『ローマ人の物語』で読むローマ

概要
塩野七生が15年かけて15巻で書いた、建国から西の帝国の終わりまで。このデータベースの第一期と同じ範囲になる。
この物語について
知力ではギリシア人に、体力ではガリア人やゲルマン人に、技術ではエトルリア人に、経済ではカルタゴ人に劣っていたローマ人が、なぜあれだけ大きなものを、あれだけ長く保てたのか。『ローマ人の物語』(塩野七生、1992〜2006年、全15巻)は、第1巻の冒頭に置いたこの問いを、15年かけて書き継いだ本である。
著者はイタリアに長く暮らし、ルネサンスの人物を描いた作品で知られていた作家だった。BC753年の建国からAD476年の西ローマ帝国の終わりまでを、一年に一巻ずつ、ほぼ予定どおりに出し続けた。巻の切り方そのものが著者の見方になっている。共和政の数百年に数巻、ハンニバルとの戦争だけで一巻、カエサル一人に二巻、そして道と水道と医療と教育だけを扱う一巻がある。このデータベースが最初に作ったRomeの物語と、範囲はほぼ重なる。
第1巻「ローマは一日にして成らず」は、ローマの建国の伝承から始まる。ロムルスと七人の王の話を、著者は史実かどうかより、ローマ人が自分たちの始まりをどう語ったかとして書く。王を追い出してタルクィニウスの追放(王政の廃止)に至ると、二人の執政官、元老院、民会という仕組みができ、貴族と平民の長い争いのなかで、慣習法を公開した十二表法が生まれる。法を持つ民、というのが本の最初の見どころになる。ケルト人のローマ略奪で一度は町を焼かれながら、ローマはイタリア半島をまとめていく。ここで著者が強調するのは、負かした相手を滅ぼさずに同盟者とし、ときに市民権まで与えた、敗者を同化するやり方である。
第2巻「ハンニバル戦記」の主役は、敵の将軍のほうになる。第一次ポエニ戦争でシチリアを得たローマに、カルタゴの名門に生まれたハンニバル・バルカは、スペインから象を連れてアルプスを越えて攻め込んだ。第二次ポエニ戦争の山場のカンナエの戦いで、ローマ軍は包囲されて全滅に近い損害を出す。本が重く見るのは、負けたあとローマが何をしたかである。講和を求めず、同盟市の多くも離れず、時間をかけて立て直した。やがて若い大スキピオがスペインを奪い、アフリカに渡ってザマの戦いでハンニバルを破る。著者はこの二人の将軍を、互いを最もよく理解した敵どうしとして描いた。東ではピュドナの戦いでマケドニアが倒れ、紀元前146年のカルタゴ滅亡で巻は終わる。

勝ったあとの国が内側から乱れていく過程が、第3巻「勝者の混迷」になる。属州から富と奴隷が流れ込み、中小の農民が土地を失った。紀元前133年、ティベリウス・グラックスは土地を分け直そうとして元老院議員らに殺され、マリウスはマリウスの軍制改革で土地を持たない者を兵にした。兵は国家ではなく将軍に従うようになり、スッラは軍を率いてローマに入り、やがてスッラの独裁に至る。その間にイタリアでは剣闘士が蜂起し、スパルタクスの反乱が半島を揺さぶる。著者は、共和政の仕組みがもはや大きくなった国に合わなくなっていた、と見る。
本の中心は、続く二巻を充てたガイウス・ユリウス・カエサルである。第4巻「ユリウス・カエサル ルビコン以前」は、借金を重ねながら政界をのぼり、ガリアで8年戦い、アレシアの戦いでウェルキンゲトリクスを降すまでを書く。巻は紀元前49年のルビコン渡河で終わる。第5巻「ルビコン以後」では、ファルサルスの戦いでポンペイウスを破り、敵を殺さずに許す寛容を政策として掲げ、暦や植民市や市民権の改革を一気に進めたカエサルが、紀元前44年3月15日、元老院で刺される。カエサル暗殺である。著者のカエサルへの評価は全巻を通じていちばん高く、共和政を守ろうとした元老院の側、とくにキケロには厳しい。そのあと、マルクス・アントニウスとクレオパトラ7世はアクティウムの海戦で敗れ、翌年のクレオパトラの死とともにエジプトの王朝は終わる。
第6巻「パクス・ロマーナ」は、勝ち残ったアウグストゥスの巻になる。紀元前27年、彼は権力を元老院に返すと言いながら実権を手放さず、共和政の看板を残したまま帝政を作った。元首政の始まり(アウグストゥスの称号)である。本はこの手際を、天才ではない者が天才の構想を実現した仕事として書く。拡大の限界も、彼の時代に来た。紀元9年のトイトブルク森の戦いで三個軍団が失われ、ライン川の東は諦められた。
第7巻「悪名高き皇帝たち」は、ティベリウスからネロまでの、評判の悪い皇帝たちを扱う。著者は、後世の史家タキトゥスやスエトニウスの描いた像を元老院の側から見た評価として読み直し、とくにティベリウスの統治を高く評価した。ネロについても、ローマ大火で放火したという噂をそのまま受け取らず、何をしたかで見ようとする。この読み直しは本の魅力として受け取られたが、史料の扱いが著者の好みに寄りすぎている、という批判も呼んだ。

