『1491』『1493』で読む新大陸

概要
コロンブス以前のアメリカは人の少ない原野ではなかった。以後の世界は、生き物の大移動でできている。
この物語について
コロンブスが着く前のアメリカ大陸は、どんな場所だったのか。そして、コロンブスが着いたあと、世界はどう変わったのか。『1491』(チャールズ・C・マン、2005年)と『1493』(2011年)は、1492年という一つの年を挟んで、その前と後を描いた二冊の本である。
著者はアメリカの科学ジャーナリストで、雑誌に科学や歴史の記事を書いてきた。二冊は、考古学、人類学、生態学、気候学、歴史学の新しい研究を、専門家への取材と文献から集めて、一般の読者に向けてまとめたものである。
『1491』が問いなおすのは、接触前のアメリカについての、三つの思い込みである。人は少なかった。人がアメリカに来たのは新しい。そして、先住民は自然の中に溶けこんで暮らし、土地にほとんど手を加えなかった。本は、この三つのどれもが、最近の研究によって揺らいでいると言う。
人がいつ、どうやってアメリカに着いたのかについて、本は論争そのものを描く。最終氷期の終わりに、シベリアとアラスカのあいだの陸の橋を歩いて渡り、氷床の切れ目を通って南へ下った、という長く信じられてきた筋に対して、それより前に、海岸沿いに舟で南下したのではないか、という説が力を増している。アメリカ大陸への到達の時期は、本が出たあとの研究で、さらに古く見られるようになった。
人の数については、本は「多い」と見る研究者たちの側に立つ。1492年の南北アメリカの人口の見積もりは、研究者によって数百万から1億を超えるものまで、大きな幅がある。本は、ヨーロッパ人が初めて見たアメリカの姿が、すでに疫病で人口が大きく減ったあとの姿だった可能性を繰り返し示す。16世紀、スペインのデ・ソトの一行は、北アメリカの南東部で、大きな町と畑と人びとを見た。百数十年後、フランスのラ・サールが同じ地域を通ったとき、そこにはほとんど人がいなかった。そのあいだに、ヨーロッパ人が持ち込んだ病が、ヨーロッパ人そのものより先に広がっていたのではないか、と本は言う。
1620年、メイフラワー号の清教徒たちがプリマスに着いたとき、海岸の村々はがらんとしていた。数年前に流行した疫病で、その地の先住民の多くが死んでいたからである。清教徒たちを助けたことで知られるスクアントは、かつてヨーロッパ人に連れ去られてスペインやイギリスで暮らし、戻ってきたら自分の村が消えていた、という人物だった。
本が最も力を込めて描くのは、先住民が土地を作り変えていた、ということである。メキシコでは、何千年もかけて小さな野生の草からトウモロコシの栽培化が成し遂げられた。本は、トウモロコシを人類の最も大きな遺伝子工学の成果の一つと呼ぶ。北アメリカの東部の森や大草原は、先住民が火を入れて下草を焼き、狩りの獲物が集まる開けた土地を保っていた、と本は言う。アマゾンの奥には、人が炭や土器のかけらや生ごみを何百年もかけて混ぜこんで作った、肥えた黒い土が広がっている。アマゾンの黒い土である。「手つかずの原生林」と思われていたアマゾンの一部は、人が育てた果樹園に近いものだったのではないか、と本は問う。
北アメリカにも都市があった。ミシシッピ川のほとり、今のセントルイスの近くでは、11世紀から12世紀にかけて、巨大な土の基壇を中心にしたカホキアの繁栄の時代があった。アンデスでは、15世紀にインカ帝国の拡大が始まり、山の尾根に沿って何千キロもの道を通し、文字を持たずに、縄の結び目で数を記すキープを使って、一千万人ともいわれる人びとを治めた。キープが数だけでなく言葉も記していたのかは、今も分かっていない。
『1491』の最後の問いは、手つかずの自然という思い込みそのものに向けられる。北アメリカでバイソンやリョコウバトがあれほど多かったのは、ひょっとすると、それらを狩り、競い合っていた人間が疫病で消えたあとに、数が爆発的に増えた結果だったのかもしれない、と本は言う。ヨーロッパ人が見た「豊かな自然」は、人が消えたあとの風景だった。氷期の終わりに大型の動物が消えたアメリカ大陸の大型動物の絶滅も、人の影響を考える例として出てくる。
