物語

『中世の秋』で読む中世の終わり

出てくるできごと AD1309 – AD1517
できごと 7人物 1国 1
この物語に出てくる図版:Grandes Chroniques de Frances de Charles V - BNF fr2813 f208 (Clercs se disputant)
この物語に出てくる教会大分裂から。Grandes Chroniques de Frances de Charles V - BNF fr2813 f208 (Clercs se disputant) Wikimedia Commons Public domain

概要

ルネサンスの前夜ではなく、中世そのものの終わり方。過剰な儀礼と、死への執着に覆われた14〜15世紀。

この物語について

ルネサンスの前夜は、本当に「夜明け前」だったのか。14世紀と15世紀を、次の時代の始まりとしてではなく、一つの時代の終わり方として見たら、何が見えるのか。

『中世の秋』(ヨハン・ホイジンガ、1919年、日本語版1958年)は、14世紀と15世紀のフランスとネーデルラントを、新しい時代の始まりとしてではなく、古い時代の最も熟れきった姿として描く。著者はオランダの歴史家で、もとはサンスクリットとインドの演劇を研究していた。転機は1902年、ベルギーのブルッヘで開かれたフランドル絵画の展覧会だったとされる。ファン・エイクの絵を前にして、彼はそこにルネサンスの始まりではなく、中世の終わりを見た。その直感が、十数年後にこの本になる。1919年、第一次世界大戦が終わった翌年のことだった。

本が扱うのは、制度でも経済でもなく、人びとの感じ方になる。当時の生活は色が濃く、振れ幅が大きかった。冬の闇と夏の光、病と健康、貧しさと富の差が、いまよりずっと鋭く感じられていた。公開処刑に群衆が集まり、罪人の最期に涙を流した。行列と鐘の音が日常を区切り、説教師が来れば町じゅうが泣いた。愛も名誉も復讐も、決められた型に沿って演じられた。本の第1章は、この「生活の激しい調子」を描くところから始まる。1429年、パリに来たフランシスコ会の修道士リシャールが何日も続けて説教すると、聴いた人びとは家からさいころや札や遊び道具を持ち出して火に投げ込んだ、という話も本は引いている。

ジャンヌ・ダルクの細密画
ジャンヌ・ダルクWikimedia Commons Public domain

その背景には、死の近さがあった。1347年に始まる黒死病は、ヨーロッパの人口の3分の1から半分ほどを奪ったとされ、その後も疫病は何度も戻ってきた。同じ頃、イングランドとフランスは百年戦争を戦い、略奪する傭兵の群れが村々を荒らした。教会も揺れていた。14世紀の大半、教皇はローマではなく南フランスにいた。教皇のアヴィニョン捕囚である。ローマへ戻った直後の1378年には、二人の教皇が並び立つ教会大分裂が始まり、40年近く続いた。信仰の頂点が割れていることを、人びとは毎日の祈りのなかで知っていた。

本が材料にしたのは、制度の記録より、同じ時代の人びとが書き、描いたものだった。宮廷の年代記作者フロワサールやシャトラン、儀式の細部まで書き残した式部官、詩人のデシャンやヴィヨン、そして説教と祈祷書と絵画。それらから、人びとが何に泣き、何を誇り、何を恐れたかを拾い集めた。

本の主な舞台は、ブルゴーニュ公の宮廷である。フランス王家の分家だったブルゴーニュ公は、14世紀の終わりにフランドルを手に入れ、ネーデルラントの豊かな都市を抱える大きな勢力になった。ブルゴーニュ公の宮廷は、ヨーロッパでいちばん華やかな宮廷だった。1430年には金羊毛騎士団が作られ、騎士道の儀式が国の飾りになった。1454年、リールで開かれた「雉の宴」では、前年にコンスタンティノープルが落ちたことを受けて、公と騎士たちが生きた雉に向かって十字軍を誓った。宴には仕掛けの舞台と、楽士たちが中に入った巨大なパイまで出たと伝えられる。だが、その十字軍は出発しなかった。形式が中身から離れて、それだけで肥大していく。本はそれを、時代の特徴として読んだ。

その華やかさの裏で、政治は血なまぐさかった。1407年、ブルゴーニュ公ジャン無畏公は、王弟オルレアン公をパリの路上で暗殺させ、1419年には自分がモントローの橋の上で王太子の側近に殺された。その報復のために、ブルゴーニュはイングランドと手を結ぶ。ジャンヌ・ダルクを捕らえてイングランドに引き渡したのも、ブルゴーニュ派の軍だった。最後の公シャルル突進公は1477年、ナンシーの戦いで死に、遺体は雪の中で見つかった。娘のマリーはハプスブルク家のマクシミリアンと結婚し、ネーデルラントはハプスブルク家に渡った。この結婚の孫が、のちのカール5世になる。

騎士道は、実際の戦争とはもう噛み合っていなかった。1415年のアザンクールの戦いでは、重い鎧のフランス騎士が、泥の中でイングランドの弓兵に打ち倒された。それでも宮廷では、騎士の誓いと馬上槍試合が続いた。ホイジンガは、こうした理想を、現実が耐えがたいときに人がすがる「より美しい生活への憧れ」として描いた。この時代を生きたジャンヌ・ダルクは、神の声を聞いてフランス王を戴冠させ、19歳で異端として焼かれた。聖なるものと政治が、これほど近くにあった時代だった。