第8巻「危機と克服」は、ネロのあとの内乱から立ち直る時代になる。ヴェスヴィオ火山の噴火がポンペイを埋め、都ではコロッセウムの完成を迎える。第9巻「賢帝の世紀」では、トラヤヌスのもとでローマ帝国の最大版図を迎えたあと、ハドリアヌスが守りに転じ、ブリタニアにハドリアヌスの長城を築く。ハドリアヌスが治世の多くを帝国の巡察に費やしたことを、著者は細かくたどった。
第10巻「すべての道はローマに通ず」は、この本の独特の巻である。人物も戦争も出てこない。街道、橋、水道、そして医療と教育という、目に見える公共の仕組みだけを一巻かけて書いた。ローマの強さを制度と基盤に見る著者の考えが、いちばんはっきり出ている。

第11巻の題は「終わりの始まり」である。マルクス・アウレリウスの治世にはアントニヌスの疫病が広がり、北の国境で戦いが続いた。哲人皇帝の『自省録』は、その陣中で書かれた。
そこから先は、坂を下っていく。212年のアントニヌス勅令で帝国内の自由人のほとんどに市民権が与えられたことを、本は寛容の到達点ではなく、市民権が努力して得るものではなくなり、その価値と、それを支えていた税と兵役の仕組みが崩れた出来事として、厳しく評価している。この見方には異論も多い。続く三世紀の危機では皇帝が次々に殺され、アウレリアヌスの帝国再統一でようやく帝国がまとまる。ディオクレティアヌスは四人で帝国を分けて治め、コンスタンティヌス1世はミラノ勅令でキリスト教を認め、330年にはコンスタンティノープル遷都を行った。

第14巻の題は「キリストの勝利」である。ここで著者は、古い神々を取り戻そうとしたユリアヌスの異教復興の試みに同情を寄せつつ、その失敗と、ハドリアノポリスの戦いの敗北、そしてキリスト教の国教化を書く。多くの神を認めあう寛容が、唯一の神の下で失われていった、というのが著者の見立てになる。最終巻「ローマ世界の終焉」では、西ゴートのローマ略奪、アッティラの侵入、ヴァンダルのローマ略奪を経て、西ローマ帝国の滅亡に至る。著者はこの終わり方を、劇的な滅亡ではなく、静かに消えていくものとして描いた。
本は大きな反響を呼び、日本でローマ史を読む人の数を大きく増やした。一方で、歴史学者ではなく作家の書いたものなので、史料の読みには専門家からの批判もある。カエサルへの評価の高さと、共和政末期の元老院への評価の低さ、リーダーの資質で歴史を説明しすぎる書き方、そして現代の日本の政治や組織への教訓として読ませる語り口は、その代表になる。ローマを強くしたものとして本が挙げる寛容と公共と法も、その裏で奴隷制と征服に支えられていたことは、本の中でも語られてはいるが、比重は軽い。