『1493』は、そのあとを描く。題の1493年は、コロンブスが二度目の航海で、17隻の船と千人以上の人を連れてイスパニョーラ島に戻り、植民地を築こうとした年である。本は、コロンブスが始めたのは、新しい航路ではなく、生き物の交換だったと言う。歴史家アルフレッド・クロスビーが「コロンブス交換」と名づけたこの過程で、何億年も別々に進化してきた大陸どうしの植物、動物、微生物が、わずか数十年のあいだに入り混じった。
その第一の結果が、病である。1520年の天然痘のアメリカ大陸上陸をはじめ、天然痘、麻疹、インフルエンザがアメリカ大陸の人びとを襲った。人口の大きな部分が失われたことは確かだが、その割合の見積もりにも幅がある。人が減った土地の畑は森に戻り、その森が大気の炭素を吸ったことが、ヨーロッパの小氷期の寒さを強めたのではないか、という一説を本は紹介している。
アメリカの銀は、世界を一つの経済でつないだ。ポトシ銀山の開発で掘り出された銀は、大西洋を渡ってスペインへ運ばれ、あるいはメキシコから太平洋を越えて、マニラへ運ばれた。1565年に始まるマニラ・ガレオン貿易は、アカプルコとマニラを結ぶ定期の航路で、そこで中国の商人たちが、銀と引き換えに絹や陶磁器を渡した。明の中国は、税を銀で納める仕組みに移っており、世界で最も多く銀を欲しがっていたからである。本は、こうしてできた銀の流れを、世界経済の始まりと見る。そして、その銀の流れが行き着いた先の一つとして、19世紀のアヘン戦争を置く。中国が銀で払わせてきた茶の代金を、イギリスは阿片で取り返そうとした。

アメリカの作物は、旧大陸の人口を増やした。ジャガイモは北ヨーロッパの寒い土地で小麦より多くの人を養い、トウモロコシとサツマイモは中国の山地に広がった。中国では、それまで耕せなかった山の斜面が開かれて人口が増えたが、森が切られて土が流れ、川の氾濫が増えた。作物には、病もついてくる。19世紀の半ば、ジャガイモの疫病が大西洋を渡ってヨーロッパに入り、ジャガイモに頼りきっていたアイルランドを飢饉が襲った。アイルランドのジャガイモ飢饉では百万人が死に、百万人以上が国を出た。この病原体がメキシコから来たのかアンデスから来たのかは、研究者の間で論争があり、本は南米から肥料として運ばれた海鳥の糞と一緒に渡った可能性に触れている。
本の最も印象的な章の一つは、蚊を扱う。マラリアと黄熱病は、アフリカから奴隷船と一緒にアメリカへ渡った。これらの病に、西アフリカの人びとの多くは、ヨーロッパ人より強かった。病の多い暑い低地では、ヨーロッパ人の労働者はすぐに倒れた。そのことが、大西洋奴隷貿易でアフリカから人を連れてくる理由の一つになった、と本は言う。マラリアと黄熱病の分布が、奴隷制の形を決めた、という見方である。
著者はこの時代を、生き物が世界中で混ざり合い、どこも似たような姿になっていく時代として、「均質新世」と呼ぶ造語を使う。人類の歴史の中で、これほど急に、これほど大規模に世界の生き物の分布が変わったことは無かった。
二冊には批判もある。科学ジャーナリストがまとめた本であるため、まだ論争中の説を、確かなものに近い書き方で紹介している、という指摘がある。接触前の人口の多さやアマゾンの土地の改変の規模については、研究者のあいだで今も見方が大きく分かれている。それでも、アメリカ大陸の歴史を、ヨーロッパ人が来てから始まるものではなく、何千年もの人の営みの続きとして描き直したことは、多くの読者に受け入れられた。
この物語は、二冊が扱ったできごとを、このデータベースの側から並べ直したものである。本文は写していない。章題は番号と主題で書いた。接触前のアメリカを扱う物語物語「接触前のアメリカ」と、病の歴史を扱う物語物語「『疫病と世界史』で読む歴史」も、あわせて読める。私たちが毎日食べているジャガイモやトウモロコシやトマト、そして世界をめぐる病も、1493年以後の世界の一部である。
動画(2)
この物語が起きた場所
