『地に呪われたる者』で読む脱植民地

概要
植民地支配が人の心に何をするかを、精神科医が診察室から書いた。36歳で死ぬ年に口述された本。
この物語について
植民地にされるとは、土地や富を奪われることだけなのか。人の心に、何が起きるのか。
『地に呪われたる者』(フランツ・ファノン、1961年、日本語版1969年)は、著者が白血病と診断されたあと、10週間ほどで口述された。刊行からほどなく、著者は36歳で死んでいる。題は、社会主義の歌「インターナショナル」の冒頭の一句から取られている。

フランツ・ファノンは1925年、カリブ海のフランス領マルティニークに生まれた。高校では、植民地の黒人の誇りを唱えた詩人エメ・セゼールに学んでいる。第二次世界大戦では自由フランス軍に志願し、ヨーロッパの戦線で負傷した。フランス本国のために戦ったのに、本国では黒人として見られる。その経験が、のちの仕事の出発点になった。リヨンで医学と精神医学を学び、1952年に最初の本『黒い皮膚・白い仮面』を出す。
1953年、彼はアルジェリアの精神病院の医長になった。翌年の秋、アルジェリア戦争が始まる。そのきっかけには、半年前に遠いインドシナで起きたディエンビエンフーの戦いがあった。フランス軍が植民地の軍に包囲されて降伏したことは、植民地は勝てる、という知らせとしてアルジェリアにも届いた。その9年前には、セティフの虐殺が起きている。1945年5月8日、ヨーロッパで戦争が終わったその日に、セティフの町で独立を求める行進が衝突になり、フランス側の報復で多くのアルジェリア人が殺された。死者の数は、フランス側の発表の千数百人から、アルジェリア側の4万5千人まで、大きく食い違っている。

病院でファノンは、拷問された側のアルジェリア人と、拷問した側のフランス人警官の両方を診た。眠れず、家族に暴力をふるうようになった警官もいた。1956年、彼は辞職の手紙を書いて病院を去り、チュニスで独立派の民族解放戦線(FLN)に加わった。機関紙に書き、のちには臨時政府の使者としてガーナに駐在して、アフリカ各地の独立運動の指導者たちと会った。1958年にアクラで開かれた全アフリカ人民会議でも演説している。本の最後の章は、その病院時代の症例の記録になっている。病院では、患者を鎖や隔離で扱うのではなく、患者どうしで新聞を作り、喫茶の場を開き、祭りを祝う治療を試みていた。ヨーロッパ人とムスリムの患者で同じ方法が効かないことに気づき、文化を抜きにした治療はできない、と考えるようになった。
中心の主張は、植民地支配それ自体が暴力の体系だ、というものになる。植民地の町は二つに分かれている。明るく舗装された入植者の町と、暗く密集した原住民の町である。支配される側は、自分を劣った者として内面化する。その歪みは、まず同胞への暴力として出る。支配者に向けられない怒りが、隣人や家族に向かう。

第2章は、誰が独立をになうかを問う。著者は、植民地の都市の労働者や政党の幹部を、すでに植民地の仕組みの中で小さな特権を持つ者として疑い、農民と、都市の周りに流れ込んだ根なしの人びとに、変革の力を見た。マルクス主義が労働者に置いた役を、農民に置き直したことになる。
第4章は、民族の文化を扱う。1959年にローマで開かれた黒人作家・芸術家の会議での報告がもとになっている。植民地の知識人は、まず支配者の文化をまねし、次に失われた過去の栄光を掘り起こし、最後に、闘う人びとの中で新しい文化を作る側に回る、と著者は三つの段階を描いた。過去を飾るだけの文化は、博物館の中の文化にすぎない、という。
本のいちばん有名な部分であり、いちばん論争になった部分は、暴力についての第1章になる。暴力によって植民地の人間は自分を取り戻す、という読み方ができる書き方で、のちに多くの武装闘争の手引きとして読まれた。哲学者サルトルが付けた序文は、その面をさらに強く打ち出した。二人は1961年の夏にローマで会い、病をおして何日も語り合ったと伝えられる。のちに、妻ジョジーの意向で序文が外された版もあったとされる。本文そのものは、暴力をたたえるより、それがどう生まれ、人をどう壊すかを診察している、という読み方も強い。哲学者アーレントは1970年の『暴力について』で、暴力が人を生まれ変わらせるという考えを厳しく批判し、その矛先をとくにサルトルの序文に向けた。
第3章は、独立後を予言している。植民地の支配層が去ったあと、その場所に現地のエリートが座るだけなら、何も変わらない。彼らは本国の商人の代わりに仲介をし、首都に富を集め、一つの党と一人の指導者に権力をまとめ、農村を忘れる。アフリカの独立後に実際に起きたことを、独立の前に書いていた。アルジェリア自身も、独立から3年後の1965年に軍のクーデターが起き、一つの党が長く国を治めることになる。1960年に独立したばかりのコンゴでは、コンゴ動乱のなかで首相ルムンバが捕らえられ、1961年の初めに殺された。ファノンはルムンバを知っており、その死を、独立が外の力と内の裏切りに呑まれる例として書いている。

