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Event / できごと

SOSの採用

SOS
AD1906年11月3日
重要度 2
大英帝国ロシア帝国グリーンランドオスマン帝国ドイツ帝国アラビアポルトガル帝国エジプトペルシアスウェーデン=ノルウェーオーストリア=ハンガリー帝国フランススペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国アルジェリアモロッコイタリアルーマニアアイスランドチュニジアブルガリアギリシャデンマークセルビアボスニア・ヘルツェゴビナAD1906年11月3日ベルリン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1906年11月3日の版図を描いています(25勢力)。

概要

無線の電信が船に積まれるようになると、遭難した船が助けを呼ぶための合図が必要になった。マルコーニの会社の無線士は「CQD」を使っていたが、国ごとに合図が違っていた。1906年11月3日、ベルリンで開かれた国際無線電信会議は、短点3つ、長点3つ、短点3つの合図を、世界共通の遭難の信号と決め、1908年に使われ始めた。文字の意味ではなく、雑音の中でも打ちやすく聞き分けやすいことから選ばれた。1912年、タイタニック号の無線士がこの合図を打ち、SOSは広く知られるようになった。

場所

ベルリン
52.52°N 13.40°E · ドイツ

本文

1890年代の末、マルコーニの無線の電信が実用になると(マルコーニの大西洋横断無線)、大きな客船に無線の設備が積まれるようになった。陸から見えない大海原にいても、遭難を知らせて助けを呼べる。だが、そのための決まった合図は無かった。

1904年、マルコーニの会社は、自社の無線士に「CQD」を遭難の合図として使うよう指示した。「CQ」はすべての局への呼びかけ、「D」は遭難を表した。一方、ドイツでは、「SOE」などの別の合図が使われていた。無線の会社どうしは競い合っていて、マルコーニの会社の無線士は、ほかの会社の局とは交信しないよう求められることさえあった。

1906年、ベルリンで最初の国際無線電信会議が開かれ、各国の代表が船の無線の決まりを話し合った。11月3日に結ばれた条約は、短点3つ、長点3つ、短点3つの合図を、遭難の信号と定めた。この合図は、何かの言葉の頭文字ではない。切れ目なく続けて打て、雑音の中でも、ほかの合図と取り違えにくいことから選ばれた。後から「Save Our Souls(我らの魂を救え)」などの意味が当てられたのは俗説である。また、遭難の呼びかけには、どの会社の局も必ず応じることも決められた。決まりは1908年7月1日から使われた。

それでもしばらくは、イギリスの無線士の多くが使い慣れたCQDを使い続けた。1912年4月、氷山にぶつかったタイタニック号の無線士は、まずCQDを打ち、やがてSOSも打った(タイタニックの沈没)。近くにいた別の船の無線士は、すでに眠っていて呼びかけを聞けなかった。この惨事のあと、客船には昼も夜も無線を聞く当番を置くことが義務になった。

SOSは、無線の電信が使われなくなるまで、海の上の命綱であり続けた。1999年、モールス信号による遭難の通信は、衛星を使う新しい仕組みに置き換えられた。それでも、SOSという言葉は、助けを求めるしるしとして世界中で使われている。

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