概要
島国イギリスは、食料と燃料と武器の多くを、大西洋を渡ってくる船に頼っていた。第二次世界大戦が始まると、ドイツは潜水艦Uボートでこの命綱を断とうとした。Uボートは群れをなして夜の海で船団を襲い、イギリスは船を船団にまとめ、護衛の艦と飛行機で守った。チャーチルは、戦争中に本当に恐ろしかったのはUボートの脅威だけだったと書いている。1943年の春、護衛の空母、長距離の哨戒機、レーダー、暗号の解読がそろうと形勢は逆転し、5月だけで40隻を超えるUボートが沈んだ。戦争の全期間を通じて続いた、最も長い戦いだった。
場所
52.00°N -30.00°E · 北大西洋(イギリスとカナダ・アメリカを結ぶ航路)
本文
イギリスは、平時でも食料の多くと、石油のほぼすべてを、海の向こうから運んでいた。第二次世界大戦で戦い続けるには、アメリカやカナダ、植民地から、食料と燃料と武器を積んだ船が、絶えず大西洋を渡ってこなければならなかった。ドイツにとって、この海の道を断つことは、イギリスを降伏させるいちばん確かな方法だった。
1939年9月3日、イギリスがドイツに宣戦したその日の夜、ドイツの潜水艦が、イギリスの客船アシニア号を魚雷で沈めた。戦いはここから、ドイツが降伏する1945年5月まで続いた。
ドイツの潜水艦隊を率いるデーニッツは、Uボートを群れで動かす戦法をとった。1隻が船団を見つけると、無線で仲間を呼び集め、夜の海面から一斉に襲いかかる。1940年にフランスを占領すると、ドイツはフランスの大西洋岸の港から潜水艦を出せるようになった。陸から飛ぶ哨戒機が届かない大西洋の真ん中の海域で、多くの船が沈められた。1942年には、アメリカの東海岸の沖で、明かりを消さない町を背景に浮かんだタンカーが次々に狙われた。
イギリスとその仲間は、商船を数十隻の船団にまとめ、駆逐艦や小型の護衛艦で守った。暗号の解読も大きな役割を果たした。イギリスのブレッチリー・パークの暗号の解読者たちは、ドイツの海軍の暗号を読み、船団をUボートの群れから遠ざけた(エニグマの解読)。アメリカでは、リバティ船と呼ばれる規格化された貨物船が、沈められる数を上回る速さで造られた。
1943年の春、形勢は逆転した。小さな護衛の空母と、長い距離を飛べる哨戒機が、大西洋の真ん中の空白を埋めた。レーダー、無線の発信源を探る装置、夜の海面を照らす探照灯が、浮上したUボートを見つけ出した。1943年5月だけで、40隻を超えるUボートが沈められ、デーニッツは北大西洋から潜水艦を引き揚げた。
戦争の全期間で、連合国の側は三千隻を超える商船を失い、数万人の船員が死んだ。ドイツは出撃したUボートの大半を失い、乗組員のおよそ四分の三が帰らなかった。海の道が守られたことで、アメリカの兵と物資がイギリスに集まり、1944年のノルマンディーの上陸が可能になった。