概要
ジェームズ・サマセットは、アフリカで捕らえられ、ヴァージニアで売られた奴隷だった。持ち主の税関の役人に連れられてロンドンへ来たが、1771年に逃げ、捕まって、ジャマイカへ売り飛ばされる船に閉じ込められた。奴隷制に反対する人々が人身保護の令状を求め、イングランドの首席裁判官マンスフィールド卿が審理した。1772年6月22日、マンスフィールドは、奴隷制はあまりに忌まわしく、それを定めた法が無い限り支えられないとして、サマセットを力ずくで国外へ連れ出すことはできないと判断した。イングランドの土に奴隷はいない、という意味に広く受け取られた。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
18世紀のロンドンには、西インド諸島やアメリカから主人に連れられてきた黒人の奴隷が、数千人いたといわれる。イングランドに奴隷制を定めた法は無かったが、禁じる法も無かった。奴隷がイングランドの地を踏めば自由になるのか、それとも主人の持ち物のままなのか、裁判所の判断は揺れていた。
ジェームズ・サマセットは、西アフリカで捕らえられ、ヴァージニアで、ボストンの税関の役人チャールズ・スチュアートに買われた。1769年、スチュアートに連れられてロンドンへ来て、ここで洗礼を受けた。1771年に逃げ出したが、捕まり、ジャマイカへ売られるために、テムズ川に停まる船に鎖でつながれた。洗礼のときの名付け親たちと、奴隷制に反対する活動家グランヴィル・シャープが、人身保護の令状(人身保護法)を求めて裁判所に訴えた。
審理には数か月かかった。首席裁判官マンスフィールド卿は、奴隷を持つ人々の財産が一夜で消えることを恐れ、当事者どうしで片付けるよう何度も促した。だが1772年6月22日、彼は判断を示した。奴隷制はあまりに忌まわしいもので、それを定めた実定の法が無ければ、何ものもそれを支えることはできない。だから、主人が奴隷を力ずくで国外へ連れ出すことは許されない、と。
判決が直接に言ったのは、サマセットを国外へ連れ出せない、ということだけだった。だが傍聴していた黒人たちは歓声を上げ、世の中では、イングランドでは奴隷制は終わった、と受け取られた。1778年にはスコットランドの裁判所が、さらに踏み込んで奴隷制を認めない判断を下す。大西洋の向こうのアメリカの南部では、イギリスの法が奴隷制を脅かすという不安をかきたてた。イギリス帝国の奴隷制そのものが廃止されるのは、60年あまり後のイギリスの奴隷制廃止法である。