『中国の科学と文明』で読む技術の歴史

概要
中国には長い科学技術の蓄積があった。では、なぜ近代科学はそこで生まれなかったのか。
この物語について
紙も印刷も火薬も羅針盤も、先に作ったのは中国だった。では、なぜ近代科学は中国ではなく、ヨーロッパで生まれたのか。そもそも、その問いは正しく立てられているのか。
『中国の科学と文明』(ジョゼフ・ニーダム、1954年〜、日本語版1974年〜)は、一人の生化学者が始めて、いまも続いている。第1巻がケンブリッジ大学出版局から出たのは1954年で、本人の死後も研究所が刊行を続け、分冊は27冊を超えた。一人の人間が書き始めた本としては、20世紀でも最大級の仕事になる。
ジョゼフ・ニーダムは1900年にロンドンで生まれ、ケンブリッジで生化学を研究した。胚の発生を化学で調べる大著を30代で出し、将来を嘱望された科学者だった。転機は1937年、中国から3人の若い研究者がケンブリッジに来たことだった。その一人、南京出身の魯桂珍は、のちに半世紀にわたる共同研究者になり、晩年には彼の二人目の妻になる。彼女たちとの会話から、ニーダムは中国語を学び始めた。漢字を一つずつ覚え、やがて古典を読めるまでになる。

1942年、日本と戦っていた中国へ、イギリス政府は彼を送った。重慶を拠点に、戦火の中で研究を続ける中国の大学や研究所に、機材と文献を届ける仕事だった。4年のあいだに彼は中国の奥地を何万キロも旅し、行く先々で古い技術と書物に行き当たった。中国名を李約瑟という。戦後、国連の教育科学文化機関の設立に加わり、その名に「科学」を入れることを強く主張した一人とされる。そしてケンブリッジに戻り、本の構想を形にしていく。
出発点は驚きだった。紙、印刷、火薬、羅針盤。それだけではない。鋳鉄、鐙、船の隔壁、船尾の舵、機械時計の脱進機、天然痘の人痘接種。ヨーロッパより数百年早いものが、次々に出てくる。本は、天文、数学、物理、化学、生物、医学、工学と、分野ごとに巻を立て、その一つひとつを中国の文献で確かめていった。
たとえば紙である。105年、後漢の宦官蔡倫の製紙法が、樹皮や麻のくず、古い布や魚網から紙を作り、皇帝に献じた。ただ、それより古い紙も遺跡から見つかっており、蔡倫は発明者というより、作り方を改良し広めた人とされる。紙は数百年かけて西へ伝わり、イスラーム世界を経てヨーロッパに届いた。
印刷も同じ道をたどる。唐の時代に木の版木で刷る印刷が始まり、11世紀の宋では、畢昇が焼いた粘土で活字を作った。そのことを書き残したのは、宋の役人で学者の沈括である。彼の随筆集には、磁石の針が南北を指すことと、それが真南からわずかにずれることまで書かれている。宋の活字と羅針盤の時代、羅針盤はやがて船に載り、海の道を変えた。同じ頃、開封では蘇頌が、水車で動く巨大な天文時計を組み上げていた。
火薬の話は、とくに長い巻になった。不老不死の薬を求めた道士たちが、硝石と硫黄と炭を混ぜる実験の中で、燃え上がる粉に行き当たった。1044年に宋の朝廷がまとめた兵法書には、すでに火薬の調合が書かれている。火を噴く槍、投げる爆弾、そして筒から弾を撃ち出す銃へと、宋と金とモンゴルの戦争の中で兵器は形を変え、13世紀のうちにヨーロッパへ伝わった。ニーダムはこれを、中国で生まれた技術が世界の歴史を動かした最大の例の一つとして描いた。
ほかの分野でも、本は長い蓄積を示した。紀元前104年、前漢の武帝のもとで定められた太初暦は、天体の観測にもとづいて一年と一月の長さを決め直した。200年ごろ、後漢の張仲景が書いたとされる『傷寒論』は、熱病の経過を段階に分けて治療を組み立て、いまも漢方の古典として読まれている。1004年に年号を取って名づけられた景徳鎮の磁器の窯は、ヨーロッパが18世紀まで作り方を知らなかった白い磁器を焼いた。1405年からの鄭和の南海遠征では、大きな船団がインド洋を越えてアフリカの東岸まで達した。
鄭和の船団は、7回の航海のあと、1433年を最後に送られなくなった。朝廷の方針が変わり、大きな船を造ること自体が控えられていく。世界の海に最も早く乗り出す力を持ちながら、自分からそれを手放したことも、問いの材料の一つになった。
そこから、有名な問いが生まれた。それだけの蓄積がありながら、なぜ近代科学は中国ではなくヨーロッパで生まれたのか。1543年の『天球の回転について』から、1687年の『プリンキピア』へ。自然を数学の言葉で書き、実験で確かめるという方法は、ヨーロッパで形になった。15世紀まで、多くの分野で中国のほうが先を行っていたのに、なぜ逆転が起きたのか。

