概要
海は誰のものか。17世紀、グロティウスが自由な海を説き、セルデンが閉じられた海を説いた。長く、大砲の届く距離、およそ3海里が領海とされた。20世紀、海底の資源と漁業をめぐって主張が広がった。9年の交渉の末、ジャマイカで採択された条約が、領海12海里、排他的経済水域200海里、そして大陸棚の定義を決めた。深海底は人類の共同財産とされた。アメリカは、その部分を理由に、いまも批准していない。
場所
18.47°N -77.92°E · ジャマイカ
本文
**問い**。
**海は、誰のものか**。
**17世紀の論争**。
**フーゴー・グロティウス**(オランダ)。
**1609年**、『**自由海論**』(Mare Liberum)。
主張——**海は、誰も所有できない**。
(理由——海は、**占有できない**。境界を作れない。そして、使っても減らない。
だから、**万人に開かれている**。)
(**動機**——彼は、**オランダ東インド会社の弁護士**だった。
ポルトガルが、東洋への航路の独占を主張していた。**それを崩す必要があった**。
〈彼がこれを書いたのは、オランダ船がポルトガル船を拿捕した事件の、法的な正当化のためである。〉)
**ジョン・セルデン**(イングランド)。
**1635年**、『**閉鎖海論**』(Mare Clausum)。
主張——**海は、所有できる**。
(イングランドが、周辺の海を支配する権利を主張するために書かれた。
〈当時、オランダの漁船が、イングランドの沿岸で大量に漁をしていた。〉)
**折衷**。
**1702年**、オランダの**コルネリス・ファン・ビンケルスフーク**。
『**海洋主権論**』。
**沿岸国の支配は、陸から実効的に支配できる範囲まで及ぶ**。
そして、その範囲は——
**「陸の武力が終わるところで、領土の権力も終わる」**
("terrae dominium finitur, ubi finitur armorum vis.")
**つまり——大砲の届く距離**。
**着弾距離説**(cannon-shot rule)。
**3海里**(約5.6km)。
(18世紀、この距離が慣行として定着した。
——**実際の大砲の射程は、当時、それより短かった**。しかし、数字として便利だったので、使われた。)
**20世紀**。
**前提が、崩れた**。
**(1)漁業**。
蒸気とディーゼルの漁船。冷凍。そして、**巨大なトロール網**。
**沿岸の資源が、外国船に取られる**。
**(2)海底の資源**。
**石油と、天然ガス**。
(1930年代から、海底の油田の開発が始まった。
——**海底は、誰のものか**。)
**(3)そして、宣言**。
**1945年、トルーマン宣言**。
アメリカが、**自国の沿岸の大陸棚の資源に対する管轄権**を、一方的に宣言した。
(——**これが、引き金になった**。
各国が、次々に、独自の主張を始めた。)
**タラ戦争**。
**アイスランドとイギリス**(1958〜76年、三次にわたる)。
(アイスランドが、漁業水域を、4海里 → 12海里 → 50海里 → **200海里**と、段階的に拡大した。
イギリスが、それを認めず、**海軍のフリゲート艦を派遣した**。
——アイスランドの沿岸警備艇が、**トロール網を切る特殊な器具**(ネット・カッター)で、イギリス船の網を切った。
体当たりが繰り返され、双方に負傷者が出た。死者も出た〈事故による〉。
**1976年**、アイスランドが**イギリスとの国交を断絶した**。NATO加盟国同士である。
**結果——アイスランドが、勝った**。
〈アイスランドが、アメリカの基地の閉鎖を示唆した。冷戦下で、それは受け入れられなかった。
そして、200海里という数字が、事実上、認められた。〉)
**「海が広がる」**。
1950〜70年代、各国の主張が、**ばらばらに広がった**。
(3海里、6海里、12海里、そして——**200海里**。
〈1952年、チリ、ペルー、エクアドルが、**サンティアゴ宣言**で200海里を主張した。
理由——**フンボルト海流**の豊かな漁場を守るため。そして、外国の捕鯨船と漁船を排除するため。〉
——**このままでは、海が、混乱する**。)
**交渉**。
**第一次国連海洋法会議**(1958年、ジュネーヴ)——4つの条約ができた。**領海の幅は、合意できなかった**。
**第二次**(1960年)——**失敗した**。
**第三次**(**1973〜1982年**)。
**9年**。
**160か国以上**が参加した。
(**史上最大規模の、国際的な立法の交渉**とされる。
——そして、**単一の交渉テキスト**を作り、**全体を一つのパッケージとして合意する**という方式が採られた。
