概要
1906年4月、ロサンゼルスで、黒人の説教師ウィリアム・シーモアの集まりで、人々が聖霊に満たされたとして、知らない言葉で祈り始めた。集会はアズサ通りの古い建物に移り、それから3年あまり、昼も夜も続いた。人種の分け隔てが法で定められていた時代に、黒人と白人、メキシコ系の人々が同じ床に座り、ともに歌い、祈った。新聞はこれを奇妙な騒ぎとしてからかったが、訪れた人々が各地に持ち帰り、ペンテコステ派と呼ばれる流れが生まれる。聖霊の体験を重んじるこの流れは、20世紀の後半、中南米やアフリカ、韓国などで急速に広がり、いまでは数億人の信徒を持つ。
場所
34.07°N -118.44°E · アメリカ・カリフォルニア州
本文
19世紀の末のアメリカでは、信仰によって罪から清められ、聖なる生活を送ることを重んじる「ホーリネス運動」が広がっていた。その中から、新約聖書の「使徒言行録」が語るように、聖霊が降ると人は知らない言葉で語りだす、それこそが聖霊を受けたしるしだと考える人々が現れた。1901年、カンザス州トピーカで、チャールズ・パーラムの聖書学校の学生たちが、そうした体験をしたと伝えられる。
ウィリアム・ジョセフ・シーモアは、ルイジアナ州で、奴隷だった両親のもとに生まれた。テキサスでパーラムの講義を聞いたが、人種を分ける決まりのため、教室の中には入れず、ドアの外の廊下で聞いたという。1906年、シーモアはロサンゼルスの小さな教会に招かれたが、その教えのために締め出され、信徒の家で集会を開いた。4月9日、その家で、集まった人々が異言で語り始めた。
噂を聞いた人々が押し寄せ、集会はアズサ通り312番地の、かつて黒人の教会だった古い木造の建物に移った。床にはおがくずが撒かれ、木の板が椅子代わりに並べられた。集会は昼も夜も途切れずに続き、人々は叫び、泣き、倒れ、病が癒えたと証言した。4月18日の新聞は、奇妙な言葉のバベルの騒ぎとして集会を嘲笑した。その日の朝、サンフランシスコで大地震が起きていて、世の終わりが近いと感じた人々がさらに集会に集まった。
アズサ通りで人々を最も驚かせたのは、人種の混じり合いだった。南部では人種を分ける法が強まっていた時代に、黒人、白人、メキシコ系、アジア系の人々が、黒人の説教師のもとで同じ床にひざまずいた。訪れた人の一人は、ここでは肌の色の線が血で洗い流されたと書いた。だが数年のうちに、白人の指導者たちの多くは離れていき、ペンテコステ派の教会は、しばらく人種ごとに分かれていった。
集会の噂と体験は、訪れた牧師や宣教師によって、アメリカ各地と世界へ持ち帰られた。ペンテコステ派と、のちに既存の教会の中に広がった同じ流れのカリスマ運動は、20世紀の後半、ブラジルやグアテマラなどの中南米、ナイジェリアなどのアフリカ、韓国などで爆発的に広がった。いまでは数億人の信徒がいるとされ、キリスト教の中で最も勢いのある流れになっている。