筋(16)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- アメリカ大陸への到達できごと約1万6000年前(2万3000〜1万5000年前と幅がある)『1491』。いつ、どうやって着いたのかシベリアからアラスカへ渡り、数千年で大陸の南端に達した。人類が住み着いた最後の大陸で、ここから先は海の島だけになる。モンテ・ベルデ
- アメリカ大陸の大型動物の絶滅できごと約1万2500年前『1491』。手つかずの自然という思い込みマンモス、地上性のナマケモノ、剣歯虎。人が着いてから2000年ほどで、大型哺乳類の属の大半が消えた。オーストラリアで起きたことが、もう一度起きている。ブラックウォーター・ドロー
- トウモロコシの栽培化できごと約9000年前『1491』。人が作り出した作物実が指ほどしかない野生のテオシントから、数千年かけて作った。新大陸で農耕の立ち上がりが遅れた理由の一つに挙げられる。バルサス川流域(位置は特定されていない)
- アマゾンの黒い土できごとBC5世紀〜AD10世紀『1491』。アマゾンは人が作った風景だった痩せた熱帯の土の中に、人の手で作られた真っ黒な肥沃地が広がっている。手つかずの原生林と思われていた場所に、大勢が住んでいた証拠になる。サンタレン
- ミシシッピ文化国AD800年頃 – AD1600年頃トウモロコシで人口を養い、土のピラミッドを築いた。カホキアは12世紀に人口1万を超え、当時のロンドンより大きかった。ヨーロッパ人が来る前に、多くの都市が放棄されている。
- カホキアの繁栄できごとAD1050年『1491』。北米にも都市があったミシシッピ川流域の巨大な土塁都市。人口は当時のロンドンに匹敵したとされ、北米最大の遺跡になる。カホキア
- アステカ国AD1428年(三国同盟) – AD1521年(テノチティトラン陥落)メキシコ盆地の三つの都市が結んだ同盟。征服した土地を直接治めず、貢納を取る形で広げた。100年足らずでスペイン人と天然痘に倒れる。
- インカ帝国の拡大できごとAD1438年『1491』。文字を持たずに1000万人を治めた文字を持たないまま、4万kmの道路網と結縄で南米西岸を統治した。クスコ
- インカ帝国国AD1438年(パチャクテク即位) – AD1533年(アタワルパの処刑)文字を持たないまま、南北4000kmを道と結縄(キープ)で束ねた。95年で最大になり、内戦の直後に180人足らずのスペイン人に倒される。
- コロンブスの到達できごとAD1492年10月12日二冊の境目二つの大陸が結ばれた。人・作物・家畜・病原体が行き来し、両側の世界が作り替えられる。サン・サルバドル島(位置は特定されていない)
- 天然痘のアメリカ大陸上陸できごとAD1520年「豊かな自然」は、人が消えたあとの風景だったスペイン人より先に、病が帝国を崩した。免疫を持たない大陸で、人口の大半が一世紀のうちに失われる。テノチティトラン
- 大西洋奴隷貿易できごと1526年『1493』。マラリアの分布が奴隷制の形を決めた1200万人以上がアフリカから大西洋を越えて運ばれた。三つの大陸の人口と社会が、この一つの流れで作り替えられる。ベニンシティ

- ポトシ銀山の開発できごとAD1545年『1493』。銀は中国へ流れた南米の銀がヨーロッパを経て中国へ流れた。世界で最初の、地球を回るお金の流れ。ポトシ
- マニラ・ガレオン貿易できごと1565年『1493』。太平洋を渡る定期便メキシコの銀とアジアの絹が太平洋を往復した。ポトシの銀が中国へ流れる経路がここで完成する。マニラ
- アヘン戦争できごと1840年『1493』。銀の流れの行き着く先清が英国に敗れ、香港を割いた。この敗北の報が、日本に開国の危機感をもたらす。南京

- アイルランドのジャガイモ飢饉できごと1845年『1493』。アンデスの作物と、その病がヨーロッパへアンデス原産の作物と、アメリカから来た疫病菌が、島の人口を四分の一減らした。飢えた年も、食料は輸出され続けている。ダブリン
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