概要
教会を壊し、聖書を焼き、聖職者を投獄し、翌年、全員に犠牲を命じた。10年続き、東方で厳しかった。最後で最大の迫害。それが終わって10年で、皇帝がキリスト教徒になる。
場所
ニコメディア
40.77°N 29.94°E · トルコ・イズミト
40.77°N 29.94°E · トルコ・イズミト
本文
ディオクレティアヌスは20年、迫害をしなかった。 妻と娘はキリスト教徒だと言われた。 宮廷に信徒がいた。 ニコメディアの宮殿の向かいに、教会が建っていた。
303年2月23日、テルミナリア祭の日。 夜明けに兵が教会に入り、聖書を焼き、建物を壊した。 翌日、勅令。 教会を壊せ、聖書を引き渡せ、 信徒の官職と身分を奪え、法廷で訴える権利を奪え。 副帝ガレリウスが強く求めた、とラクタンティウスは書く。 そばにいた。 宮殿が二度火事になり、 ガレリウスがキリスト教徒の仕業だと言った。
第二の勅令、聖職者を投獄せよ。 第三、犠牲を捧げれば釈放。 304年、第四、全員が犠牲を捧げよ。
東では厳しく、 パレスティナのエウセビオスが目撃を書いた。 西では、コンスタンティウス・クロルスは教会を壊しただけで、人を殺さなかった。 ブリタニアとガリアは、ほとんど何も起きなかった。 ローマとアフリカでは、聖書を渡した聖職者(トラディトル)が出て、 それが後にドナトゥス派の分裂の原因になる。
ディオクレティアヌスは305年に退位した。 ガレリウスは311年、死の床で寛容令を出した。 「我々は彼らを正気に戻そうとしたが、 彼らは自分の神を拝み続けた。 彼らが我々と国家のために祈るように、許す」。 313年、ミラノ。
10年。 数千人が死んだと考えられる。 「大迫害」。 コプト教会はディオクレティアヌスの即位の284年を 「殉教者紀元」の元年にして、いまも数えている。