本人は二つの方向に理由を探した。一つは社会の仕組みである。中国は科挙で選ばれた官僚が治める国で、商人は低く見られ、技術は国家の役に立つ範囲で磨かれた。ヨーロッパでは、商人が力を持つ都市が育ち、それが新しい知識を求めた。もう一つは考え方の違いである。ヨーロッパでは、神が定めた法則に自然が従っている、という発想があり、その法則を読み解くことが科学になった。中国の思想では、自然は誰かが命じた法に従うのではなく、すべてのものが互いに響き合って秩序をなしている、と考えられた。ニーダムは、そのどちらが劣るとは考えず、むしろ中国の有機的な自然観に、20世紀の科学に通じるものを見ていた。
本の書き方も、問いの大きさに見合っていた。初めの数巻は、中国から来た歴史家の王鈴と二人で書かれ、のちには世界中の研究者が分冊を分担した。ニーダムはカードに事実を書き溜め、計画は当初の7巻を大きく超えていった。彼は文明どうしを、化学の滴定のように、互いの知識を少しずつ加えて比べ合うものと考え、その考えを一冊の論集の題にもしている。
答えは決まっていない。「ニーダムの問い」として、いまも議論が続いている。中国ではこの問いが「李約瑟の難題」と呼ばれて広く知られ、学校でも取り上げられるほどになった。中国の過去の達成を世界に示した人として、彼の名はいまも中国で敬われている。問いの立て方そのものへの批判もある。ヨーロッパの科学を物差しにして、中国にそれが「なかった」理由を探すのは、起きなかったことの原因を探すようなものだ、という指摘になる。どの発明が先かを競うあまり、中国の技術を近代科学の先取りとして読みすぎている、という声もある。
ニーダムには政治の影もあった。1952年、朝鮮戦争のさなかに、アメリカ軍が細菌兵器を使ったという中国の主張を調べる国際調査団に加わり、その主張を認める報告に名を連ねた。この報告は西側で強く批判され、彼は長くアメリカへの入国を拒まれたとされる。
それでも本は書き継がれた。ニーダムはケンブリッジの学寮の長を務めたあと、1995年に94歳で死んだ。研究所は彼の名を冠し、いまも分冊を出し続けている。
この物語は、本が扱った技術と発明を並べ直したものになる。本文は写していない。この年表にある物語「『大分岐』で読む歴史」は、問いの立て方そのものを変えて答えようとしている。中国が遅れたのではなく、1800年ごろまで、豊かな地域どうしの差は無かった、という筋になる。宋と明の技術を開くとき、それを「なぜ続かなかったか」ではなく、「その時代に何ができたか」で読むこともできる。
動画(2)
この物語が起きた場所
筋(12)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- 太初暦できごとBC104年天文と暦武帝が暦を改め、正月を今の位置に定めた。司馬遷も編纂に加わっている。以後の中国の暦の枠組みになる。長安
- 蔡倫の製紙法できごとAD105年紙樹皮や布くずから安価な紙を作る方法をまとめた。600年後、タラス河畔で西へ渡る。洛陽
- 『傷寒論』できごとAD200年頃医学熱病の経過を段階に分け、段階ごとに処方を定めた。一族の三分の二を疫病で失った医者が書いた。漢方の処方の多くがここから来ている。南陽
- 宋国AD960年 – AD1279年武人ではなく文官が国を運営する体制になり、経済と技術が大きく伸びた。北を遼と金に押され、最後は南半分だけになる。
- 景徳鎮の磁器できごと1004年陶磁と、それを支えた化学の知識一つの町が、世界の磁器を焼いた。分業で一日に数万点を作り、ペルシアの藍で染めた皿がイスタンブルにもアムステルダムにも届く。最初の世界商品の一つになる。景徳鎮