〈個別の条項ごとに投票すれば、まとまらない。「**すべてに合意するか、何も合意しないか**」。〉)
**マルタの提案**。
交渉の出発点にあったのが、**1967年**、マルタの国連大使**アルヴィド・パルド**の演説である。
**深海底の資源**——マンガン団塊——について。
彼の主張。
**深海底とその資源は、「人類の共同の遺産」(common heritage of mankind)である**。
(——どの国も、領有できない。
そして、**その開発の利益は、人類全体に、特に途上国に、分配されるべきである**。)
(彼の演説は、**3時間**続いた。そして、この語が、条約の中心に置かれることになった。)
**採択**。
**1982年12月10日**、ジャマイカの**モンテゴ・ベイ**。
**国連海洋法条約**(UNCLOS)。
**320条と、9つの附属書**。
**内容**。
**(1)領海——12海里**(約22km)。
(沿岸国の**主権**が及ぶ。ただし、外国船の**無害通航権**がある。)
**(2)接続水域——24海里**。
(通関、出入国、衛生についての取り締まりができる。)
**(3)排他的経済水域(EEZ)——200海里**(約370km)。
(**主権ではない**。**資源に対する主権的な権利**である。
漁業、鉱物、そして海洋の科学調査。
——**航行と、上空の飛行と、海底ケーブルの敷設は、自由である**。)
**(4)大陸棚**。
(原則200海里。地形の条件を満たせば、**最大350海里**まで延長を主張できる。
〈**大陸棚限界委員会**が、科学的な審査を行う。〉)
**(5)公海**。
(どの国のものでもない。航行、飛行、漁業、科学調査の自由。)
**(6)深海底(「エリア」)**。
**人類の共同の遺産**。
(**国際海底機構**(ジャマイカ)が管理する。
開発の許可を出し、利益を分配する。)
**(7)そして——国際海洋法裁判所**(ハンブルク)。
**帰結**。
**(1)海の、8〜9割が、どこかの国のEEZに入った**。
(——**世界の漁獲の大半が、EEZの中で行われている**。)
**(2)小さな島が、極めて大きな意味を持つようになった**。
(**一つの島が、その周囲に200海里のEEZを生む**。
面積にして、**約43万平方キロメートル**。日本の国土より広い。
——**だから、島の領有をめぐる争いが、激化した**。
〈南シナ海、東シナ海、そして各地の岩礁。〉
条約第121条3項——「**人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は、EEZまたは大陸棚を有しない**」。
**この「岩」の定義が、極めて重要な争点になっている**。
〈日本の**沖ノ鳥島**、そして南シナ海の各礁。
2016年、常設仲裁裁判所が、南シナ海の紛争について、スプラトリー諸島の地形は**すべて「岩」であり、EEZを生まない**と判断した。
——中国は、この判断を受け入れていない。〉)
**(3)アメリカが、批准していない**。
(**深海底の部分(第11部)に反対したためである**。
——レーガン政権が、**国際海底機構による資源の管理と、技術移転の義務**を、自由市場の原則に反すると判断した。
1994年、**実施協定**でこの部分が大幅に緩和され、多くの反対国が批准した。
**アメリカは、それでも批准していない**。〈上院の3分の2の賛成が得られない。〉
——**皮肉**。アメリカは、**条約の大部分を、慣習国際法として遵守している**と表明している。海軍と国務省は、批准を支持し続けている。批准を阻んでいるのは、主権の制限を懸念する議会の一部である。)
**そして、いま**。
- **北極海**。氷が融け、航路と資源が現れつつある。**大陸棚の延長の主張が、競合している**。
(2007年、ロシアが、**北極点の海底に、チタンの国旗を立てた**。
——**法的な意味は、ない**。象徴的な行為である。)
- **深海底の採掘**。
(マンガン団塊、コバルトリッチ・クラスト、そして海底熱水鉱床。
**リチウム、コバルト、ニッケル**——電池に必要な金属である。
**2024年時点で、商業的な採掘は、まだ始まっていない**。国際海底機構が、規則を作っている最中である。
——そして、**生態系への影響が、ほとんど分かっていない**。多数の国と科学者が、**モラトリアム**を求めている。)
- **2023年**、**公海の生物多様性に関する協定**(BBNJ協定)が採択された。
(公海における**海洋保護区**の設定と、遺伝資源の利益配分。
——**UNCLOSの、次の層である**。)
**そして**。
400年前、**大砲の届く距離**で決められていた境界が、
いま、**200海里**である。
そして、**海底の下**まで、線が引かれつつある。