概要
1942年1月20日、ベルリン郊外の湖畔の邸宅に、ナチスの親衛隊と各省庁の次官ら十五人が集まり、昼食をはさんで九十分ほど話し合った。議題は、ヨーロッパのユダヤ人一千百万人の「最終的解決」を、役所どうしでどう分担して進めるかだった。すでに東方では大量の射殺が始まっていた。会議の記録は、殺戮を遠回しの役所の言葉で書いている。国家の行政の仕組みそのものが、民族の抹殺のために動かされたことを示す文書である。
場所
ベルリン
52.52°N 13.40°E · ドイツ
52.52°N 13.40°E · ドイツ
本文
湖畔の昼食。
1942年1月20日、ベルリン郊外の湖畔の邸宅。
(1)ナチスの親衛隊と、各省庁の次官ら十五人が集まった。
(2)そして、昼食をはさんで、九十分ほど話し合った。
役所どうしの分担。
議題。
(1)ヨーロッパのユダヤ人一千百万人の「最終的解決」。
(2)そして、それを役所どうしで、どう分担して進めるか。
(3)さらに、すでに東方では、大量の射殺が始まっていた。
遠回しの言葉。
会議の記録は、殺戮を遠回しの役所の言葉で書いている。
「移送」「処理」。言葉を変えることで、実行する側の心を守った。
残ること。
国家の行政の仕組みそのものが、民族の抹殺のために動かされた。
そのことを示す文書である。ホロコーストは、狂気だけでなく、書類と分担で進められた。