
概要
何が自然で何が異常かは、時代ごとに書き換えられてきた。書き換えてきたのは、法と医学と経済になる。
この物語について
性については、いつの時代も「昔からこうだった」と言われる。だが実際には、誰と結ばれてよいか、何が罪か、何が病かは、驚くほど短い周期で変わってきた。
中世ヨーロッパの教会は、行為の種類ごとに罰を定めた。江戸の幕府は、遊女を一か所に囲って公認した。十九世紀の医学は、それまで罪とされていたものを病と呼び替え、二十世紀の半ばに統計がそれを覆した。禁じる、囲う、治す、数える。扱い方が変わるたびに、当事者の立場も変わる。
もう一つ効いているのは技術と経済になる。避妊が自分で選べるようになったこと、子どもが労働力でなくなったこと、女性が働いて自分で暮らせるようになったこと。これらが、結婚と性と出産を一続きに考える前提を崩した。
この物語は、性をめぐる決まりが誰の都合で作られ、いつ書き換えられたかを並べたものになる。
動画(1)
この物語が起きた場所
筋(19)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- ウェスタの火できごとBC7世紀頃国家が、特定の女性の性を管理したローマの中心に、屋根のある丸い建物があり、そこで火が燃え続けていた。神像は置かず、火そのものを祀る。守るのは六人の巫女で、十歳前後で選ばれ、三十年を務め、その間は結婚できない。火を絶やせば鞭で打たれ、貞潔を破れば生き埋めにされた。三月一日に一度だけ、木を擦って新しい火を起こし、改めて灯し直す。火を保つことが国家の存続そのものと結ばれていた。西暦394年、テオドシウスがこの火を消させ、千年以上続いた炉が閉じられた。ローマ
- スーサの集団結婚できごとBC324年結婚が、征服と統治の手段として使われる王とマケドニアの将校80人が、一日でペルシアの貴族の娘と結婚した。二つの民を一つにする構想だったが、王の死後、将校の多くは妻を捨てた。スーサ

- 『蜻蛉日記』できごとAD974年(天延2年)頃通い婚の世界を、待つ側から書いた藤原兼家の妻の一人が、結婚から21年を書いた。夫が来ない夜、他の女の家に行く車を数え、息子道綱を育て、「はかなき身の上」。女が自分の人生を自分で書いた最古の日記。『源氏物語』の30年前。作者の名は分からず「道綱母」。京都

- 『源氏物語』できごとAD1008年頃恋愛と婚姻の作法が、物語として記録された長編の物語として世界で最も古い部類に入る。作者の本名は分かっていない。京都

- トルバドゥールの歌できごとAD1100年頃恋愛を歌う型が生まれ、広まったアキテーヌ公ギヨーム9世が、オック語で、恋の歌を作った最初の人。「フィン・アモール(雅な愛)」。手の届かない貴婦人に、騎士が仕える。ベルナール・ド・ヴァンタドゥール、ベルトラン・ド・ボルン、ジャウフレ・リュデル(「遠くの愛」)、女のトロバイリッツ(ディア伯爵夫人)。孫娘アリエノールが北へ、イギリスへ運んだ。トルヴェール、ミンネゼンガー、ダンテ、ペトラルカ。ヨーロッパの恋愛は、ここで作られた。ポワティエ
- 纏足できごとAD1100年頃美しさの基準が、体を作り替えさせる南唐の宮廷の踊り子から始まった、と伝える。宋代に広まり、明清に、漢族の女の大半に及んだ。4〜6歳で、親指以外の指を足の裏へ折り曲げて布で縛り、骨を変形させる。歩けるが遠くへ行けない。「三寸金蓮」。母が娘に施した。良い縁組の条件で、階級の印で、恥じらいの象徴だった。満洲族とモンゴル族と客家はしなかった。1902年に清が禁令を出し、20世紀の前半に消えた。最後の世代が、いま100歳を超える。開封

