概要
19世紀のイギリスで、老朽船に過積みして沈没させ、保険金を得る商法があった。「棺桶船」。船員は乗船を拒めば投獄された。議員サミュエル・プリムソルが、船主の議員たちを相手に10年戦い、議場で「人殺し」と叫んで退場処分になった。1876年の商船法で、船腹に丸に横線の印を義務づけた。この線より下に沈めてはならない。塩分と季節で必要な余裕が違うので、印は数本の線でできている。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
サミュエル・プリムソルAD1824年2月10日–AD1898年6月3日 · たたかった本文
19世紀のイギリスは、世界の海運の半分を握っていた。同時に、船員の死亡率が異常に高かった。1873〜74年の1年間で、イギリス沿岸で沈んだ船411隻、死者506人(政府統計)。
**なぜ沈むか**。
(1)**老朽船**。使い古した船を安く買い、修理せずに使う。 (2)**過積み**。積めるだけ積む。船が波に耐えられなくなる。 (3)**保険**。船と積荷に、実際の価値を超える額の保険を掛ける。沈めば儲かる。
「**棺桶船**(coffin ship)」と呼ばれた。
船員は、危険を理由に乗船を拒めなかった。当時の商船法では、契約後に乗船を拒む行為は犯罪であり、**投獄**された。1870〜72年の3年間で、1628人の船員が、この理由で刑務所に入れられた。
**サミュエル・プリムソル**。1824年、ブリストル生まれ。醸造所の書記、石炭商。ロンドンで石炭の商売に失敗して破産し、一時、下宿代も払えず、貧困を経験した。
「私は、貧しい人々に対して、深い、そして永続する共感を抱くようになった」。
1868年、ダービー選出の下院議員。船員の遺族から話を聞くうちに、この問題に取り憑かれた。
**闘い**。
下院には、船主が多数いた。彼らは「規制は英国海運の競争力を損なう」と主張した。
1873年、プリムソルは『**我らの船員たち(Our Seamen: An Appeal)**』を自費で出版した。実名で船主を挙げ、具体的な船と、具体的な死者を列挙した。名誉毀損で訴えられ、敗訴し、賠償を負った(世論の募金で支払われた)。
1875年7月22日、下院。政府が商船法案を今会期は取り下げると発表した。
プリムソルは立ち上がり、議場の中央に進み出て、拳を振り、船主の議員たちを指して叫んだ。「**この議場にいる船殺しどもを、私は暴いてみせる**」。議長に着席を命じられても従わず、退場処分になった。
新聞が大きく報じた。世論が沸騰した。ヴィクトリア女王までが関心を示した、と伝えられる。
政府は方針を変えた。まず暫定法(1875年)、そして**1876年の商船法**。
**満載喫水線**。船の舷側に、円と、それを横切る水平線を描く。この線より深く沈むまで積んではならない。
(円の中心を通る横線は、夏の海水の場合の基準。実際の印は、複数の線を組み合わせた「はしご」の形をしている。TF=熱帯淡水、F=淡水、T=熱帯、S=夏、W=冬、WNA=冬季北大西洋。水の密度が違えば浮力が違い、荒れる季節と海域では余裕が要るから。円の横に、線を承認した船級協会の記号が入る。)
**欠陥**。1876年法は、線をどこに引くかを**船主自身に委ねた**。舷側の一番上に線を引いた船があった、と伝えられる。
1890年の法改正で、ようやく政府(商務省)が位置を決めることになった。
**国際化**。1930年の国際満載喫水線条約。1966年の改定条約。現在、世界のほぼ全ての商船が、この印を持つ。
**余談**。ゴム底のズボンの靴(プリムソル・シューズ、いわゆるスニーカーの祖先)は、ゴムと帆布の境目の線が、この喫水線に似ているから、そう呼ばれるようになった。
プリムソルは1880年に議席を失い、その後も船員組合の会長として、家畜輸送船の劣悪な条件の改善に取り組んだ。1898年、死去。
彼の墓と、テムズ河岸の記念碑に、船員たちの組合が寄付した。銘は「**船乗りの友**」。