概要
1950年代の半ば、アメリカのセントルイスに、11階建ての33棟からなる巨大な公営住宅、プルーイット=アイゴーが完成した。設計したのは、のちにニューヨークの世界貿易センターを設計する日系の建築家ミノル・ヤマサキだった。だが、住む人の多くを占めた貧しい黒人の家族の暮らしは支えられず、維持の予算も足りず、建物は荒れ、犯罪と空き家が増えた。1972年3月16日、最初の棟が爆破されて崩れ落ちる様子がテレビで流れた。ある建築の評論家は、近代建築はこの日に死んだと書いた。
場所
38.63°N -90.20°E · アメリカ・ミズーリ州
本文
第二次世界大戦のあと、アメリカの連邦政府は、都市の古い貧民街を取り壊し、そこに住む人々のために公営住宅を建てる事業を進めた。ミズーリ州のセントルイスでも、市の北部の古い地区が取り壊され、巨大な公営住宅の団地が計画された。
設計を任されたのは、日系二世の建築家ミノル・ヤマサキだった。ヤマサキの事務所は、ル・コルビュジエの考え(ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオン)にならって、緑地の中に11階建ての高層の棟を33棟並べ、2870戸の住まいを収める計画を立てた。エレベーターは3つの階ごとにしか止まらず、その階には、住民が集まる広い廊下が設けられた。建築の雑誌は、これを優れた設計として称賛した。団地は1954年から1956年にかけて完成し、はじめは白人の住むアイゴー地区と黒人の住むプルーイット地区に分けられていたが、まもなく人種の分離は撤廃され、白人の住民は去っていった。
団地は、すぐに荒れ始めた。住民の多くは、仕事の少ない貧しい黒人の家族で、とくに母子の家族が多かった。当時の福祉の制度は、家に働ける男性がいると給付を止めたため、父親たちは家を出ざるを得なかった。家賃の収入だけで建物を保守する決まりのため、維持の費用は足りず、壊れたエレベーターや窓、照明は直されなかった。エレベーターの止まる広い廊下は、人の目の届かない、犯罪の場になった。空き家は増え、1960年代の末には、多くの棟が半ば無人になった。
1972年3月16日、市は最初の棟を爆薬で取り壊した。崩れ落ちる高層の棟の映像は、テレビで全米に流れた。残りの棟も、1976年までにすべて取り壊された。建築の評論家チャールズ・ジェンクスは、近代建築はこの日、セントルイスで死んだと書いた。プルーイット=アイゴーは、ル・コルビュジエ流の高層の団地と、上からの都市計画の失敗の象徴とされた。
のちの研究者たちは、失敗の原因は建物の設計だけにあるのではないと指摘している。人種の差別、都市から仕事と白人の住民が郊外へ逃げ出したこと、公営住宅への予算の乏しさ、福祉の制度の欠陥。団地は、そうした社会の問題が一か所に集められた場所だった。ヤマサキは、その後ニューヨークの世界貿易センターを設計し、その建物は2001年の同時多発テロで崩れ落ちた(9・11同時多発テロ)。