概要
1935年9月15日、ニュルンベルクで開かれていたナチ党の党大会に合わせて国会が招集され、二つの法が通された。帝国市民法は、ドイツの血を持つ者だけを市民とし、ユダヤ人から市民の権利を奪った。ドイツ人の血と名誉を守る法は、ユダヤ人とドイツ人の結婚と性的な関係を禁じた。では誰がユダヤ人なのか。血を測る方法は無かったので、11月の施行令は、祖父母のうち何人がユダヤ教の共同体に属していたかで人を分けた。人種の名による差別が、国の法になった。ロマや黒人にも同じ法が当てはめられ、3年後の水晶の夜へ、そして虐殺へと続いていく。
場所
49.45°N 11.08°E · ドイツ・バイエルン州
本文
1933年に政権を握ったナチ党は、ユダヤ人を国の暮らしから締め出していった。4月にはユダヤ人の商店の不買を呼びかけ、ユダヤ系の役人を職から追った。ユダヤ人の医者や弁護士、芸術家も、次々に仕事を奪われた。それでも、誰をユダヤ人とするのか、ユダヤ人は法の上でどんな地位にあるのかは、はっきり決まっていなかった。
1935年9月、ニュルンベルクでナチ党の大会が開かれた。ヒトラーは党大会の会場に国会を呼び集め、9月15日、急ごしらえの法を満場一致で通させた。国旗の法、帝国市民法、ドイツ人の血と名誉を守る法の三つである。
帝国市民法は、ドイツ人かそれに近い血を持つ者だけを「帝国市民」とし、政治の権利はこの市民だけが持つとした。ユダヤ人は市民でなく、ただの「国籍の所属者」に落とされた。ドイツ人の血と名誉を守る法は、ユダヤ人とドイツ人の結婚を禁じ、これに反して結ばれた結婚は無効とした。結婚の外の性的な関係も罪とされ、ユダヤ人の家庭が45歳未満のドイツ人の女性を家事の使用人として雇うことも禁じられた。
法には、肝心の「ユダヤ人」の定めが無かった。人種を見分ける方法は無かったからである。11月の施行令は、祖父母を数えた。祖父母のうち3人か4人がユダヤ教の共同体に属していればユダヤ人、1人か2人なら「混血」とした。結局、人種の名による差別は、祖父母の宗教で人を分けるしかなかった。同じ月、法はロマと黒人にも当てはめられた。
1936年のベルリン・オリンピックの前後には、外国の目を気にして、ユダヤ人を締め出す看板が一時的に下ろされた。だが法による差別は、財産の取り上げ、1938年の水晶の夜、そしてホロコーストへとつながっていく。ナチの法律家たちは、法を作るにあたって、アメリカの南部の州が持っていた人種で結婚を禁じる法なども調べていたことが知られている。