概要
処女航海の4日目、夜11時40分に氷山と接触し、2時間40分で沈んだ。2224人のうち1514人が死んだ。救命艇は定員の半分ぶんしかなく、法令はそれを満たしていた(船の大きさでなく総トン数で決める古い規則)。無線技士は氷山の警告を「取り込み中」と断っていた。翌年の海上人命安全条約(SOLAS)で、全員分の救命艇、無線の24時間当直、氷山監視が定められた。
場所
41.73°N -49.95°E · 北大西洋
本文
**船**。ホワイト・スター・ライン。全長269m、4万6328総トン。当時、世界最大の可動物体。ベルファストのハーランド・アンド・ウルフ造船所。姉妹船オリンピック、後にブリタニック。
競争相手のキュナードが速さを売りにしたのに対し、ホワイト・スターは大きさと豪華さを売りにした。
「不沈」という宣伝を、会社が公式に行った証拠は薄い。造船の専門誌が「実質的に不沈(practically unsinkable)」と書き、それが伝わるうちに「不沈」になった、というのが実情に近い。
**構造**。船体を16の水密区画に分ける。隔壁は、船底から上へ、E甲板またはD甲板まで。4区画まで浸水しても浮く設計。
問題は、隔壁が**天井まで届いていない**こと。前が沈んで船首が下がると、水が隔壁の上を越えて、次の区画へ流れ込む。氷嚢を並べたように、順に満たされていく。
**救命艇**。20隻、定員1178人。乗船者2224人に対して53%。
これは違法ではなかった。1894年の英国商船法の規定は、1万総トン以上の船について「16隻以上」としか定めていない。1万トンは当時の最大級の船の想定であり、4万6千トンの船は法の想定外だった。設計者アレクサンダー・カーライルは48隻を提案したが、甲板が狭く見えるという理由もあって減らされた。
**航海**。1912年4月10日、サウサンプトン出港。シェルブール、クイーンズタウン(コーヴ)を経て、ニューヨークへ。
4月14日、他船から**氷の警告が6回**届いた。うちいくつかは船橋に届かなかった。
夜10時55分、近くのカリフォルニアン号が氷に囲まれて停船し、無線で警告を送った。タイタニックの無線技士ジャック・フィリップスは、乗客の私信をケープレースへ送るのに追われており、返した。「黙れ、黙れ、取り込み中だ」。カリフォルニアンの無線技士は、間もなく就寝した。
**衝突**。4月14日23時40分。見張りのフレデリック・フリートが鐘を3回鳴らし、電話した。「正面に氷山」。
一等航海士マードックが「面舵一杯、全速後進」を命じた。37秒後、右舷が氷山に接触した。穴が開いたのではなく、リベットが飛び、鋼板の継ぎ目が開いた。全長にして90mほど、面積にして約1.1平方メートル。
前から6区画に浸水した。設計の限界は4区画。
設計者トマス・アンドルーズが計算した。「1時間、もって2時間」。彼はこの船で死んだ。
**沈没**。0時05分、救命艇の準備。0時45分、最初の艇が降ろされた(定員65人に対し28人)。「女性と子供を先に」。
第2次航海士ライトラー(左舷)は、これを「女性と子供**のみ**」と解釈した。マードック(右舷)は、「女性と子供**を先に**、いなければ男性も」と解釈した。この違いが、生存率に現れている。
2時20分、船体が二つに折れて沈んだ。海水は氷点下2度。救命胴衣を着ていても、20分ほどで低体温症で死ぬ。
救命艇のうち、戻って人を拾ったのは1隻だけだった(14号艇。ローウ航海士。6人を拾い、うち3人が生きた)。
**生存**。カルパチア号が4時に到着し、710人を収容した。死者1514人。
階級別の生存率——一等船客:女性97%、男性33%。二等:女性86%、男性8%。三等:女性46%、男性16%。乗組員:24%。
三等船客は船底に近く、通路が複雑で、多くは英語が分からなかった。故意に閉じ込められたという証拠は確定していないが、移民の隔離のための柵が開けられるのが遅れた区画があった。
**その後**。
イギリスとアメリカで調査が行われた。1914年、**海上人命安全条約(SOLAS)**。
- 救命艇は全乗船者分。 - 救命艇の訓練を義務化。 - 無線の**24時間当直**。 - **国際氷パトロール**(アメリカ沿岸警備隊が、北大西洋の氷山を監視し、通報する。いまも続いている)。 - 遭難信号の優先。
**発見**。1985年9月1日、ロバート・バラードとジャン=ルイ・ミシェルの合同調査が、水深3800mで船体を発見した。船首と船尾は600m離れて沈んでいた。
(バラードの調査は、実際には米海軍の原子力潜水艦スレッシャーとスコーピオンの沈没地点調査という機密任務の余った日程で行われた。)
**なぜ記憶されるか**。死者数では、20世紀の海難の最大ではない(1945年のヴィルヘルム・グストロフ号は9000人以上)。
それでも語り継がれるのは、この事故が、時代の自信そのものを裂いたからである。最新の技術、最大の船、最初の航海、そして自然。乗客に富豪と移民が同居していたこと。そして、無線という新しい技術が、この物語を、ほぼ同時に世界へ伝えたこと。