この物語は、各巻が扱ったできごとと人物を、このデータベースの側から並べ直したものである。できごとのページには、それが載っている巻を史料として付けてある。本文は写していない。同じローマを最盛期から下り坂として書いたギボンの本を扱う物語物語「『ローマ帝国衰亡史』で読むローマ」と並べると、二つの本が同じ出来事にどれほど違う意味を与えているかが見える。ローマが何を残したかという問いは、道と法と言葉の形で、いまのヨーロッパの地図の上にまだ見えている。
この物語が起きた場所
筋(58)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- カルタゴ国BC814年(伝承) – BC146年第II巻の相手役フェニキア人が築いた西地中海の海洋国家。三度のポエニ戦争でローマに敗れ、市は破壊された。
- ローマ国紀元前8世紀(伝承ではBC753年) – (続く)主役ラティウムの一都市から地中海全域を支配する帝国へ。共和政のまま版図を広げ、内戦を経て帝政に移った。
- ローマの建国できごと紀元前8世紀(伝承ではBC753年4月21日)第I巻。王政の7代を伝承のまま語る伝承ではロムルスがBC753年に建国したとされるが、考古学的には紀元前8世紀の集落の統合としか言えない。ローマ
- タルクィニウスの追放(王政の廃止)できごとBC509年(伝承)第I巻王の息子がルクレティアを犯し、彼女が自殺し、ブルトゥスが短剣を掲げて王を追った。二人の執政官を1年で選ぶ共和政。ブルトゥスは自分の息子二人が王の復帰を謀ったのを処刑した。「王」はそれからローマで最も憎まれる言葉になった。ローマ
- 十二表法できごとBC451年第I巻。法を持った民、という本の見方の始まり慣習法を成文にして公開した。ローマ法の出発点になる。ローマ
- ケルト人のローマ略奪できごとBC390年第I巻ローマが外敵に落とされた数少ない例。以後800年、市が占領されることはなかった。ローマ
- 第一次ポエニ戦争できごとBC264年第II巻23年に及ぶ海の戦い。ローマは艦隊を一から作り、シキリアを最初の属州にした。
- ハンニバル・バルカ人物BC247年 – BC183年(一説にBC181年)第II巻の主役は敵将のほうカルタゴの将軍。アルプスを越えてイタリアに侵入し、カンナエでローマ軍を殲滅した。
- 大スキピオ人物BC236年 – BC183年ザマの戦いでハンニバルを破り、第二次ポエニ戦争を終わらせた。
- 第二次ポエニ戦争できごとBC218年第II巻の本筋ハンニバルのイタリア侵入からザマの敗北まで、17年に及んだローマとカルタゴの戦争。
- カンナエの戦いできごとBC216年8月2日第II巻。負けたあとどうしたか、を本は重く見る中央をあえて後退させる両翼包囲でローマ軍を殲滅。ローマ史上最悪の敗北とされ、以後ローマは会戦を避ける持久戦略へ転じた。カンナエ

- ザマの戦いできごとBC202年スキピオがハンニバルを破り、第二次ポエニ戦争を決した。戦場の正確な位置は今も特定されていない。ザマ(位置は特定されていない)
- ピュドナの戦いできごとBC168年6月22日ローマがマケドニア王国を滅ぼした。ファランクスがレギオンに敗れ、ヘレニズム世界はローマの手に落ちていく。ピュドナ
- ティベリウス・グラックス人物BC163年頃 – BC133年農地改革を進めた護民官。任期中に元老院派に撲殺され、共和政の内乱の世紀が始まる。
- カルタゴ滅亡できごとBC146年第II巻の終わり第三次ポエニ戦争の末、市は破壊され住民は売られた。地中海西部にローマの敵はいなくなった。カルタゴ

- スッラ人物BC138年 – BC78年ローマに軍を入れて独裁官となり、政敵を名簿にして処断した。
- ティベリウス・グラックスの農地改革と暗殺できごとBC133年第III巻。勝った国が内側から乱れはじめる大土地所有を制限する農地法を通したが、任期中に元老院派に撲殺された。ローマ内政に暴力が持ち込まれた画期。ローマ
- マリウスの軍制改革できごとBC107年無産市民を兵に取った。兵は土地を将軍に頼るようになり、軍が個人に忠実になる。ローマ

