概要
アメリカ南部で黒人がリンチにあい、木に吊るされた姿を「奇妙な果実」にたとえた詩を書いたのは、ニューヨークの高校の教師エイベル・ミーロポルだった。リンチの写真を見て書いたという。1939年、白人と黒人が同じ客席に座れる初めてのナイトクラブで、ビリー・ホリデイがこれを歌う。大手のレコード会社は録音を断り、小さな会社が4月20日に録音した。放送を拒む局も多かった。黒人への暴力を正面から歌った最初の歌の一つで、のちの公民権運動の先ぶれとも言われる。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
19世紀の終わりから20世紀の前半にかけて、アメリカの南部では、黒人が裁判を経ずに白人の群衆に殺されるリンチが数千件起きた。殺された人は木に吊るされ、群衆が集まって見物し、その写真が絵葉書になって売られることさえあった。
ニューヨークのブロンクスの高校で英語を教えていたエイベル・ミーロポルは、ユダヤ系の移民の子で、共産党に加わっていた。1930年にインディアナ州で起きたリンチの写真を見て、眠れなくなったという。彼はルイス・アランという筆名で詩を書き、自ら曲も付けた。南部ののどかな景色と、そこに吊るされた遺体を並べて描く歌である。
1939年、ミーロポルはこの歌を、ニューヨークのナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」に持ち込んだ。白人と黒人の客を分けずに入れる、当時は珍しい店だった。そこで歌っていたのが、20代の半ばにさしかかったビリー・ホリデイである。店は、この歌を夜の最後に歌わせた。店じゅうの明かりを消し、彼女の顔にだけ光を当て、歌い終わると客を帰した。
ホリデイが契約していたコロンビアは、南部の客の反発を恐れて録音を断った。1939年4月20日、小さなコモドア・レコードが録音し、売り出す。多くのラジオ局は放送しなかったが、レコードはよく売れた。ホリデイはその後もこの歌を歌い続け、そのために警察と当局から目を付けられたとも言われる。1999年、アメリカの雑誌『タイム』は、この歌を「世紀の歌」に選んだ。モンゴメリー・バス・ボイコットが起きるのは、この16年後である。