物語

『失敗の本質』で読む日本軍

出てくるできごと AD1939 – AD1945
できごと 6国 1
この物語に出てくる図版:Japanese soldiers creeping in front of wrecked Soviet tanks
この物語に出てくるノモンハン事件から。Japanese soldiers creeping in front of wrecked Soviet tanks Wikimedia Commons Dōmei Tsushin · Public domain

概要

なぜ負けたのかを、作戦ではなく組織の性質から説明した本。六つの作戦を並べて、同じ型を取り出す。

この物語について

なぜ負けたのか。兵の数でも、物量の差でもなく、組織そのものに負ける理由があったのだとしたら、それはどんな性質だったのか。

『失敗の本質』(戸部良一ほか、1984年)は、歴史家と経営学者が組んで、日本軍の六つの作戦を分析した本になる。著者は戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎の6人で、防衛大学校にゆかりのある研究者が多い。戦史の研究者が事実を確かめ、組織論の研究者がそこから型を取り出す、という分担で書かれた。副題は「日本軍の組織論的研究」である。

ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄。陸の戦いも海の戦いも、緒戦も末期も入っている。どれも失敗だが、失敗の仕方が似ている、というのが本の発見になる。

最初の事例は、1939年のノモンハン事件である。満洲国とモンゴルの国境の草原で、関東軍はソ連とモンゴルの軍とぶつかった。中央の参謀本部は戦いを広げることを望まなかったが、関東軍の辻政信ら参謀たちは独断で兵を進めた。相手は戦車と重砲をそろえ、日本の部隊は大きな損害を出して停戦を迎える。それでも、負けを負けとして扱わなかった。現場の部隊長の多くは責任を問われて退けられ、自決を求められた者もいたが、作戦を主導した参謀たちは一時遠ざけられたあと、中央に戻って太平洋戦争の作戦を立てる側に回った。本はここに、のちの型の最初の形を見る。ソ連の崩壊後に公開された資料で、ソ連側の損害も日本側に劣らず大きかったことが分かってきたが、日本軍が近代的な火力と機械化の差を学ばなかったという本の指摘は変わらない。

太平洋戦争は、1941年の真珠湾攻撃で始まった。戦艦は沈めたが、空母は港にいなかった。石油の貯蔵施設と修理の設備も、ほとんど手つかずで残った。奇襲でアメリカの戦意をくじく、というねらいも外れた。だまし討ちと受け止めたアメリカの世論は、かえって一つにまとまった。この戦争を、どこまで戦って、どう終えるのか。その見通しは、始めた時点ではっきりしていなかった。

真珠湾攻撃に関わる図版:Attack on Pearl Harbor Japanese planes view
真珠湾攻撃Wikimedia Commons Imperial Japanese Navy · Public domain

翌1942年6月のミッドウェー海戦では、日本の海軍は主力の空母、赤城・加賀・蒼龍・飛龍の4隻を一度に失った。作戦には、島を取ることと、アメリカの空母を誘い出して沈めることという、二つの目的が重なっていた。どちらを優先するのかが現場に伝わりきらず、索敵の甘さと、兵装の積み替えの混乱が重なった。アメリカ側は暗号の解読で、作戦の多くを事前に知っていた。この大敗は国民に正しく伝えられず、軍の内部でも、敗因を突きつめて次の作戦に生かす検討は十分に行われなかった。

同じ年の8月から始まるガダルカナルの戦いは、逐次投入の典型として描かれる。この島には海軍が飛行場を作っていたが、陸軍は、アメリカ軍が上陸するまでその計画をよく知らなかったとされる。陸と海が別々に戦争を考えていたことが、ここでも表に出た。最初に送られた一木支隊は、相手の兵力を少なく見積もったまま夜襲をかけ、ほぼ全滅した。そのあとも、少しずつ兵が送られては失われた。補給が届かず、島は「餓島」と呼ばれた。翌年2月に撤退するまでに、日本側の死者は約2万人にのぼり、その多くは飢えと病によるとされる。

ガダルカナルの戦いに関わる図版:Marines rest in the field on Guadalcanal
ガダルカナルの戦いWikimedia Commons Public domain

1944年3月からのインパール作戦では、ビルマからインドへ山脈を越えて攻め込む作戦が、補給の見通しの甘さを指摘されながら押し通された。食料の代わりに牛や羊を連れて行き、運ばせて最後は食べる、という計画まであった。反対意見は通らず、雨季の山中で作戦が崩れると、退く道は飢えと病の道になった。三人の師団長がそろって解任される異例の事態になり、死者は3万人前後とされる。作戦を指揮した牟田口廉也は、戦後も長く、作戦には成功の見込みがあったと語り続けたとされる。

1944年10月のレイテでは、海軍は残った艦隊のほとんどを投じて、上陸したアメリカ軍を海から叩こうとした。囮の艦隊が敵の空母を引きつけているあいだに、栗田健男の艦隊がレイテ湾へ突入する計画だったが、栗田の艦隊は湾を目前にして引き返した。理由はいまも議論が続いている。この戦いで、体当たりの特別攻撃が組織的に始まった。

1945年4月からの沖縄では、守る第32軍の参謀たちは、地下の陣地にこもって時間を稼ぐ持久戦を考えたが、東京の大本営は飛行場を守れと求め、方針が最後まで揺れた。5月の総攻撃で大きな兵力を失ったあと、軍は南部へ退き、住民が逃げ込んでいた地域が戦場になった。沖縄の住民の死者は、県民の4人に1人ともいわれる。6月の終わり、司令官の牛島満は自決し、組織的な戦闘は終わった。そして広島・長崎への原爆投下のあとまで、戦争の終わり方を、組織は自分では決められなかった。

