概要
ボクシングの世界ヘビー級王者カシアス・クレイは、1964年、イスラムの教えに入り、モハメド・アリと名を改めた。ベトナム戦争が激しくなると、アリにも徴兵の通知が来た。1967年4月28日、ヒューストンの徴兵の場で、アリは名前を呼ばれても前に進み出ず、入隊を拒んだ。信仰を理由に、自分を差別する国のために、自分に何もしていないベトナムの人々と戦うことはできないと語った。アリは王座を奪われ、3年半にわたって試合を禁じられた。1971年、最高裁判所は有罪の判決を覆し、アリは1974年に王座を取り戻した。
場所
29.76°N -95.37°E · アメリカ・テキサス州
本文
カシアス・クレイは、1942年、ケンタッキー州ルイヴィルの黒人の家庭に生まれた。12歳のとき、自転車を盗まれて警官に訴えたことがきっかけでボクシングを始めた。1960年のローマ・オリンピックのライトヘビー級で金メダルを取ったが、故郷に戻ると、黒人だという理由でレストランで食事を断られた。
プロになったクレイは、軽快な足さばきと速い拳、そして詩のような大言壮語で人気を集めた。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」。1964年、22歳で、世界ヘビー級王者ソニー・リストンを破り、王座に就いた。その直後、彼は黒人のイスラムの団体「ネーション・オブ・イスラム」に加わったことを明らかにし、奴隷の主人から与えられた名を捨てて、モハメド・アリと名乗った。多くの白人、そして一部の黒人の指導者からも、強い反発を受けた。
1960年代の半ば、アメリカはベトナム戦争(ベトナム戦争)に深く入り込み、若者たちを次々に徴兵していた。1966年、アリにも徴兵の通知が届いた。アリは、イスラムの聖職者として兵役を免除されるべきだと主張したが、認められなかった。彼は記者たちに、自分はベトナムの人々と争う理由は何もない、彼らは自分を差別したことはない、と語った。
1967年4月28日、ヒューストンの徴兵の場で、アリは、名前を三度呼ばれても前に進み出ず、入隊を拒んだ。その日のうちに、ボクシングの団体は彼の王座を取り上げ、各州は彼に試合の許可を出さなくなった。6月、アリは徴兵忌避の罪で有罪となり、禁錮5年と罰金を言い渡された。アリは上訴を続けながら、3年半のあいだリングに上がれず、全国の大学を回って講演した。ベトナム戦争への反対が広がるにつれ、アリの姿勢は、戦争と人種差別に抗う良心の象徴として、若者や公民権運動の人々に支持されるようになった(キング牧師)。
1970年、アリはリングに復帰した。1971年6月、最高裁判所は、全員一致でアリの有罪の判決を覆した。1974年、アリはザイール(いまのコンゴ民主共和国)のキンシャサで、若い王者ジョージ・フォアマンを破り、王座を取り戻した。「キンシャサの奇跡」と呼ばれる。のちにアリはパーキンソン病を患い、1996年のアトランタ・オリンピックの開会式では、震える手で聖火台に火をともし、世界の人々の胸を打った。