男に与えられたと知ると、彼は狐300匹を捕らえて尾と尾を結び、松明をつけてペリシテ人の麦畑とオリーブ畑に放った。ペリシテ人は花嫁とその父を焼き殺し、サムソンはまた大勢を打った。ペリシテ人がユダの地に攻め入ると、ユダの人々は3000人でサムソンを縛り、敵に引き渡した。だが縄は火に触れた麻のように解け、彼はそこにあったロバの顎の骨を拾って1000人を倒した。のちにはガザで娼婦の家に入り、待ち伏せを知ると、夜中に町の門の扉を両方の柱と閂ごと引き抜き、肩に担いでヘブロンの向かいの山の頂まで運んだという。

転落はソレクの谷の女デリラから来た。士師記は、サムソンが彼女を「愛した」と書いている。ペリシテの領主たちはデリラに、力の秘密を聞き出せば一人あたり銀1100枚を払うと持ちかけた。サムソンは三度嘘をついた。乾いていない新しい弓の弦7本で縛ればよい、使ったことのない新しい綱で縛ればよい、髪の7つの房を機の縦糸に織り込めばよい。そのたびに縛られ、そのたびに断ち切った。デリラは「あなたは私を愛していない」と毎日責め、サムソンは死ぬほどうんざりして、ついに本当のことを言った。自分は胎にいるときからナジル人で、髪を剃られれば力は去る、と。彼女は膝の上で彼を眠らせ、人を呼んで7つの房を剃らせた。目を覚ましたサムソンは、いつものように振りほどこうとしたが、聖書は「主が彼から去ったことを、彼は知らなかった」と書く。
ペリシテ人は彼の両目をえぐり、ガザに連れて行って青銅の足かせをはめ、牢で臼をひかせた。だが髪はまた伸び始めていた。ペリシテ人は神ダゴンの祭りを開き、見せ物にするためにサムソンを引き出した。建物には大勢がいて、屋上だけで男女3000人が見ていたとされる。サムソンは手を引く若者に、建物を支える柱に触らせてくれと頼み、神に祈った。もう一度だけ力を与えて、二つの目のためにペリシテ人に報いさせてほしい、と。そして「私はペリシテ人と共に死のう」と言って二本の柱を押し、建物は崩れた。士師記は、彼が死ぬときに殺した者は、生きているあいだに殺した者より多かったと結んでいる。彼がイスラエルを裁いたのは20年だったという。
この話が史実かどうかは確かめようがない。士師記は、のちの時代、紀元前7世紀から6世紀ごろにかけて今の形にまとめられたと考える学者が多く、サムソンの話もそれ以前から語られていた民間の英雄譚を取り込んだものと見られている。サムソンは他の士師と違って軍を率いず、民を救うよりも個人の恨みで暴れ回る。獅子を素手で倒し、柱を担ぎ、女に力を奪われる筋はギリシアのヘラクレスとよく似ており、エーゲ海から来たペリシテ人の物語と混ざったのではないかという見方もある。野生の男が女によって力を失う型は、『ギルガメシュ叙事詩』のエンキドゥにも見られる。19世紀には、伸びた髪を太陽の光線、髪を切られることを冬の訪れとみる太陽神話説が唱えられた。いまこの説を支持する人は少ないが、名前が太陽に由来するという点は今も語られる。

後世の読み方はさまざまだった。ユダヤ教の古い注解(ミシュナ)は、サムソンは目の欲するままに行動したので、目をえぐられたのだと説いた。新約聖書のヘブライ人への手紙は、ギデオンやデボラとバラクのバラクと並べて、彼を信仰によって戦った人の一人に数えている。士師記の本文は、彼をそこまでほめてはいない。17世紀のイングランドでは、すでに視力を失っていたミルトン(ミルトン『失楽園』)が、盲目の英雄の最期を劇詩『闘士サムソン』に描いた。レンブラント・ファン・レインは1636年、兵士たちがサムソンの目をえぐる瞬間を大きな画面に描き、その絵はいまフランクフルトのシュテーデル美術館にある。19世紀にはサン=サーンスがオペラ『サムソンとデリラ』を書いた。力と弱さ、誓いと欲望が一人の中で入り混じるこの男は、聖書の英雄の中でもとりわけ人間くさい姿で語り継がれている。