概要
1959年1月12日、自動車の町デトロイトで、フォードの工場の流れ作業で働いた経験のあるベリー・ゴーディが、家族から借りた800ドルでレコード会社を興した。町の呼び名「モーター・タウン」からモータウンと名づける。近所の若者を集め、作曲、演奏、歌い方、振り付け、舞台での礼儀まで社内で教え、毎週の会議で出す曲を選んだ。シュープリームス、テンプテーションズ、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ。黒人が作り、黒人が経営する会社の音楽が、白人の若者の順位の上位を占めた。
場所
42.33°N -83.05°E · アメリカ・ミシガン州
本文
デトロイトは、20世紀の前半、自動車の工場の仕事を求めて、南部から多くの黒人が移り住んだ町だった。ベリー・ゴーディはその町で育ち、ボクサーを目指し、ジャズのレコード店を開いて潰し、リンカーン・マーキュリーの工場の流れ作業で車に部品を付ける仕事をした。そのかたわら歌を書き、歌い手に提供していた。
歌が売れても、作った者に入るお金はわずかだった。1959年1月12日、ゴーディは家族から800ドルを借りて、自分のレコード会社を作る。町の呼び名「モーター・タウン」を縮めて、モータウンと名づけた。家を買い取って一階を事務所とスタジオにし、玄関に「ヒッツヴィルUSA」と看板を掲げた。
ゴーディは、工場で見た流れ作業を、音楽作りに持ち込んだ。専属の作曲家が歌を書き、専属の演奏家たちが伴奏を録り、歌い手が歌を入れる。歌い手たちには、立ち居振る舞い、話し方、衣装、舞台での踊りを教える部門もあった。毎週金曜の朝の会議で、出す曲を皆で聴いて選ぶ。売れるかどうか分からない曲は出さない。
シュープリームス、テンプテーションズ、フォー・トップス、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、盲目の少年だったスティーヴィー・ワンダー。モータウンの歌は、白人の若者も買う全国の順位の上位を占めた。人種の分離がまだ残る時代に、黒人が経営し、黒人の歌い手が歌う会社の音楽が、アメリカの若者みんなの音楽になった。1970年代にはマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」のように、戦争や差別を問う歌も生まれている。会社は1972年にロサンゼルスへ移った。