アザンクールの戦いに関わる図版:Schlacht von Azincourt
アザンクールの戦いWikimedia Commons Public domain

愛もまた、型の中にあった。宮廷では、手の届かない貴婦人に仕える恋の作法が、詩と遊戯として演じられた。1400年ごろ、中世の恋愛物語『薔薇物語』をめぐって論争が起き、詩人クリスティーヌ・ド・ピザンは、この物語が女性を貶めていると批判した。パリ大学の総長ジェルソンもこれに加わった。恋の作法を本気で論じ合うほど、型そのものが生活の中心にあったことになる。

死のイメージも同じように肥大した。1424年から翌年にかけて、パリの墓地の回廊の壁に描かれた死の舞踏では、骸骨が教皇も皇帝も農民も、同じ列に引き込んで踊らせる。死が身分を平らにする。墓には、朽ちていく遺体の姿を彫った像が置かれるようになった。この時代の人びとは、死を美しく飾ることと、腐っていく体を見つめることを、同時にしていた、と本は書く。

死の舞踏に関わる図版:Nuremberg chronicles - Dance of Death (CCLXIIIIv)
死の舞踏Wikimedia Commons Michael Wolgemut · Public domain

信仰もまた、あふれるほどの像と形で満たされていた。聖人の数は増え、聖遺物が崇められ、日々のあらゆる行いに宗教の意味が重ねられた。神聖なものが日常にあふれすぎて、かえって軽くなっていく。著者は、こういう過剰さを衰えのしるしとして読んだ。そして、それを片づけようとする動きが、やがて来る。1517年の95か条の論題は、この秋のあとに来たものの一つになる。ルネサンスもまた、この秋のあとに来た。

本の題の「秋」は、衰えと同時に、実りの季節でもある。ファン・エイクの絵の、髪の一本一本、布の織り目まで描き込む細かさを、著者は新しい時代の写実ではなく、目に見えるものを一つ残らず神の意味で満たそうとする中世の精神の、最後の実りとして読んだ。ファン・エイクに絵を注文したブルゴーニュの大法官ニコラ・ロランは、強欲で知られながら、豪華な祈りの絵を描かせ、貧しい人のための施療院を建てた。信心と欲と見栄が、一人の人間の中で矛盾なく並んでいる。本はそこにも、この時代の感じ方を見た。

95か条の論題に関わる図版:Luther 95 Thesen
95か条の論題Wikimedia Commons Martin Luther · Public domain

著者は1945年2月、オランダ東部で死んだ。ドイツの占領下で大学を閉ざされ、人質として収容されたあと、解放を見ずに死んでいる。晩年には、遊びが文化を生むと論じた『ホモ・ルーデンス』も書いた。『中世の秋』は1924年に英語に訳されて広く読まれ、1990年代には新しい英訳も出ている。

批判もある。史料が宮廷と都市の上層に偏っている、年代記と詩と絵ばかりで、農民や職人の感じ方はほとんど出てこない、という指摘になる。「衰え」という見立てそのものが、のちの研究で疑われてもいる。それでも、歴史に「感じ方」を持ち込んだ本として、いまも読まれ続けている。

この物語は、本が扱ったできごとを並べ直したものになる。本文は写していない。この年表ではフランス王国の王たちの戦いが目立つが、同じ年の宮廷と墓地と教会で、人びとが何を恐れ、何を美しいと思っていたのかを、この一冊は思い出させる。

動画(1)

Autumn of the Middle Ages: A Century LaterColumbia University刊行から100年後に、この本がいまも読めるかを研究者が検討する

この物語が起きた場所

筋(9)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. フランス王国国AD987年(ユーグ・カペーの即位) – AD1792年(王政の廃止)パリ周辺だけの弱い王家から始まり、800年かけて六角形を埋めた。国王の権力を強くしていった果てに、その国王が革命で処刑される。
  2. 教皇のアヴィニョン捕囚できごと1309年教皇庁がフランス王の影響下に移った。教会の権威が世俗の力に押される。アヴィニョン
  3. 百年戦争できごと1337年116年に及ぶ英仏の争い。この過程で両国に「国民」という意識が育つ。アジャンクール
  4. 黒死病できごと1347年この本の背景にある、死の近さヨーロッパの人口の3分の1が死んだ。働き手が減って農奴の立場が上がり、封建の仕組みが緩む。
  5. 教会大分裂できごとAD1378年教会が二人の教皇に割れるアヴィニョンからローマに戻った教皇が死に、ローマ市民の圧力で選ばれた教皇を枢機卿たちが否認して別の教皇を立てた。二人、のちに三人の教皇が40年並び、ヨーロッパは国ごとにどちらかを選んだ。ローマ
  6. ブルゴーニュ公の宮廷できごと1384年形式が中身から離れて肥大していく場所王より豊かな公が、儀礼と誓いと祝宴で世界を覆った。ファン・エイクが仕え、金羊毛騎士団が作られる。中世が終わりかけている場所で、中世の形式が最も華やかになった。ブリュージュ
  7. ジャンヌ・ダルク人物AD1412年 – AD1431年5月30日本が描く時代の、最も知られた人19歳で火刑になった農民の娘。百年戦争の流れを変え、後にフランスの象徴になる。
  8. 死の舞踏できごと1424年死が身分を平らにする墓地の壁に、骸骨が教皇も王も農民も同じ列に引き込む絵が描かれた。黒死病と戦乱の世紀に、死が身分を平らにするという主題が繰り返し現れる。パリ
  9. 95か条の論題できごとAD1517年10月31日この秋のあとに来たものルターの問いかけが印刷術に乗って広がり、西方教会が割れた。宗教改革の始まり。ヴィッテンベルク

重なっているストーリー

同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。

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