広島・長崎への原爆投下に関わる図版:Atomic bombing of Japan
広島・長崎への原爆投下Wikimedia Commons George R. Caron / Charles Levy · Public domain

本はこれらから、共通の性質を取り出す。目的が曖昧なまま作戦が始まる。短期決戦を前提にして、長期戦の備えをしない。数字や情報より、その場の空気で決まり、反対意見を言った者が外される。人と人のつながりで組織が動き、結果が悪くても責任が問われない。前の失敗から学ばず、同じことを繰り返す。本はこれを、環境が変わったときに自分を作り替えられない組織の問題として読んだ。日露戦争の勝ち方に、あまりにうまく適応しすぎた組織は、次の戦争の形に合わせて自分を変えることができなかった。本の言葉でいえば、適応は適応能力を締め出す。

本はアメリカ軍とも比べる。アメリカ海軍は、戦果の上がらない指揮官をすぐに替え、前線で得た教訓を短い期間で訓練と装備に戻した。海兵隊は戦前から島に上陸する戦い方を研究していた。日本の軍では、人事は年次と人のつながりで動き、作戦の失敗が評価にあまり響かなかった。「空気」で決まるという指摘は、評論家山本七平が1977年に書いた『「空気」の研究』とも響き合い、日本の組織を語る言葉として定着した。

本は1984年にダイヤモンド社から出て、1991年に中公文庫に入った。同じ顔ぶれは、のちに戦略そのものを論じる続編も書いている。本の結びは、日本軍の型は戦後の日本の組織にも引き継がれているのではないか、と問いかけて終わる。成功した型にあまりにうまく合わせた組織は、環境が変わったとき、同じ失敗をする。高度成長の勝ち方に慣れた会社も例外ではない、という警告だった。書かれたのは1984年で、日本の企業が世界で強かった時期になる。それでも、この本は組織論として読まれ、文庫になってからも版を重ねた。バブルが崩れたあとの長い停滞のなかで、日本の会社や役所にも同じ型があるのではないか、と読む人が増えた。共著者の一人の野中郁次郎は、のちに知識を生む組織の研究で、世界で知られる経営学者になる。

戦争の責任を組織の性質に還元しすぎている、加害の側面や、戦場にされた土地の人びとがほとんど扱われていない、という批判もある。開戦そのものを決めた政治の問題も、本の対象の外にある。

この物語は、本が扱った作戦を並べ直したものになる。本文は写していない。日本の軍が負けた理由を、相手の強さではなく自分の内側に探した本は、いまも、会議で誰も反対しないまま何かが決まっていくときに、思い出されている。

動画(2)

【追悼:一橋大学名誉教授・野中郁次郎さん】『失敗の本質』作者ほぼ日の學校著者の一人が、なぜこの研究をしたのかを語る
【野中郁次郎教授の経営学】『失敗の本質』の意義PIVOT 公式チャンネル本の結論が、いまの組織にどう当てはまるかを著者本人が話す

この物語が起きた場所

南極大英帝国ソビエト連邦カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国ブラジルオーストラリアデンマーク中国ノモンハン(ハルハ河畔)(1件) ノモンハン事件真珠湾(1件) 真珠湾攻撃ミッドウェー(1件) ミッドウェー海戦ガダルカナル(1件) ガダルカナルの戦いインパール(1件) インパール作戦広島(1件) 広島・長崎への原爆投下

できごと6件が起きた6か所。 同じ場所で何度も起きていれば、その数だけ大きくなります。国境はAD1945の版図(この枠に大きく入る10勢力)。 物語は何百年にもまたがるので、最後のできごとの年で描いています。人物・国と、場所の分かっていないできごと1件は出ていません。押すと、この物語だけに絞った地図が開きます。

筋(7)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. 日本国AD3〜4世紀ごろ(古墳時代の王権) – (続く)畿内の王権から律令国家になり、武士の時代を経て、近代に帝国として外へ広がり、敗戦で列島に戻った。政体は何度も変わるが、土地としては一本の連続になる。
  2. ノモンハン事件できごと1939年5月第1章。負けを負けとして扱わなかった関東軍が中央の意向を無視して始め、ソ連の機械化部隊に敗れた。負けを負けとして扱わず、参加した参謀が処罰されずに次の作戦を立てていく。ノモンハン(ハルハ河畔)(位置は特定されていない)
  3. 真珠湾攻撃できごとAD1941年12月7日目的が二つあって、どちらも達しない日本が米艦隊を奇襲し、アメリカが参戦した。この一撃が戦争の帰趨を決める。真珠湾
  4. ミッドウェー海戦できごと1942年第2章日本が空母4隻を失い、太平洋の主導権が移った。開戦から半年での転換点になる。ミッドウェー
  5. ガダルカナルの戦いできごとAD1942年8月7日第3章。逐次投入半年の消耗戦で日本軍は撤退した。戦死より餓死と病死が多く、「餓島」と呼ばれる。以後、太平洋の戦線は押し返される一方になる。ガダルカナル(位置は特定されていない)
  6. インパール作戦できごと1944年3月第4章。反対意見が通らない補給の見込みがないまま山を越えさせ、9万人のうち3万人が死んだ。多くは戦闘ではなく飢えと病で死んでいる。反対意見が通らない組織の帰結として語られる。インパール
  7. 広島・長崎への原爆投下できごとAD1945年8月6日終わり方を決められない一発で都市が消えた。人類が自らを絶滅させうる力を持ったことが、この日から前提になる。広島

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