- キケロ人物BC106年1月3日 – BC43年12月7日カエサルの対抗として、本は厳しく書く弁論家・政治家。共和政の擁護に回り、アントニウスの手で殺された。
- ガイウス・ユリウス・カエサル人物BC100年7月12日(13日説あり) – BC44年3月15日本の中心。二巻を充て、評価はいちばん高いガリアを征服し、ルビコンを渡って内戦に勝ち、終身独裁官となった。暦を作り直した。
- マルクス・アントニウス人物BC83年 – BC30年カエサルの腹心。クレオパトラと結んだが、アクティウムで敗れて自死した。
- スッラの独裁できごとBC82年ローマに軍を入れて独裁官となり、政敵を名簿にして処断した。内乱の前例になる。ローマ
- スパルタクスの反乱できごとBC73年カプアの剣闘士養成所から始まった奴隷反乱。2年にわたりイタリアを揺るがした。カプア
- クレオパトラ7世人物BC69年 – BC30年8月12日(10日説あり)プトレマイオス朝最後の女王。アクティウムの敗北の翌年に自死した。
- アウグストゥス人物BC63年9月23日 – 14年8月19日カエサルの養子。アクティウムで勝ち、共和政の形を残したまま帝政を始めた。
- アレシアの戦いできごとBC52年第IV巻二重の包囲陣でウェルキンゲトリクスを降し、ガリアの組織的抵抗を終わらせた。アレシア
- ルビコン渡河できごとBC49年1月10日第IV巻の終わり。カエサルに二巻を充てている軍を率いて属州の境を越えた時点で内戦が始まった。渡ったとされる川の比定には諸説ある。ルビコン川(位置は特定されていない)

- ファルサルスの戦いできごとBC48年8月9日第V巻兵力で劣るカエサルがポンペイウスを破り、内戦の帰趨を決した。ファルサルス

- カエサル暗殺できごとBC44年3月15日第V巻元老院会議の場で共和派の一団に刺殺された。共和政の回復ではなく、次の内戦の始まりになった。ローマ

- アクティウムの海戦できごとBC31年9月2日オクタウィアヌスがアントニウスとクレオパトラの艦隊を破り、ローマ世界の唯一の勝者となった。アクティウム

- クレオパトラの死できごとBC30年8月12日(10日説あり)プトレマイオス朝が終わり、エジプトはローマの属州になった。死の日付には異説がある。アレクサンドリア

- 元首政の始まり(アウグストゥスの称号)できごとBC27年1月16日第VI巻。帝政を「共和政の看板を残したまま」作った、と本は書くオクタウィアヌスが元老院で「すべての権限を返す」と言い、元老院が「受け取ってほしい」と頼み、属州の半分と軍を10年預けた。3日後、「アウグストゥス」。「尊厳ある者」。共和政の形を残して、一人が治める。「プリンケプス」、第一の市民。皇帝という語はまだない。ローマ
- トイトブルク森の戦いできごとAD9年3個軍団が全滅し、ローマはライン川より東への拡大を諦めた。ヨーロッパの東西を分ける線がここで決まる。トイトブルク森(位置は特定されていない)
- ネロ人物37年12月15日 – 68年6月9日ローマ大火の責をキリスト教徒に負わせたと伝わる。反乱に追われて自死し、王朝が絶えた。
- トラヤヌス人物53年9月18日 – 117年8月8日ダキアとメソポタミアを加え、帝国の版図を最大にした。属州出身の最初の皇帝。
- ローマ大火できごとAD64年7月第VII巻。ネロを含む「悪名高き皇帝たち」の評価を本は見直す市の大半が焼けた。ネロが放火犯としてキリスト教徒を処断したとタキトゥスは書く。ローマ

- ハドリアヌス人物76年1月24日 – 138年7月10日拡大をやめて境界を固めた。ブリタンニアに長城を築き、帝国中を巡った。
- ヴェスヴィオ火山の噴火できごと79年8月24日(近年は10月説が有力)第VIII巻ポンペイとヘルクラネウムが埋まった。小プリニウスの書簡が当時の様子を伝える唯一の同時代記録。ポンペイ

