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Event / できごと

ローデシアの一方的独立宣言

Rhodesia's Unilateral Declaration of Independence
AD1965年11月11日
重要度 3
スーダンザイール南アフリカチャドアンゴラタンザニアナイジェリアナミビアモザンビークザンビアソマリア中央アフリカ共和国ボツワナマダガスカルケニアカメルーンジンバブエコンゴコートジボワールギニアガボンウガンダガーナベナンマラウイリベリアシエラレオネAD1965年11月11日ハラレ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1965年11月11日の版図を描いています(27勢力)。

概要

アフリカの植民地が次々に独立するなか、イギリスは南ローデシアに、多数派の黒人が政治に加わることを独立の条件とした。人口の一割に満たない白人の政府は、これを拒む。1965年11月11日、首相イアン・スミスは、イギリスからの独立を一方的に宣言した。どの国も承認せず、国連は経済の制裁を科したが、隣の南アフリカなどの支えで、白人の支配は十五年続く。黒人の解放勢力とのゲリラ戦で、数万人が死んだ。

場所

ハラレ
-17.83°N 31.03°E · ジンバブエ

本文

多数派の条件。

アフリカの植民地が次々に独立するなか。

(1)イギリスは南ローデシアに、多数派の黒人が政治に加わることを、独立の条件とした。

(2)そして、人口の一割に満たない白人の政府は、これを拒んだ。

1965年11月11日。

首相イアン・スミスは、イギリスからの独立を一方的に宣言した。

(1)どの国も承認しなかった。

(2)そして、国連は経済の制裁を科した。

十五年の支配。

隣の南アフリカなどの支えで、白人の支配は十五年続いた。

黒人の解放勢力とのゲリラ戦で、数万人が死んだ。

残ること。

少数派が、独立の名で支配を守ろうとした。

アパルトヘイトの終結の南アフリカと同じく、その支配は力と制裁の中で崩れた。次がジンバブエの独立である。

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