概要
ユダヤ人の砲兵大尉が、ドイツへの通敵の罪で、筆跡だけで、終身流刑になった。悪魔島。真犯人エステラジーが分かっても、軍は隠した。1898年1月13日、ゾラの「私は弾劾する」。フランスが二つに割れた。再審、有罪、特赦、1906年に無罪。反ユダヤ主義が街に出た。ウィーンの記者ヘルツルはそれを見て、ユダヤ人の国を考えた。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(2)
アルフレド・ドレフュスAD1859年10月9日–AD1935年7月12日 · 有罪にされたエミール・ゾラAD1840年4月2日–AD1902年9月29日 · 弾劾した本文
1894年9月、フランスの参謀本部の情報部が、ドイツ大使館の屑籠から、フランスの軍事機密のリストを書いた手紙(ボルドロー)を回収した(掃除婦がスパイだった)。犯人は砲兵で、参謀本部に出入りできる者。アルフレド・ドレフュス大尉。筆跡が「似ている」。ユダヤ人。アルザス出身。
10月15日、逮捕。12月22日、軍法会議。非公開。証拠は筆跡と、弁護側に見せない「秘密文書」(後で偽造と分かった)。有罪。終身流刑。1895年1月5日、士官学校の中庭で軍籍剥奪の式。肩章を剥ぎ、剣を折った。群衆が「ユダヤ人に死を」「裏切り者」。ドレフュスは「私は無実だ」と叫んだ。悪魔島(仏領ギアナ)。4年半。独房。夜は足を鎖で。
1896年、情報部の新しい部長ピカール中佐が、真犯人を見つけた。エステラジー少佐。借金と女で身を持ち崩した貴族。筆跡が一致した。ピカールは上官に言い、上官は「なぜ気にするのか。ユダヤ人が悪魔島にいるだけだ」と言った。ピカールはチュニジアに飛ばされた。
1897年11月、ドレフュスの弟マチューがエステラジーを告発した。1898年1月、エステラジーは軍法会議で無罪。1月13日、『オーロール』紙の一面、ゾラの「J'Accuse...!(私は弾劾する)」。大統領フェリックス・フォールへの公開書簡。参謀本部の将軍たちの名前を挙げて、隠蔽を弾劾した。30万部。ゾラは名誉毀損で有罪、イギリスへ。
フランスが割れた。ドレフュス派(共和派、社会主義者、知識人。「知識人(アンテレクチュエル)」の語がここで生まれた。クレマンソー、ジョレス、プルースト、モネ)と反ドレフュス派(軍、教会、王党派、反ユダヤ主義者。ドリュモン、モーラス、バレス)。家族が割れ、食卓で喧嘩になった(カラン・ダッシュの風刺画)。
1898年8月、秘密文書を偽造したアンリ中佐が自白して、獄で剃刀で喉を切った。1899年、再審。レンヌの軍法会議で、また有罪(「情状酌量つきの反逆」)。大統領が特赦した。1906年、破毀院が無罪。ドレフュスは少佐に復帰し、レジオン・ドヌール。
ウィーンの新聞のパリ特派員テオドール・ヘルツルは、軍籍剥奪の式で「ユダヤ人に死を」を聞いた。ここフランスで、革命の国で。1896年、『ユダヤ人国家』。1897年、シオニスト会議。