概要
ヨーロッパから北アメリカの北の氷の海を抜けてアジアへ出る北西航路は、四百年にわたって探検家を引き寄せ、多くの命を奪ってきた。1903年、ノルウェーのロアール・アムンセンは、わずか6人の仲間と小さなニシン漁の船ヨーア号で出発した。大きな船では通れない浅い水路を選び、キングウィリアム島の入江で二度の冬を越した。そのあいだ、土地のイヌイットから、毛皮の服の作り方や犬ぞりの扱いを学んだ。1906年8月、一行はアラスカのノームに着き、船で北西航路を通り抜けた最初の人々になった。
場所
68.95°N -97.90°E · カナダ・ヌナブト準州
本文
フランクリン隊の遭難が消息を絶ってから、各国の捜索隊は北極の島々をくまなく調べ、北西航路がどこを通るかはおおよそ分かってきた。1850年代には、イギリスのマクルーアの一行が、船を捨てて氷の上を歩き、別の船に助けられて、東西をつなぐ道があることを確かめた。だが、船に乗ったまま通り抜けた者はまだいなかった。
ノルウェーのロアール・アムンセンは、少年のころフランクリンの物語を読んで、極地の探検家になろうと決めた。彼は、大きな船と大勢の隊員を送り込んだイギリスの探検が、なぜ失敗したのかを考えた。北極の浅い水路を抜けるには、小さく軽い船がよい。隊員は少ないほうが、食料も少なくてすむ。そして、北極で暮らしてきた人々のやり方に学ぶべきだと。
1903年6月、アムンセンは、6人の仲間とともに、47トンのニシン漁の船ヨーア号でクリスチャニア(いまのオスロ)を出た。船には小さな石油の機関がついていた。ヨーア号は北極の島々の間を抜け、キングウィリアム島の南の入江に入った。一行はここで二度の冬を過ごした。北の磁極の位置を確かめる観測を続けるかたわら、近くに住むネツィリクのイヌイットの人々と行き来し、トナカイの毛皮の服の作り方、雪の家の建て方、犬ぞりの扱い方を学んだ。この入江はいま、ヨア・ヘイヴンと呼ばれる村になっている。
1905年8月、ヨーア号は再び動き出し、浅く入り組んだ水路を、錘で深さを測りながら少しずつ進んだ。西からやってきた捕鯨船に出会ったとき、航路が開けたことが分かった。もう一度冬を越したのち、1906年8月31日、一行はアラスカのノームに着いた。北西航路を船で通り抜けた最初の人々だった。
アムンセンがイヌイットから学んだことは、1911年の南極点への到達に生かされた(アムンセンの南極点)。北西航路は、厚い氷に阻まれて、長く商船の道にはならなかった。だが21世紀に入って、温暖化で北極の夏の氷が大きく減ると、貨物船や観光船が通るようになり、航路と資源をめぐって周辺の国々の思惑が交錯している。