本の結びは、ヨーロッパをまねるのはやめよう、という呼びかけで終わる。人間について語りながら、いたるところで人間を殺してきたヨーロッパの後を追うのではなく、新しい人間を作ろう、と。
アルジェリアの戦争は1962年まで続き、拷問と報復が両側で重ねられた。アルジェリア側の死者の数は、研究者の推計で数十万、アルジェリア政府は150万と言い、いまも一致していない。本は、植民地主義の長い根もたどる。大西洋奴隷貿易がカリブとアメリカに作った社会、そして1791年に始まるハイチ革命。奴隷が自分たちの力で独立を勝ち取った最初の例は、トゥサン・ルヴェルチュールが率いた。ケニアではマウマウ団の反乱がイギリスの激しい弾圧を受けた。その指導者と見なされて投獄されたジョモ・ケニヤッタは、独立後に首相となり、のちに大統領として長く国を率いた。

ファノンは1961年12月、治療のために渡ったアメリカで死に、遺体はアルジェリアに運ばれて葬られた。アルジェリアが独立したのは、その翌年の7月だった。彼が勤めたブリダの病院は、のちに彼の名を冠して呼ばれるようになった。本は刊行直後にフランスで差し押さえられたが、世界の言葉に訳されていく。ギニアビサウの独立運動を率いたアミルカル・カブラル、南アフリカで黒人意識運動を起こしたスティーヴ・ビコ、アメリカの黒人運動の活動家たちが、この本を読んだ。日本でも1969年に訳され、学生運動の時代に読まれている。アメリカのブラックパンサー党の創設者たちも、この本を手引きの一つにしたと語っている。1966年の映画『アルジェの戦い』とともに、この本は60年代の世界の若者の必読書になった。ビコの運動は、1976年のソウェト蜂起の若者たちにつながっていく。
この物語は、本が扱ったできごとを並べ直したものになる。本文は写していない。最初の本が、一人の黒人の心の中から植民地主義を見たのに対し、この本は、一つの社会全体が植民地支配から抜け出すときに何が起きるかを見ている。同じ著者の最初の本については物語物語「『黒い皮膚・白い仮面』で読む植民地の心」がある。独立から60年あまりがたったいまも、第3章が描いた国の姿は、多くの国でニュースの見出しにある。
動画(1)
この物語が起きた場所
筋(13)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- 大西洋奴隷貿易できごと1526年1200万人以上がアフリカから大西洋を越えて運ばれた。三つの大陸の人口と社会が、この一つの流れで作り替えられる。ベニンシティ

- トゥサン・ルヴェルチュール人物AD1743年頃 – AD1803年4月7日最も早い先例を率いたサン・ドマングの奴隷に生まれ、御者で、字を読み、解放されて、自分も奴隷を持った。1791年の蜂起に加わり、軍を作り、スペイン、イギリス、フランスと戦い、1801年、島を統一して憲法を作った。「黒いスパルタクス」。ナポレオンが3万を送った。捕らえられて、ジュラ山脈の要塞で凍えて死んだ。「私を倒しても、自由の木の根は深く、また生える」。翌年、ハイチが独立した。
- ハイチ革命できごと1791年最も早い先例奴隷が蜂起して独立を勝ち取った、史上唯一の例。人権の理念を掲げた本国が、それを植民地に認めなかった矛盾を突いた。ポルトープランス

- ジョモ・ケニヤッタ人物AD1897年頃 – AD1978年8月22日ロンドンで人類学を学び、キクユの社会を内側から書いた。マウマウ団の反乱で9年投獄され、出獄して初代大統領になる。
- アミルカル・カブラル人物AD1924年9月12日 – AD1973年1月20日本を読み、実行した側農学者から独立運動の指導者になった。解放区で学校と診療所を先に作る方法を取る。独立の8か月前に暗殺される。
- フランツ・ファノン人物AD1925年7月20日 – AD1961年12月6日著者カリブ生まれの精神科医。アルジェリアの病院で拷問する側とされる側の両方を診て、植民地支配が人の心を壊す仕組みを書いた。36歳で死ぬ。
- セティフの虐殺できごとAD1945年5月8日戦勝の日に起きたことヨーロッパの戦勝を祝う日に、独立を求める旗が掲げられ、発砲があった。報復で数千人から数万人が殺される。アルジェリア戦争の起点として記憶されている。セティフ
- スティーヴ・ビコ人物AD1946年12月18日 – AD1977年9月12日黒人意識運動を起こした。「抑圧者の最も強力な武器は、被抑圧者の心である」。拘禁中に殴られて死んだ。30歳。
- マウマウ団の反乱できごと1952年キクユの人びとが、奪われた土地を取り戻そうと蜂起した。イギリスは非常事態を敷き、15万人を収容所に入れた。2013年、政府が拷問を認めて補償に応じている。ナイロビ

- アルジェリア戦争できごと1954年本が書かれている最中の戦争入植者が100万人いた土地の独立戦争。拷問の告発がフランス国内を割り、第四共和政が倒れた。アルジェ
- ディエンビエンフーの戦いできごと1954年植民地は勝てる、と示した植民地側の軍が、正面からヨーロッパの軍を降伏させた。世界中の独立運動がこれを見ている。ディエンビエンフー

- コンゴ動乱できごと1960年独立のあとに何が来るか、の予言どおりの例独立の直後から内戦と外国の介入が続いた。資源のある国が、独立してなお翻弄される。キンシャサ

- ソウェト蜂起できごとAD1976年6月16日授業をアフリカーンス語で受けさせる方針に、高校生が抗議して行進した。警官が発砲し、倒れた少年の写真が世界に流れる。アパルトヘイトへの国際的な圧力が、ここから強まった。ヨハネスブルグ

重なっているストーリー
同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。
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