ミッドウェー海戦

概要
日本が空母4隻を失い、太平洋の主導権が移った。開戦から半年での転換点になる。
場所
28.21°N -177.37°E · アメリカ合衆国領
本文
1941年12月の真珠湾攻撃で、日本はアメリカの太平洋艦隊の戦艦群を叩いた。だが、アメリカの空母はその日、真珠湾にいなかった。開戦から半年、日本は東南アジアから南太平洋まで勢力を広げたが、アメリカの空母部隊は健在で、各地で日本の拠点を襲っていた。
1942年4月、空母から発進したアメリカ陸軍の爆撃機16機が、東京や名古屋などを爆撃した。被害は小さかったが、首都の空を守れなかったことは海軍の首脳に衝撃を与えた。連合艦隊司令長官の山本五十六は、ハワイの北西にあるミッドウェー島を攻め取り、それを取り返しに出てくるアメリカの空母部隊を誘い出して全滅させる作戦を推し進めた。

その前の5月、珊瑚海でアメリカと日本の空母同士が初めて戦った(珊瑚海海戦)。日本は空母翔鶴が傷つき、瑞鶴も多くの飛行機と搭乗員を失って、どちらもミッドウェーに出られなくなった。アメリカの空母ヨークタウンも大きく傷ついたが、真珠湾の工廠で昼夜兼行の修理を受け、わずか3日ほどで再び出撃している。
アメリカは日本海軍の暗号を部分的に解読していた。電文に繰り返し出てくる「AF」という地点が次の攻撃目標らしいと分かったが、それがどこかで意見が割れた。ハワイの暗号解読班は、ミッドウェーの基地から「真水の製造装置が故障した」という偽の電文を平文で流させた。まもなく日本側の暗号電に「AFは水が不足している」という一文が現れ、AFがミッドウェーであることが確かめられた。太平洋艦隊司令長官のニミッツは、使える空母3隻すべてをミッドウェーの北東に忍ばせた。待ち伏せである。

日本側は、空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を中心とする南雲忠一の機動部隊を先頭に、戦艦大和に乗った山本の主力部隊がはるか後方に続いた。同時にアリューシャン列島へも別の部隊を送ったため、戦力は分散していた。アメリカの空母が近くにいるとは、日本側は考えていなかった。
6月5日(日本時間)の早朝、機動部隊はミッドウェー島に第一次攻撃隊を放った。島の基地は十分に壊せず、再び攻撃する必要があると報告が来る。南雲は、敵の艦隊に備えて魚雷を積んで待たせていた飛行機に、陸上を攻撃するための爆弾を積み替えるよう命じた。ところがその最中、偵察機から敵の艦隊発見、続いて空母らしきものを伴うとの報告が届く。南雲は再び、爆弾から魚雷への積み替えを命じた。偵察機の一機は発進が30分ほど遅れており、これが発見の遅れにつながったとも言われる。

その間に、アメリカの雷撃機が次々に襲ってきた。動きの遅い旧式の雷撃機は、日本の戦闘機に低空でほとんど撃ち落とされ、ある部隊は15機のうち生還者が一人だけだった。だがこの攻撃で、日本の戦闘機は海面近くに引きつけられていた。
午前7時20分を過ぎた頃(日本時間)、空母エンタープライズとヨークタウンから来た急降下爆撃機が、はるか上空から現れた。エンタープライズの爆撃隊は目標を見つけられずにいたが、日本の駆逐艦が全速で走るのを見つけ、その航跡をたどって機動部隊にたどり着いたとされる。わずか数分のうちに、赤城・加賀・蒼龍に爆弾が命中した。格納庫には積み替え中の爆弾や魚雷、燃料を満たした飛行機が並んでいて、誘爆が止まらなかった。

残った飛龍は、山口多聞少将の指揮で反撃し、ヨークタウンを航行不能にした。ヨークタウンは後に日本の潜水艦に沈められる。だが飛龍もその日の夕方に爆撃を受けて炎上し、山口は艦と運命をともにした。日本は空母4隻と重巡洋艦1隻、飛行機およそ300機、将兵3千人ほどを失った。アメリカの損失は空母1隻と駆逐艦1隻、将兵300人ほどだった。
敗因としてよく語られるのが「運命の5分」である。あと5分あれば、甲板に並んだ攻撃隊は発進できていた、という話だ。これは攻撃隊の指揮官だった淵田美津雄の戦後の回想に基づくが、近年の研究では、そのとき甲板に発進の準備ができた攻撃隊は並んでいなかったと指摘されている。偵察の手薄さ、作戦目的が島の攻略と空母の撃滅の二つに分かれていたこと、暗号の漏れを疑わなかった慢心など、敗因はもっと根の深いところにあったとみられている。

海軍はこの敗北を国民に隠した。大本営は、損害は空母1隻喪失、1隻大破と発表し、帰還した将兵は家族との面会も制限された。
この戦いで熟練の搭乗員の多くが失われたと長く言われてきた。だが近年の研究では、戦死した搭乗員は百数十人ほどで、むしろ格納庫で働いていた整備員など、空母の乗員の損失のほうが大きかったと指摘されている。空母そのものと、それを動かす人々の両方を一度に失ったことが、日本の機動部隊にとって致命的だった。

開戦から半年で始まった攻勢は、ここで止まった。日本はこの損失を補充できない。アメリカは戦争中に大型の空母だけで十数隻を新たに戦列に加えたが、日本が完成させられた空母はごくわずかだった。工業力の差が、そのまま出た。8月にはアメリカ軍がソロモン諸島のガダルカナル島に上陸し(ガダルカナルの戦い)、以後、日本は押し返される一方になる。