できごと

羅針盤が海に出る

The compass goes to sea
AD1090年頃
重要度 5
キメク=キプチャク可汗国遼(契丹)宋チベットラージプートの諸王国西夏西夏チャールキヤ朝チョーラ朝南詔シュリーヴィジャヤパーラ朝南詔と大理パガン朝日本ヒンドゥーと仏教の小国群プラティーハーラ朝高麗パガン朝クメール帝国アイヌカリンガHaripunjayaSenas大越チャーハマーナ朝チャンパドヴァーラヴァティーAD1090年頃泉州
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1090年頃の版図を描いています(28勢力)。

概要

磁石が南を指すことは中国で古くから知られ、占いの盤に使われた。1044年の『武経総要』に、鉄の魚を熱して冷まし磁化する方法がある。1088年、沈括が『夢渓筆談』に、糸で吊るす方法と、磁北が真北からずれること(偏角)を書いた。1117年の『萍洲可談』に、泉州の船乗りが「夜は星を見、昼は日を見、曇りの日は指南針を見る」とある。曇りでも進めるようになった。アラブとヨーロッパへ12世紀に伝わった。

場所

泉州
24.87°N 118.68°E · 中国・福建省

本文

磁鉄鉱が鉄を引きつけることは、古代の中国でもギリシアでも知られていた。中国で早くから注目されたのは、もう一つの性質、つまり自由に動けるようにした磁石が南北の向きにそろうことだった。後漢の王充の『論衡』には「司南」という道具が出てくる。磁石を削って柄杓の形にし、滑らかな盤の上に置くと、柄が南を指すというものだと説明されることが多い。ただし実物は出土しておらず、文献の解釈にも異論がある。いずれにせよ初期の用途は航海ではなく、方位を占う風水や、儀式で正しい方角を定めることだった。

宋の時代になると、天然の磁石に頼らず、鉄を磁化する方法が記録に現れる。1044年に編まれた北宋の兵書『武経総要』は、「指南魚」の作り方を記している。薄い鉄片を魚の形に切り、火で真っ赤に焼いてから、尾を北に向けて水の中に入れて急に冷やす。こうすると鉄は地球の磁気の向きに磁化される。この魚を水に浮かべると、頭が南を指す。夜や霧の中で軍が方角を見失わないための道具として紹介されている。

船舶用の方位磁針
船舶用の方位磁針Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · CC BY 4.0

1088年ごろ、北宋の博学の官僚沈括は、随筆集『夢渓筆談』の中で、磁石で針をこすって南を指させる方法を詳しく論じた。針を水に浮かべる、爪の上に載せる、碗の縁に載せる、絹の糸で吊るす、という四つのやり方を比べ、水に浮かべると揺れやすく、爪や碗の縁では滑り落ちやすいので、新しい絹の糸を一本、蝋で針の中ほどに付けて風のない所に吊るすのがいちばん良いと書いた。そして彼は、さらりと重要な一文を書き加えている。針はいつも少し東に寄っていて、真南を指すわけではない。磁石の指す南北が、地理上の南北からずれていること、いわゆる磁気偏角の、世界で最も古い記録とされる。ヨーロッパの航海者がこのずれに気づいて書き留めるのは、15世紀の末、大西洋を渡るコロンブスの船の上である。

こうした知識が海に出たことを示す最も古い記録が、朱彧の『萍洲可談』(1119年ごろ)にある。朱彧の父は広州の役人で、港に出入りする外国船や商人の様子を見聞きしていた。その中に、船の舵取りは地理をよく知っていて、夜は星を見、昼は太陽を見、空が暗く曇っているときは指南針を見る、という一節がある。晴れていれば、太陽と星で方角は分かる。羅針盤が変えたのは、曇りや霧で空が見えない日にも、船が進む向きを保てるようになったことだった。それまで船乗りは、空が閉ざされれば陸地の見える所にとどまるか、勘に頼るしかなかった。

コンパスを使った陸上航法訓練(米海軍)
コンパスを使った陸上航法訓練(米海軍)Wikimedia Commons U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Shauntae Hinkle-Lymas · Public domain

北宋から南宋にかけて、中国の海上交易は大きく伸びた。福建の泉州(泉州の海上交易)や広州からは、大型の外洋船が南シナ海を越えて東南アジア、さらにインド洋へと向かった。北方を遊牧国家に押さえられ、陸の交易路が細っていた宋にとって、海は富の源になっていた。12世紀から13世紀の記録には、船乗りが針を見て進路を定め、決まった方角の目盛りをたどって航路を記した様子が見える。のちの鄭和の南海遠征で使われた航海図にも、港から港への羅針盤の方角が書き込まれている。

羅針盤は西方にも現れる。1190年ごろ、イングランドの学者アレクサンダー・ネッカムは、船乗りが曇りの日に磁石でこすった針を使って進路を知ると書いた。13世紀のはじめにはフランスの詩人ギヨー・ド・プロヴァンが詩の中で磁針に触れ、13世紀前半のペルシア語やアラビア語の文献にも、魚の形をした鉄片を水に浮かべて方角を知る話が出てくる。中国の技術がイスラームの船乗りを経てヨーロッパへ伝わった、というのが広く語られる筋書きだが、直接それを示す証拠は乏しく、ヨーロッパで独立に発明された可能性も否定されていない。

陸上航法訓練(ウガンダ軍)
陸上航法訓練(ウガンダ軍)Wikimedia Commons Master Sgt. Jeremy Lock · Public domain

ヨーロッパでは、羅針盤は独自の進化を遂げた。1269年、フランスの学者ペトルス・ペレグリヌスは、磁石についての書簡で、針を軸の上に載せて回るようにした装置を描いている。やがて、方位を細かく刻んだ円い板(カード)を針に貼り付け、カードごと回る乾式の羅針盤が作られた。船首の向きを示す線とカードの目盛りを見比べれば、いまの針路がそのまま読める。さらに、二重の環で器を吊るして、船が揺れても器が水平を保つようにする工夫も加わった。南イタリアのアマルフィの人フラヴィオ・ジョイアが羅針盤を発明したという話は、後世に作られた伝説とされる。中国では、水に浮かべる方式が長く使われ続けた。

ただし、羅針盤だけで大洋を渡れるわけではない。進むべき方角を知るには、針路と距離が書き込まれた海図が要った。地中海で13世紀末から作られたポルトラーノ海図(ポルトラーノ海図)は、港と港を結ぶ方位線が網の目のように引かれた、羅針盤とともに使うための地図だった。船の上では、当直のあいだの針路と速さを記録し、それを積み重ねて現在位置を割り出す推測航法が行われた。羅針盤、海図、記録、計算がそろって、初めて陸の見えない海を渡る技術になった。15世紀末、コロンブスが大西洋を西へ進んだとき(コロンブスの到達)、頼りにしたのもこの組み合わせだった。

オリエンテーリング用のコンパス
オリエンテーリング用のコンパスWikimedia Commons Arpingstone · Public domain

磁気の羅針盤には、厄介な性質もつきまとった。磁石の指す北と真北のずれである偏角は、場所によって違い、年とともに変わっていく。針が水平ではなく下向きに傾く伏角もある。19世紀に鉄の船が現れると、船体そのものの磁気が針を狂わせるようになり、羅針盤の両脇に補正用の鉄の球を置くなどの工夫が必要になった。20世紀には、高速で回転するこまが地球の自転を感じ取って真北を指すジャイロコンパスが生まれ、さらに人工衛星による測位が普及した。それでも、電源が失われたときの備えとして、磁気の羅針盤はいまも多くの船に積まれている。

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