- アベラールとエロイーズできごとAD1117年頃愛と学問と教会の規律が、正面からぶつかったパリで最も人気の哲学教師が、参事会員の姪の家庭教師になり、子を作り、秘密に結婚した。叔父が人を雇って教師を去勢させた。彼は修道士に、彼女は修道女に。20年後の手紙。「妻より愛人と呼ばれたい」。二人はペール・ラシェーズに一緒にいる。ノートルダム
- モンタイユーの異端審問できごと1318年村人の性生活まで、審問の記録に残されたピレネーの村の住民が、カタリ派の疑いで一人ずつ尋問された。その調書に、羊飼いの恋愛も、隣人の噂も、死後の世界の考えも残った。中世の村の暮らしを内側から読める、ほとんど唯一の史料になる。モンタイユー
- 『魔女に与える鉄槌』できごとAD1487年魔女という枠が、女性の身体に結びつけられたドミニコ会の異端審問官ハインリヒ・クラーマーが、インスブルックで魔女裁判に失敗して司教に追い出され、教皇の勅書を付けて、この本を書いた。魔女は実在する。悪魔と契約し、交わり、天候と作物と男の性器を害する。ほとんどが女である(「女は信仰が弱い(femina=fe minus)」)。訊問と拷問と処刑の手引き。印刷術で30版。魔女狩りは1560年から1630年が頂点で、4万〜6万人が処刑された。シュパイアー

- 吉原の公認できごとAD1617年(元和3年)禁じるのではなく、囲って公認する江戸に人が集まり、単身の男が町にあふれた。散らばっていた遊女屋を一か所に集めて囲い、そこだけを認める。幕府は、日本橋の近くの湿地に区画を許し、周りを堀と塀で囲わせた。吉原である。出入口は一つ、夜は閉める。客の身元も、遊女の逃亡も、そこで管理できる。遊女は借金を背負わされて外へ出られず、多くは貧しい村から売られてきた娘だった。禁じるのではなく、囲って公認し、税と治安の道具にする。この形は、明暦の大火のあと浅草の奥へ移されて、二百五十年続いた。東京
- 乳母と捨て子できごとAD1780年頃産むことと育てることが、切り離されていた18世紀のパリで、生まれた子の大半が、田舎の乳母に預けられた。ある推計では、年に2万人の新生児のうち、母が自ら育てたのは1割に満たない。職人の妻も働かねばならず、乳を与える時間がない。乳母は乳の出る限り何人も預かり、赤子は荷車で運ばれた。死亡率は極めて高く、地域によっては半数を超えた。同じ時期、捨て子養育院に年に数千人が置かれた。誰かが乳を与えなければ、子は生きない。その労働に、名も、記録も、ほとんど残っていない。パリ
- セネカ・フォールズ会議できごとAD1848年7月19日結婚した女性に財産も権利もなかったニューヨーク州の小さな町の教会に、300人。奴隷制廃止運動の中で、女性が発言を許されなかったことから生まれた。「所感の宣言」。独立宣言を書き換えて、「全ての男女は平等に造られている」。11の決議。財産、教育、職業、離婚、そして選挙権(これだけは票が割れ、フレデリック・ダグラスの支持で通った)。100人が署名した。72年後、憲法修正第19条。セネカフォールズ
- 『ボヴァリー夫人』裁判できごとAD1857年1月31日不倫を描いた小説が、公共の風俗を乱すと訴えられた田舎医者の妻が、退屈と、読みすぎた恋愛小説の理想から、姦通と借金に落ち、砒素で死ぬ。連載後、公序良俗と宗教への冒涜で起訴された。検事は、姦通が罰せられていないこと、そして作者がどこにも道徳の判断を書いていないことを、罪だと論じた。無罪。作者は「私が有罪なら、文学全部が有罪になる」と書いた。作者の顔が見えない語り、正確な文体。近代小説の出発点とされる。パリ
- 娼妓解放令できごとAD1872年(明治5年)10月2日外からの目が、公娼の仕組みを揺らした1872年、横浜に入港した船から、清国人の苦力が助けを求めた。日本の裁判所は、彼らを奴隷として扱う契約は無効だと判断する。すると相手方は、日本にも年季で身体を売る遊女がいるではないかと反論した。政府は同じ年、娼妓と芸妓を解放する布告を出す。人身の売買は許されず、借金は無効だと定めた。牛馬に借りた物の返却を求められない、という言い方から「牛馬きりほどき令」とも呼ばれた。だが、遊女屋は貸座敷業と名を変え、遊女は自分の意思で営業する者とされた。形を変えて、仕組みは残った。東京
- 『夢判断』できごとAD1899年11月4日性を、心の仕組みの中心に置いた出版社は1900年の日付にした。「新しい世紀の本」。600部が6年で売れた。夢は願望の充足。無意識。抑圧。検閲。エディプス。自分の夢を材料にした(父の死の後の自己分析)。「無意識への王道」。精神分析。20世紀の人間観を変えた。科学かどうかは、いまも争われる。ウィーン

