概要
19世紀のハワイ王国では、宣教師が作ったハワイ語の書き方が広まり、国民の多くが読み書きでき、ハワイ語の新聞が何十も出ていた。1893年、アメリカ系の白人たちが女王リリウオカラニを退位させて王国を倒すと、1896年、新しい政府は、学校の授業を英語で行うことを法で定めた。子どもたちは学校でハワイ語を話すと罰せられ、ハワイ語を話す家庭は急に減った。1980年代には、ハワイ語を母語とする子どもは数十人しかいなかった。1978年、ハワイ州はハワイ語を英語と並ぶ公用語とし、1980年代から、ハワイ語だけで育てる幼稚園と学校が作られ、言葉は少しずつ息を吹き返している。
場所
21.31°N -157.86°E · アメリカ・ハワイ州
本文
1820年に、アメリカからプロテスタントの宣教師たちがハワイにやってきた。彼らは、文字を持たなかったハワイ語を、12の文字で書き表す方法を作り、聖書を訳して、ハワイの人々に読み書きを教えた。読み書きは驚くほどの速さで広がり、19世紀の半ばには、ハワイ王国の国民の大多数が自分の言葉で読み書きできたといわれる。ハワイ語の新聞は百を超える紙名が出され、神話や歴史、系譜が書き残された。
だが19世紀の後半、砂糖の農園を経営するアメリカ系の白人たちが、王国の政治と経済に強い力を持つようになった。1893年、彼らはアメリカの兵の支えを得て、女王リリウオカラニを退位させ、王国を倒した(ハワイ王国の転覆)。1898年、ハワイはアメリカに併合された。
1896年、白人たちが作ったハワイ共和国の政府は、公立と私立のすべての学校で、英語を授業の言葉とする法を定めた。ハワイ語で教えることは事実上禁じられた。学校でハワイ語を話した子どもは罰を受け、親たちも、子どもが社会で生きていくには英語が要ると考えて、家でハワイ語を話さなくなった。ハワイ語の新聞は次々に消えた。20世紀の後半には、ハワイ語を母語として話すのは、主に年配の人々と、ニイハウ島の小さな共同体だけになった。1980年代のはじめ、ハワイ語を母語とする子どもは、50人に満たなかったとされる。
1970年代、ハワイの人々の間で、自分たちの文化と土地と言葉を取り戻そうとする運動が高まった。伝統の航海術で星を頼りにタヒチまで航海したホクレア号(ホクレア号のタヒチ航海)も、その象徴の一つだった。1978年、ハワイ州の憲法は、ハワイ語を英語と並ぶ州の公用語と定めた。
1983年、ハワイ語の教師たちは、ニュージーランドのマオリの人々の「言葉の巣」と呼ばれる幼稚園にならって、子どもたちをハワイ語だけで育てる幼稚園「プーナナ・レオ」を作った。1986年、学校でハワイ語で教えることを禁じた法が改められ、その後、幼稚園から高校まで、すべてをハワイ語で学べる学校が作られた。ハワイ大学では、ハワイ語で博士の学位まで取れるようになった。ハワイ語の復活は、消えかけた言葉を取り戻した例として、世界の少数言語の運動の手本になっている。