- コロッセウムの完成できごとAD80年5万人を収容した円形闘技場。トラバーチンの石を積み上げて建てられた。ローマ
- ローマ帝国の最大版図できごとAD117年第IX巻。五賢帝の世紀版図がここで頂点に達した。以後の皇帝は広げるのではなく守る側に回る。ローマ
- マルクス・アウレリウス人物121年4月26日 – 180年3月17日五賢帝の最後。北方の戦陣で自らへの覚え書き『自省録』を書いた。
- ハドリアヌスの長城できごとAD122年拡大をやめて境界を固める方針の象徴。全長117kmの石壁が島を横切った。ハドリアヌスの長城(位置は特定されていない)
- アントニヌスの疫病できごと165年第IX巻。哲人皇帝の治世の裏側東方遠征から戻った軍が持ち帰った。天然痘とされる。帝国の人口の1割前後が死に、マルクス・アウレリウスの治世の背景になる。ローマ

- アントニヌス勅令できごとAD212年第XI巻。市民権を全員に配ったことを、本は「終わりの始まり」と見るカラカラが帝国の自由人全員にローマ市民権を与えた。属州民も。「神々に感謝する者を増やすため」と勅令は言い、ディオは「相続税を取るため」と書いた。市民と属州民の区別が消え、「ローマ人」が地中海の人全部の名になった。ローマ

- 三世紀の危機できごと235年第XII巻50年で20人を超える皇帝が立ち、疫病と内戦と侵入が重なった。帝国は分裂の一歩手前まで行く。
- ディオクレティアヌス人物AD244年頃 – 311年帝国を四人で分けて統治し、三世紀の危機を収めた。自ら退位した数少ない皇帝。
- コンスタンティヌス1世人物AD272年頃 – 337年5月22日キリスト教を公認し、ビザンティウムに新都を築いた。帝国の重心が東へ移る。
- アウレリアヌスの帝国再統一できごとAD274年三つに割れた帝国を、5年でひとつに戻した。パルミラを落とし、ガリアを取り戻し、ローマに城壁を築く。「世界の回復者」と刻まれ、翌年に部下に殺された。ローマ
- ミラノ勅令できごとAD313年第XIII巻キリスト教を含むすべての信仰を認めた。300年続いた迫害が終わる。メディオラヌム

- コンスタンティノープル遷都できごとAD330年帝国の重心が東へ移った。この都はこの後1100年以上続く。コンスタンティノープル
- ユリアヌス人物AD331年 – AD363年6月26日一族を殺されて育った皇族の学者が、皇帝になって古い神々を戻そうとした。2年でペルシアの戦場に死ぬ。「背教者」の名は勝った側が付けた。
- ユリアヌスの異教復興できごとAD361年第XIV巻キリスト教徒として育てられた皇帝が、即位すると古い神々の祭祀を戻した。2年後にペルシア遠征で死に、以後の皇帝は全員キリスト教徒になる。コンスタンティノープル
- ハドリアノポリスの戦いできごとAD378年8月9日フン人に追われて帝国内に入ったゴート人が、飢えと役人の搾取で反乱し、皇帝の軍を破って皇帝を殺した。帝国は以後、ゴート人を内側に抱えて生きる。ハドリアノポリス(エディルネ)

- キリスト教の国教化できごとAD380年第XIV巻の題は「キリストの勝利」テオドシウス帝がニケーア信条を国家の信仰と定めた。他の祭祀は禁じられていく。
- 西ゴートのローマ略奪できごとAD410年8月24日第XV巻800年ぶりに市が落ちた。滅亡の66年前だが、同時代の人はここで世界が終わったように書いている。ローマ

- アッティラ人物? – AD453年東西のローマから貢納を取り立て、ガリアとイタリアを荒らした。死ぬと帝国は数年で消える。
- ヴァンダルのローマ略奪できごとAD455年海から来て2週間かけて運び出した。「ヴァンダリズム」という言葉はこの一件から作られた。ローマ

- 西ローマ帝国の滅亡できごとAD476年第XV巻の終わり最後の皇帝が退位させられた。古代の終わりの目印として使われるが、当時そう感じた人はいなかった。ラヴェンナ
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