概要
2008年2月13日、首相のケヴィン・ラッドは議会で、先住民の子どもを家族から引き離してきた政策について、国として謝罪した。「ごめんなさい(sorry)」という言葉を三度繰り返している。前の首相は、いまの世代が過去の世代の行いを謝ることはできないとして、謝罪を拒んできた。議事堂の外や全国の広場では、画面の前で多くの人が泣いた。補償の基金は作られなかったが、国がその過去を公に認めた日として記憶されている。
場所
-35.28°N 149.13°E · オーストラリア
本文
オーストラリアでは、20世紀の初めから1970年代まで、先住民の子どもを親から引き離し、施設や白人の家庭で育てる政策がとられた(盗まれた世代)。先住民の文化から切り離し、白人の社会に溶け込ませることが目的だった。
1997年、人権委員会の報告書『彼らを家へ』が、子どもの10人に1人から3人が連れ去られていたと推計し、国としての謝罪を求めた。しかし首相のジョン・ハワードは、個人として遺憾に思うとは述べたものの、いまの世代が過去の世代の行いの責めを負うことはできないとして、国の謝罪を拒み続けた。
2007年の選挙で勝ったケヴィン・ラッドは、新しい議会の最初の仕事として謝罪を約束した。2008年2月13日の朝、議会で謝罪の動議を読み上げる。「母親と父親に、兄弟と姉妹に、家族と共同体を引き裂いたことに、ごめんなさい(we say sorry)」。この言葉を三度繰り返した。議場には連れ去られた人々が招かれ、議事堂の外の芝生と、国じゅうの広場の大きな画面の前で、多くの人が聞き入った。背を向けた人もいた。
謝罪は、補償の基金を伴わなかった。先住民とそうでない人々の寿命や健康や教育の差を縮める目標も同じ年に掲げられたが、多くはいまも達せられていない。それでも、国がその過去を公に認めたこの日は、2月13日の記念日として毎年思い起こされている。