- 宋の活字と羅針盤できごとAD1040年頃活字と羅針盤膠泥活字、羅針盤の航海利用、火薬の兵器化。世界を変える技術がこの時期の中国から出る。開封
- 明国AD1368年 – AD1644年元を北へ追い、漢人の王朝が戻った。鄭和の艦隊を七度出したあと海を閉じ、長城を築き直して内に向かう。
- 鄭和の南海遠征できごと1405年造船と航海七度の航海で数百隻の船団がアフリカ東岸まで達した。植民も征服もせず、朝貢の関係を結んで帰る。だが事業は打ち切られ、記録の多くも失われた。海は他者に委ねられる。南京
- 『天球の回転について』できごとAD1543年ニーダムの問いの、向こう側地球が動くと説いた書が、著者の死の年に世に出た。宇宙の中心から人間が外れはじめる。ニュルンベルク

- 『プリンキピア』できごとAD1687年天体の運行と落ちる林檎を同じ式で説明した。世界が法則で書けると示す。ロンドン

- ジョゼフ・ニーダム人物AD1900年12月9日 – AD1995年3月24日著者ケンブリッジの生化学者が、中国語を学び、戦時の中国を旅して、中国の科学技術史を書く仕事に生涯を変えた。全27冊はまだ続いている。
- 『中国の科学と文明』の刊行できごとAD1954年本そのもの中国には科学と技術の長い蓄積があった。ではなぜ近代科学はそこで生まれなかったのか。この問いと、それを支える膨大な証拠が、一人の生化学者から始まった。ケンブリッジ
重なっているストーリー
同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。
中国の王朝6件を共有 / 殷から清まで3000年。王朝は替わっても、同じ型で替わり続けた。技術と産業5件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。確かめるという方法4件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。『世界史』(マクニール)で読む歴史4件を共有 / 文明どうしが接触し、借り、競い合うことで歴史が動く。世界を一つの物語として書いた最初の教科書。交易路とお金3件を共有 / 運ぶ/両替する/貸す。人と物が動くところには、いつも同じ仕組みが生えてくる。宗教改革と科学革命2件を共有 / 教会が独占していた「何が正しいか」の答えが、聖書と観測に明け渡されるまで。『サピエンス全史』で読む歴史2件を共有 / ハラリが人類史を三つの革命で切った本。その筋に沿って、このデータベースの項目を並べ直す。『銃・病原菌・鉄』で読む歴史2件を共有 / なぜ征服したのがスペイン人で、されたのがインカだったのか。ダイアモンドは答えを人ではなく大陸の形に求めた。『国家はなぜ衰退するのか』で読む歴史2件を共有 / 国境をひとつ挟んで豊かさが違うのは、地理でも文化でもなく制度のせいだ、という本。2024年のノーベル経済学賞の元になった。『リオリエント』で読む世界経済2件を共有 / 1800年まで、世界経済の中心はアジアだった。ヨーロッパは、その列に遅れて並んだ客にすぎない。三国志1件を共有 / 400年続いた漢が壊れ、三つに割れ、そしてまた一つに戻るまでの約100年。大航海時代1件を共有 / 海が壁ではなく道になった。二つの大陸が結ばれ、世界がひとつの市場になっていく。朝鮮半島1件を共有 / 大陸と島国のあいだで、独自の文字と技術を育てた1300年。感染症と人類1件を共有 / 人が動くほど病も動いた。文明の広がりと感染の広がりは、同じ地図の上にある。探検と発見1件を共有 / 地平線の向こうに何があるかを、確かめに行った人たちの記録。考えることの歴史1件を共有 / 同じ数百年のあいだに、ギリシアでも中国でもインドでも、人が根本から考え直した。表現の歴史1件を共有 / 書いた人、描いた人、作った人。政治と戦争のあいだに、ずっと別の営みがあった。『繁栄』で読む歴史1件を共有 / 人類が豊かになったのは交換のおかげで、悲観する理由はいつも外れてきた、という本。反論側も付けてある。『ヨーロッパ覇権以前』で読む13世紀1件を共有 / 1250年から1350年まで、世界はすでに一つにつながっていた。ただし中心はヨーロッパではなかった。海の歴史1件を共有 / 海は人と物と病と戦争を運び、人はその海を測り、守り、汚してきた。言葉と文字の歴史1件を共有 / 話す言葉を書き留める文字が生まれ、印刷と国家と機械が、言葉を広め、整え、ときに奪ってきた。ムンディ先生の講義で学ぶ歴史1件を共有 / 高校の先生「ムンディ先生」が、世界史と日本史を200講ずつで通した授業の動画。ここに並ぶ項目には、その講の動画が付いている。