概要
1920年4月、マサチューセッツ州の靴工場で給料を運んでいた会計係と警備員が撃ち殺され、金が奪われた。捕まったのは、イタリアから来た移民の無政府主義者、靴職人のニコラ・サッコと魚の行商人バルトロメオ・ヴァンゼッティだった。第一次世界大戦のあと、アメリカでは共産主義と移民への恐れが高まっていた。1921年の裁判で、証拠は乏しく食い違っていたが、二人の思想を憎む判事のもとで死刑が言い渡される。別の男が自分も加わっていたと告白しても、裁判はやり直されなかった。世界中で抗議が起きるなか、1927年8月23日、二人は電気椅子で処刑された。
場所
42.36°N -71.06°E · アメリカ・マサチューセッツ州
本文
第一次世界大戦が終わった1919年、アメリカでは、ロシア革命の飛び火を恐れる空気が広がっていた。各地でストライキが起き、無政府主義者による爆弾事件が続いた。司法長官パーマーは、外国生まれの急進派を一斉に捕らえ、数百人を国外へ追放した。のちに「赤の恐怖」と呼ばれる時代である。とりわけ、南欧や東欧から来た新しい移民が疑いの目で見られた。
1920年4月15日、ボストンの南の町サウス・ブレントリーで、靴工場の給料を運んでいた会計係と警備員が、二人組の男に撃ち殺され、現金が奪われた。3週間後、警察は、イタリア移民で無政府主義者のニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティを捕まえた。二人は拳銃を持っていて、捕まったときに嘘をついた。急進派の仲間が追放されることを恐れていたからだと、のちに説明している。
1921年の裁判で、検察の証拠は弱かった。目撃者の証言は食い違い、銃弾の鑑定も争われた。だが、判事ウェブスター・セイヤーは二人の思想と出自への敵意を隠さず、検察は二人が兵役を逃れたことや無政府主義の信条を繰り返し持ち出した。陪審は二人を有罪とし、死刑が言い渡された。
二人の弁護は何年も続いた。1925年には、獄中の別の男が、自分もこの事件に加わっていたと告白したが、セイヤー判事はやり直しの申し立てを次々と退けた。州知事が任命した委員会も、裁判は公正だったと結論した。二人の運命は世界中の関心を集め、ヨーロッパや南米の都市で大きな抗議が起き、作家や学者が助命を求めた。
1927年8月23日の深夜、二人はボストンの州刑務所で電気椅子にかけられた。ヴァンゼッティは最後に、自分は無実だと繰り返した。二人が実際に罪を犯したのかどうかは、いまも議論がある。だが、偏見に満ちた裁判で人が裁かれたことは、広く認められている。1977年、マサチューセッツ州の知事は、二人は公正な裁判を受けなかったと公式に宣言した。