概要
ワルシャワのユダヤ人は、塀で囲まれた地区に四十万人以上押し込められ、飢えと病で次々に死んだ。1942年の夏、三十万人近くが絶滅収容所へ送られる。残された若者たちは、どうせ死ぬなら戦って死ぬと決めた。1943年4月19日、地区の最後の住民を運び出しに来たドイツ軍に、わずかな拳銃と火炎瓶で立ち向かう。ひと月近く抵抗が続いたが、ドイツ軍は地区を一軒ずつ焼き払った。ナチスの占領下で起きた、最初の大きな市街の蜂起だった。
場所
ワルシャワ
52.23°N 21.01°E · ポーランド
52.23°N 21.01°E · ポーランド
本文
塀の中の四十万人。
ワルシャワのユダヤ人。
(1)塀で囲まれた地区に、四十万人以上押し込められた。
(2)そして、飢えと病で次々に死んだ。
(3)さらに、1942年の夏、三十万人近くが絶滅収容所へ送られた。
戦って死ぬ。
残された若者たちは決めた。
どうせ死ぬなら、戦って死ぬ。
1943年4月19日。
(1)地区の最後の住民を運び出しに来たドイツ軍に、わずかな拳銃と火炎瓶で立ち向かった。
(2)そして、ひと月近く抵抗が続いた。
(3)さらに、ドイツ軍は、地区を一軒ずつ焼き払った。
残ること。
ナチスの占領下で起きた、最初の大きな市街の蜂起だった。
翌年のワルシャワ蜂起とは別の戦いである。勝てないと知った上での抵抗が、記憶の中で大きな意味を持った。