白豪主義

概要
連邦の最初の議会が、移民を事実上ヨーロッパ系に限る法を通した。書き取り試験という形で、当人の知らない言語を選んで落とすことができた。
場所
-33.87°N 151.21°E · オーストラリア・ニューサウスウェールズ州
本文
1851年、オーストラリアの南東部で金が見つかると(オーストラリアのゴールドラッシュ)、世界中から人が押し寄せた。その中に、中国南部から来た数万の男たちがいた。彼らは勤勉で、白人が掘り捨てた鉱区を丹念に掘り直し、まとまって暮らした。白人の鉱夫たちは、賃金や鉱区を奪われると感じて反発し、各地で中国人を襲う暴動が起きた。植民地の議会は、中国人の入国に人頭税を課し、船ごとの乗客の数を制限する法律を次々に作った。
もう一つの火種は、北東部クイーンズランドのサトウキビ畑にあった。19世紀の後半、農園主たちは、太平洋の島々から男たちを集め、安い労働力として働かせた。だまされたり、力ずくで連れて来られたりした者も多く、こうした労働者の徴集は「ブラックバーディング」と呼ばれた(ブラックバーディング)。島の人びとが働くことで、白人の労働者の仕事と賃金が脅かされる、と労働組合は訴えた。

1901年1月1日、六つのイギリス植民地がまとまって、オーストラリア連邦が生まれた(オーストラリア連邦の成立)。その年の暮れ、最初の連邦議会が通した法律の中に、移民制限法と、太平洋諸島労働者法があった。後者は、島から来た労働者の新たな入国を止め、数年のうちに大半を島へ送り返すことを定めた。
移民制限法の条文に、人種の名は書かれていない。書かれていたのは、入国しようとする者に、役人が読み上げる50語の文章を、ヨーロッパの言語のどれかで書き取らせる、ということだった。書き取れなければ、入国を拒める。どの言語で出すかは、役人が選べる。英語の得意な中国人には、フランス語やドイツ語で出せばよい。試験は、入れたくない者を確実に落とすための仕組みだった。実際、この試験に合格した者はほとんどいない。

なぜ、はっきり「有色の人種は入国させない」と書かなかったのか。イギリス政府が嫌がったからだ。イギリスは、同盟を結ぼうとしていた日本や、帝国の臣民であるインドの人びとを、あからさまに差別する法律が帝国の中にできることを望まなかった。言語の試験という形は、南アフリカのナタール植民地で先に使われていたやり方にならったもので、体裁を保ちながら結果を決められる。オーストラリアの政治家たちは、目的が人種にあることを、議会の中では隠そうともしなかった。初代首相バートンは、人間の平等という考えそのものを否定する発言を残している。
この政策は、のちに「白豪主義」と呼ばれるようになる。白いオーストラリアを守る、という標語は、労働者を守る政策としても、イギリス系の国民の一体感を作る政策としても、党派を超えて支持された。1919年のパリ講和会議で、日本が国際連盟の規約に人種の平等をうたう一文を入れるよう提案したとき、強く反対した一人が、オーストラリアの首相ヒューズだった。

試験は、政治的に好ましくない白人を締め出すためにも使われた。1934年、反戦の運動のためにやって来たチェコスロバキアの作家キッシュは、多くのヨーロッパの言語を話せたため、スコットランド・ゲール語で書き取りを課されて落とされた。この件は裁判になり、試験の扱いの不合理さが世間の笑いものになった。
第二次世界大戦で、オーストラリアは日本の攻撃を受け、北部の町が空襲された。人口の少なさに危機を感じた政府は、戦後、「人口を増やすか、滅びるか」を掲げて大規模な移民の受け入れに踏み切る。ただし、迎え入れたのは、イギリスに加えて、南ヨーロッパや東ヨーロッパの人びとだった。戦時中に逃れてきたアジアの難民は、戦後に送り返された。

それでも、少しずつ緩んでいった。経済が伸びて労働力が要るようになり、アジアの国々との関係も大事になった。1958年、書き取り試験が廃止された。1966年には、技能のあるアジアの人びとの移住が認められるようになる。1973年、政府は、移民の選別で人種を考慮することを完全にやめると宣言した。同じころ、アメリカも出身国による移民の割り当てをやめている(出身国の割り当てをやめる移民法)。
1970年代の後半からは、ベトナム戦争後の難民が舟で渡ってきて、オーストラリアに住み着いた。その後、中国、インド、フィリピンなどからの移民が大きく増えた。いま、オーストラリアに住む人の3割ほどが外国生まれで、親の少なくとも一人が外国生まれという人を合わせれば、半分に近い。

白豪主義の時代、もう一つの差別も続いていた。この大陸に最初から住んでいた先住民は、国の人口にさえ数えられていなかった(1967年の国民投票(オーストラリア))。移民の国としてのオーストラリアの歩みと、先住民との関係の問い直しは、いまも続いている。