概要
1844年、ペルシアのシーラーズで、バーブと名乗る青年が、神から遣わされた新しい使者の到来が近いと説き、1850年に処刑された。その信徒の一人で、追放されてオスマン帝国のバグダードにいたバハオラは、1863年4月、町の外の庭園で、自分こそバーブが予告した者だと仲間に告げた。バハイ教の始まりである。神は一つで、すべての宗教はその同じ神の教えであり、人類は一つの家族だと説いた。男女の平等、すべての人への教育、科学と宗教の調和も掲げた。バハオラはさらにイスタンブル、エディルネ、パレスティナのアッコへと流され、そこで生涯を終えた。
場所
33.32°N 44.37°E · イラク
本文
19世紀のペルシアのシーア派のイスラムでは、隠れた第12代のイマームが、いつか救世主として戻ってくると信じられていた。1844年5月、シーラーズの商人の青年セイイェド・アリー・モハンマドは、自分はその救世主へ通じる「門」、すなわちバーブであると宣言した。
バーブの教えは、イスラムの法を改める大胆なもので、ペルシアの各地で多くの信徒を集めた。宗教の指導者たちと国は、これを危険な異端とみなし、信徒たちの蜂起を武力で鎮め、何千人もを殺した。1850年、バーブ自身もタブリーズの広場で銃殺された。バーブは、自分のあとに、神がもっと偉大な者を遣わすと予告していた。
バーブの信徒の一人、貴族の家に生まれたミールザー・ホセイン・アリーは、1852年に投獄され、翌年、ペルシアから追放されて、オスマン帝国の町バグダードに移った。彼はバハオラ、すなわち「神の栄光」と呼ばれた。1863年4月、オスマン帝国の政府がさらに遠くへ移すことを決めると、彼は旅立つ前の12日間、町の外の庭園に滞在し、そこで近しい人々に、自分こそバーブが予告した者だと告げた。バハイの信徒はこの12日間を最も大事な祭りとしている。
バハオラは、神は一つであり、モーセもイエスもムハンマドもブッダも、同じ神が時代ごとに遣わした使者だと説いた。人類は一つで、人種や国の違いによる偏見を捨て、世界は一つの共同体としてまとまるべきだとした。男女の平等、すべての子どもへの教育、科学と宗教の調和、世界の共通の言葉、貧富の極端な差をなくすことも唱えた。
バハオラは、イスタンブル、エディルネへと移されたのち、1868年、パレスティナのアッコの牢獄の町に送られ、1892年にそこで亡くなった。教えは息子アブドゥル・バハーらによって欧米にも広まった。いまでは世界の多くの国に信徒がいて、本部はイスラエルのハイファにある。一方、生まれた国イランでは、とくに1979年のイラン革命のあと、信徒は厳しい迫害を受け続けている。