概要
牧師の娘と姪が発作を起こし、医師が「魔女の仕業」と診断した。少女たちが名を挙げ、告発が連鎖した。200人以上が告発され、19人が絞首、1人が石で圧死、5人以上が獄死した。決め手になったのは「幽霊証拠」——被害者にしか見えない霊が誰の姿をしていたか——である。マサチューセッツ総督が妻を告発されて裁判所を解散させ、幽霊証拠を禁じると、有罪はほぼ止まった。何を証拠と認めるかが、生死を分けた。
場所
42.52°N -70.90°E · アメリカ・マサチューセッツ州
本文
**マサチューセッツ湾植民地、1692年**。
背景。この植民地は、1684年に特許状を取り消され、1691年に新しい特許状を得たばかりで、統治が不安定だった。北の辺境でフランスと先住民との戦争(ウィリアム王戦争)が続き、難民が流入していた。天然痘。厳しい冬。土地をめぐる古い争い。
セイラム村(現在のダンヴァース)は、隣接するセイラム町から分離しようとして、長く揉めていた。牧師の任免をめぐって、村は二つに割れていた。
**発端**。
1692年1月、村の牧師**サミュエル・パリス**の家。娘ベティ(9歳)と姪アビゲイル・ウィリアムズ(11歳)が、奇妙な発作を起こした。
叫び、物を投げ、身体を捻り、家具の下に潜り込み、意味の通らない声を出す。
医師ウィリアム・グリッグズが診て、原因が分からず、こう言った。「**邪悪な手(Evil Hand)**によるものだ」。
つまり、**魔女の仕業**である。
(後世、原因の推測がいくつも出た。ライ麦の麦角菌による中毒〈幻覚を起こす〉、脳炎、集団ヒステリー、そして単なる子どもの悪ふざけの拡大。どれも決め手を欠く。)
**告発**。
少女たちは、誰が自分を苦しめているのか、と繰り返し問われた。
3人の名が出た。**ティチュバ**(パリス家の奴隷。バルバドスから連れて来られた先住民〈カリブ系〉とされる)、**サラ・グッド**(物乞いをしていた貧しい女性)、**サラ・オズボーン**(教会に来ない、評判の悪い高齢の女性)。
いずれも、共同体の周縁にいる、身を守る力のない者である。
ティチュバは、否認した後、**自白した**。悪魔が黒い犬や豚の姿で現れた。赤い本に署名した。空を飛んだ。そして——**自分以外にも魔女がいる**。
自白した者は処刑されず、否認した者が処刑される、という構造ができた。
告発は連鎖した。
**規模**。
告発された者、200人以上。逮捕、150人以上。
処刑。**19人が絞首**(男性5人、女性14人)。
**ジャイルズ・コーリー**(80歳)。彼は罪状認否を拒んだ。当時の法では、認否をしなければ裁判を進められず、財産の没収もできない。彼は家族に財産を残すため、黙秘した。
自白を強いるため、彼は板の下に置かれ、上に石を積まれた。2日間。彼が発した最後の言葉は、「**もっと重しを(More weight)**」だったと伝えられる。
獄死、少なくとも5人(乳児1人を含む)。
処刑された者の多くは、**告発を否認し続けた人々**である。ジョージ・バロウズ(元セイラムの牧師)は、絞首台の上で主の祈りを完璧に唱えた。魔女には唱えられないはずだった。群衆が動揺した。それでも処刑された。
レベッカ・ナース(71歳)。教会の敬虔な会員で、村の尊敬を集めていた。陪審は最初、無罪の評決を出した。判事が再考を求め、有罪に変わった。
**幽霊証拠(spectral evidence)**。
裁判を動かしたのは、この証拠である。
被害者が言う。「あの人の霊が、私を苦しめている」。他の誰にも見えない。被害者だけに見える。
法廷で、少女たちは被告を指さして悲鳴を上げ、身をよじった。被告が手を動かすと、少女たちも同じように動いた。
**これを証拠として認めるかどうか**が、すべてを決めた。
反対する者はいた。牧師**インクリース・マザー**(コットン・マザーの父、ハーバード学長)が書いた。
「**10人の疑わしい魔女が逃れるほうが、1人の無実の者が有罪とされるより良い**」。
彼の論点。悪魔は、**無実の者の姿を借りることができる**。ならば、霊が誰の姿をしていたかは、その人の有罪の証明にならない。
**終わり**。
1692年10月、告発の手が、有力者に及び始めた。ボストンの牧師の妻。そして——総督**ウィリアム・フィップス**の妻。
10月29日、フィップスは特別法廷(オイヤー・アンド・ターミナー裁判所)を解散させた。
1693年1月、新たに設けられた上級司法裁判所が審理を再開した。今度は、**幽霊証拠を認めなかった**。
有罪判決は、ほぼ止まった。56人のうち3人が有罪、そして全員が総督に赦免された。5月、フィップスは残る全員を釈放した。
**その後**。
1697年、マサチューセッツが公式の断食日を定め、悔悟を表明した。
陪審員12人が署名した謝罪文が残っている。「我々は、当時、そのような事柄について、いかなる者をも理解するに足る知識を持っていなかった。……我々は、無実の血を招き寄せた」。
判事の一人**サミュエル・シューアル**は、教会で公然と自分の罪を認め、以後、生涯、毎年、断食の日を守った。彼は後に、アメリカで最初期の**反奴隷制の文書**(『ヨセフの売却』、1700年)を書いた人でもある。
告発した少女の一人アン・パットナムは、1706年、教会で謝罪した。「私は、あの悲しむべき時に、多くの人と、その家族を、無実の血の罪に巻き込む道具として、用いられました」。
1711年、植民地が有罪判決を無効とし、遺族に賠償を支払った。ただし、全員ではない。最後の名誉回復は、**2001年**である。309年後。
**残ったもの**。
「セイラムの魔女裁判」は、以後、アメリカで、**集団的な熱狂と、疑わしい証拠と、名指しの連鎖**の代名詞になった。
1953年、アーサー・ミラーが戯曲『**るつぼ(The Crucible)**』を書いた。マッカーシズム——共産主義者の摘発——の最中である。名を挙げれば助かる、という構造が、同じだった。
ミラー自身、1956年に下院非米活動委員会に召喚され、他人の名を挙げることを拒んで、議会侮辱罪で有罪になった(後に破棄)。
ヨーロッパでは、15〜18世紀に、**推定4万〜6万人**が魔女として処刑された。セイラムは、その最末期の、規模としては小さな事件である。
それが最も記憶されているのは、記録が詳細に残り、そして**共同体が後から間違いを認めた**、稀な例だからでもある。