- キンゼイ報告できごとAD1948年道徳ではなく、数で性を語ったハチの一種を研究していた動物学者アルフレッド・キンゼイは、大学で結婚生活の講座を任され、学生の質問に答える資料がないことに気づいた。彼は聞き取りを始める。一人に数百項目、最終的に一万八千人分。1948年に出した『人間男性における性行動』は、それまで異常とされてきた行為が、実際にはありふれていることを数字で示した。専門書にもかかわらず売れに売れ、激しい非難も浴びた。調査の方法には偏りの指摘があり、いまも議論がある。それでも、性を語ってよい対象にしたことの影響は大きかった。ブルーミントン
- 経口避妊薬できごとAD1960年5月9日産む時期を、自分で決められるようになる避妊の道具はそれまでもあったが、使うかどうかを決めるのは多くの場合、男の側だった。産児制限を訴え続けたマーガレット・サンガーは、老年になってから資産家の支援を取りつけ、生物学者に飲む避妊薬の開発を頼む。臨床試験は、規制の緩いプエルトリコで行われ、副作用の説明が十分でなかったことが後に問題になった。1960年、アメリカの当局が避妊薬として承認する。女性が、相手に告げずに、自分で妊娠の時期を決められるようになった。働き方も、結婚の時期も、そこから変わっていく。ワシントンD.C.
- ストーンウォールの反乱できごとAD1969年6月28日耐えるのをやめた夜当時のアメリカでは、同性どうしで踊ることも、異性の服を着ることも、州や市の決まりで罰せられた。警察は同性愛者の集まる店に踏み込み、客を並ばせて身分証を調べ、連行するのが常だった。1969年6月28日の未明、グリニッジ・ヴィレッジのストーンウォール・インでも同じ手入れが行われた。この夜は、客と集まった人々が抵抗し、騒ぎは数日続いた。翌年、この日を記念する行進が行われ、それがいまの各地のパレードにつながる。耐えるのをやめた夜として記憶されている。ニューヨーク
- 同性婚できごとAD2001年4月1日家族とは誰のことかを、法が決め直した結婚は男と女がするものだという定めは、法律のどこにも書かれていないことが多かった。書く必要がないほど当たり前だったからである。オランダは1998年に登録パートナーシップを作り、次の段階として、結婚そのものを同性の二人にも開いた。2001年4月1日の午前零時すぎ、アムステルダムの市庁舎で四組が式を挙げた。世界で最初の同性婚である。その後二十年余りで、三十を超える国が続いた。家族とは誰のことかという問いに、法が新しい答えを出した。アムステルダム
重なっているストーリー
同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。
女性の権利9件を共有 / 人口の半分が、参政権を得るまでに文明の歴史のほとんどを要した。考えることの歴史4件を共有 / 同じ数百年のあいだに、ギリシアでも中国でもインドでも、人が根本から考え直した。キリスト教のひろがり4件を共有 / 迫害される小集団が、300年で帝国の宗教になり、そこから何度も割れながら世界へ出ていった。表現の歴史4件を共有 / 書いた人、描いた人、作った人。政治と戦争のあいだに、ずっと別の営みがあった。誰が書き残したか3件を共有 / 残っているものが全部ではない。誰の筆によるかで、同じ出来事が違って見える。都市の歴史2件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。差別の歴史2件を共有 / 線を引いて内と外を分ける。理屈は、たいてい後から付けられた。ローマ人の物語1件を共有 / ラティウムの一都市が地中海全域を呑み込み、そして西半分が消えるまでの1200年。アレクサンドロスの東方遠征1件を共有 / 20歳で王になった男が、11年でギリシアからインダス川まで到達した。そして32歳で死ぬ。中国の王朝1件を共有 / 殷から清まで3000年。王朝は替わっても、同じ型で替わり続けた。感染症と人類1件を共有 / 人が動くほど病も動いた。文明の広がりと感染の広がりは、同じ地図の上にある。技術と産業1件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。主権はだれのものか1件を共有 / 王が決めるのか、議会が決めるのか、国民が決めるのか。800年かけて答えが動いた。帝国と独立1件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。日本の古代1件を共有 / 中国の史書にだけ名が残る王たちから、律令の国家ができるまで。手本は常に大陸にあった。確かめるという方法1件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。『日本の歴史をよみなおす』で読む日本1件を共有 / 日本は農業の国で、百姓は農民だった。その前提を、史料の側から崩した本。『モンタイユー』で読む中世の村1件を共有 / ピレネーの村人200人が、異端審問で一人ずつ尋問された。その調書から、村の暮らしが丸ごと出てくる。支え合いの歴史1件を共有 / 働けなくなった人を、誰が支えるのか。家族か、宗教か、国か。答えは何度も入れ替わってきた。