概要
反乱している州の奴隷は「永遠に自由である」。合衆国に留まった奴隷州(ケンタッキー、メリーランド等)の奴隷は含まれなかった。戦争の手段として、大統領の軍の権限で。350万人。黒人が北軍に入った。18万人。戦争は「連邦を守る戦争」から「奴隷を終わらせる戦争」になった。奴隷制の廃止は1865年の憲法修正第13条。
場所
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
関わった人(1)
エイブラハム・リンカーンAD1809年2月12日–AD1865年4月15日 · 署名した本文
リンカーンは、戦争の目的を「連邦を守る」と言い続けた。1862年8月、グリーリーへの手紙。「私の最高の目的は連邦を救うことで、奴隷制を救うことでも壊すことでもない。奴隷を一人も解放せずに連邦を救えるならそうするし、全部解放して救えるならそうするし、一部だけ解放して救えるならそうする」。境界州(ケンタッキー、メリーランド、ミズーリ、デラウェア)が離脱するのを恐れた。
しかし、1862年7月、閣議に草案を見せた。スワードが「勝ってから出せ。負けているときに出すと、絶望の叫びに聞こえる」と言った。9月17日、アンティータム。引き分けだが、リーが退いた。9月22日、予備宣言。「1863年1月1日に、反乱している州の奴隷は自由になる」。100日の猶予。戻る州はなかった。
1863年1月1日、午後、ホワイトハウスで新年の握手会のあと、手が震えていて(3時間握手した)、「私の名が歴史に残るとすれば、この文書で残る。私はこの文書に全身全霊で賛成している」と言って、署名した。
「反乱状態にある州の奴隷として保持されている全ての人は、その日以後、自由である。合衆国の行政府は、陸海軍を含めて、その自由を認め、維持する」。
反乱していない州と地域(境界州、テネシー、ルイジアナとヴァージニアの北軍占領地)は除外された。「自由にされた奴隷は、リンカーンの手が届かない所にいて、届く所の奴隷は自由にされなかった」とロンドンの『スペクテーター』は書いた。法的には、大統領の戦時の軍の権限で、敵の財産を没収する形。憲法は変えられない。
しかし、変わった。北軍が進むと、その先の奴隷は自由になった。奴隷は逃げて北軍に来た。「黒人は陸海軍に受け入れられる」。18万6000人の黒人が北軍の兵になり、3万8000人が死んだ。第54マサチューセッツ連隊。イギリスとフランスは南部を承認できなくなった(奴隷制の側につくことになる)。
1865年1月31日、憲法修正第13条が下院を通った。「奴隷制も、犯罪の処罰以外の強制労働も、合衆国とその管轄下のいかなる場所にも存在してはならない」。12月6日、批准。リンカーンはその8か月前に死んだ。
宣言の原本はシカゴの大火(1871年)で焼けた。