人物

ギュゲス

Gyges
? – BC652年頃
リュディア重要度 3

概要

ヘロドトスでは王妃の裸を見せられた護衛、プラトンでは姿を消す指輪の男。王を殺して王朝を開き、キンメリア人との戦いで死んだ。

関わったできごと(1)

ギュゲスのリュディアBC680年頃 · 王朝を開いた

本文

ギュゲスは紀元前7世紀前半、小アジア西部のリュディアの王になった人である。メルムナス朝の開祖で、この王朝は孫の孫にあたるクロイソスまで続いた。だがこの人について最もよく知られているのは、政治や戦争の記録ではなく、二つの物語である。

一つ目はヘロドトスが『歴史』の冒頭近くに書いた話だ(ヘロドトス『歴史』)。リュディアの王カンダウレスは、自分の妻が世界でいちばん美しいと信じ込み、護衛のギュゲスにもそれを確かめさせようとした。寝室の扉の陰に隠れて、王妃が服を脱ぐところを見よ、というのである。ギュゲスは断ったが、王に押し切られた。王妃は立ち去る男の姿に気づき、翌日ギュゲスを呼んだ。王を殺して自分と王国を得るか、ここで死ぬか、どちらかを選べ。ギュゲスは王を殺し、王妃を娶って王になった。

ヘロドトス『歴史』に関わる図版:POxy v0017 n2099 a 01 hires
ヘロドトス『歴史』Wikimedia Commons Unknown · Public domain

二つ目は、プラトンが『国家』で使った話である。リュディアの羊飼いが地震で開いた裂け目に下り、青銅の馬の中の死体から金の指輪を取った。指輪の玉受けを内側に回すと姿が消え、外へ回すと現れる。男はその力で王宮に入り、王妃と通じ、王を殺して国を奪った。プラトンの作中ではこの羊飼いは「ギュゲスの祖先」とされているが、後世はふつうギュゲス本人の話として語る。作中でこの話を持ち出すのはグラウコンで、誰にも見られないと分かっていても人は正しく振る舞うのか、と問う。正義は人の目を恐れるから守られているだけではないか、という問いである。「ギュゲスの指輪」は、いまも倫理学の思考実験の名前として使われている。

二つの話は筋が違うが、どちらも王を殺して王位を奪ったという一点は同じである。ギュゲスはヘラクレスの子孫を名乗った前の王家を倒した簒奪者で、リュディアの人びとの中にも反発があった。ヘロドトスによれば、争いはデルフォイの神託に委ねられることになった。神託はギュゲスを王と認めたが、前の王家の仇はギュゲスから数えて5代目に報いを受ける、と付け加えた。その5代目がクロイソスで、彼は紀元前6世紀にペルシアに国を滅ぼされる。ヘロドトスはこの予言で、リュディアの興亡を一つの因果の物語にまとめている。

ギュゲスはデルフォイに莫大な贈り物をした。ヘロドトスによれば、銀の奉納品のほかに、重さ30タラントンの金の混酒器を6つ贈り、デルフォイの人はそれを「ギュガダス(ギュゲスの宝)」と呼んだ。ヘロドトスの時代、つまり200年ほど後にも、それはコリントスの人の宝庫に納められていたという。リュディアの富は、都サルディスを流れるパクトロス川の砂金に支えられていた。金と銀の自然の合金である琥珀金は、のちにリュディアで世界最初期のリュディアの鋳造貨幣に使われることになる。

ギリシアの詩人アルキロコスは、ギュゲスを「黄金に富む」者として詠んだ。その詩のなかに、独裁者を意味する「テュランノス」という語が、ギリシア語で知られる最も古い例として現れる。ギリシアの人びとにとって、ギュゲスは成り上がりの富める王の代名詞だった。

ギュゲスは王としても積極的だった(ギュゲスのリュディア)。エーゲ海沿岸のギリシアの都市に兵を出し、ミレトスとスミュルナを攻め、コロポンの町を取ったとヘロドトスは書く。

ギュゲスのリュディアに関わる図版:Der Ring des Gyges (Ferrara 16 Jh)
ギュゲスのリュディアWikimedia Commons Anonymous Unknown author · Public domain

ギュゲスの名は、ギリシアの外の史料にも残っている。アッシリアの王アッシュルバニパルの年代記に、「ルッディの王グッグ」として現れるのである。それによればグッグは夢でアッシリア王の名を告げられ、使者を送って臣従を申し出た。その後、北から侵入してきた遊牧民キンメリア人を破り、捕らえた首長をニネヴェへ送った。キンメリア人は少し前、フリュギアの都を荒らしている(キンメリア人のゴルディオン破壊)。ところがグッグは、やがてアッシリアから離れ、エジプトの王プサメティコスの反乱に兵を送った。アッシュルバニパルは神々に彼を呪ったと記している。まもなくキンメリア人が再び攻め込み、グッグは殺された。この死はふつう紀元前652年ごろとされるが、紀元前644年ごろとする説もある。

ギュゲスの死後、キンメリア人はサルディスに攻め入り、町は城砦を除いて焼かれた。それでも王朝は息子アルデュスに受け継がれ、のちにリュディアは小アジア西部の大国になった。ヘロドトスの物語と、アッシリアの粘土板の記録。二つの史料が同じ王を別の側から照らしている点で、ギュゲスは古代の人物の中でも珍しい存在である。

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