概要
1945年8月、ソ連軍が満洲に入り、開拓団の日本人は逃げまどった。途中で親と死別し、あるいは生きるために預けられた子どもたちが、中国の家庭で育てられた。国交が正常化してから九年後の1981年3月、中国に残された孤児四十七人が、肉親を探しに初めて集団で日本へ来た。名前も、生まれた村も覚えていない人が多い。手がかりは、預けられたときの服や、かすかな記憶や、体の傷だった。報道が顔と特徴を伝え、心当たりのある人が名乗り出た。この回では三十人の身元が分かった。調査はその後も続いたが、分かったのは三割ほどにとどまる。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
**満洲**。
(——**1930年代から、**日本は、**満洲**に、**人を送った**。
〈**(1)**開拓団**。
**〈——農村の、**次男、三男**。**
**——**村ごと、**移る**「分村」**も、**あった**。〉**
**(2)**そして、**敗戦のころ**、**二十数万人**が、**開拓団**として、**いた**とされる**。
**(3)さらに、**働き盛りの男**は、**戦争の終わり近く**に、**召集されていた**。
**〈——残っていたのは、**女と、**子どもと、**老人**が、**多い**。〉〉)
**1945年8月**。
(——**ソ連軍**が、**国境を、**越えた**。
〈**——**8月9日**。
**——**[[gyokuon-hoso]]**の、**六日前**である**。〉
**——**逃げる**。
〈**(1)**鉄道**は、**軍と、**役人の家族**が、**先に、**使った**と、**言われる**。
**(2)**そして、**開拓団**は、**歩いて**、**逃げた**。
**(3)さらに、**途中で、**襲われる**。
**(4)そして、**集団で、**自ら命を絶った団**も、**あった**。〉
**——**冬**。
〈**——**難民の収容所**で、**飢えと、**寒さと、**発疹チフス**。
**——**多くが、**死んだ**。〉)
**預ける**。
(——**生き延びるために**、**子を、**中国人の家に、**預けた親**が、**いる**。
〈**——**連れて歩けば、**死ぬ**。
**——**置いていけば、**育ててもらえる**かもしれない**。〉
**——**あるいは、**親が、**死んだ**。
〈**——**残された子**を、**近くの中国人の家**が、**引き取った**。〉
**——**育てた側**。
〈**——**日本は、**侵略した国**である**。
**——**その子を、**育てる**ことは、**周りから、**よく思われない**こともあった**。
**——**それでも、**育てた**。
**——**のちに、**「養父母」**と、**呼ばれる人々**である**。〉)
**途切れる**。
(——**1949年、**中華人民共和国**が、**できた**。
〈**——**日本とは、**国交が、**無い**。
**——**引揚げ**は、**1958年ごろ**に、**いったん、**途絶える**。〉
**——**1959年、**日本では、**「戦時死亡宣告」**の制度**が、**できた**。
〈**——**行方の分からない者**を、**死んだもの**として、**戸籍から、**消せる**。
**——**残された子の多く**も、**戸籍の上**では、**死んだ**ことになった**。〉
**——**1972年、**国交正常化**。
〈**——**手紙**が、**届くようになる**。
**——**「自分は、**日本人の子**らしい」**と、**名乗り出る人**が、**出てくる**。〉)
**来る**。
(——**1981年3月2日**。
〈**——**四十七人**が、**初めて、**集団で、**日本へ、来た**。
**——**多くは、**四十歳前後**。
**——**日本語は、**話せない**。〉
**——**手がかり**。
〈**(1)**預けられたときの、**年のころ**。
**(2)**そして、**覚えている**、**親の顔**、**兄弟の数**。
**(3)さらに、**身につけていた、**着物の柄**や、**お守り**。
**(4)そして、**体の、**あざ**や、**傷**。〉
**——**報道**。
〈**——**新聞とテレビが、**一人ひとりの顔**と、**特徴**を、**伝えた**。
**——**「うちの子かもしれない」**という電話**が、**かかる**。
**——**会って、**話を、突き合わせる**。〉
**——**この回では、**三十人**の、**身元が、**分かった**。
〈**——**半数を、**超える**。〉)
**その後**。
(——**調査**は、**続いた**。
〈**——**1999年までに、**三十回**。
**——**二千百人あまりが、**日本へ、来た**。
**——**身元が、**分かったのは、**六百六十人あまり**。
**——**三割ほど**である**。〉
**——**年を追うほど、**分からなくなる**。
〈**——**探す親**が、**死んでいく**。
**——**覚えている人**が、**いなくなる**。〉
**——**分かっても、**分からなくても**。
〈**(1)**永住して、**日本に、帰る**人が、**いた**。
**(2)**そして、**日本語**と、**仕事**に、**苦しんだ**。
**(3)さらに、**中国の養父母**を、**残して、**来た**。〉
**——**のちに、**国を相手の訴訟**が、**各地で、**起きる**。
〈**——**早く、**帰さなかった**こと**。
**——**帰ってからの、**支えの薄さ**。
**——**2007年、**支援の法**が、**改められた**。〉)
**残ること**。
(——**[[pow-agency-1914]]**は、**名前**で、**探した**。
〈**——**ここでは、**名前**が、**分からない**。
**——**探す手がかり**は、**着物の柄**と、**体の傷**と、**記憶の断片**である**。〉
**——**名前**は、**人を、**探すための、**いちばん強い手がかり**である**。
〈**——**それを、**幼いうちに、**失うと、
**——**残るのは、**顔**と、**話**だけになる**。
**——**顔**は、**三十六年**で、**変わる**。〉
**——**のちに、**血液の型**、**そして**DNA**で、**親子を、**確かめる**ようになる**。
〈**——**それが、**使えるようになったころ**には、**親の多く**が、**もう、**いなかった**。〉)