概要
磁石が南を指すことは中国で古くから知られ、占いの盤に使われた。1044年の『武経総要』に、鉄の魚を熱して冷まし磁化する方法がある。1088年、沈括が『夢渓筆談』に、糸で吊るす方法と、磁北が真北からずれること(偏角)を書いた。1117年の『萍洲可談』に、泉州の船乗りが「夜は星を見、昼は日を見、曇りの日は指南針を見る」とある。曇りでも進めるようになった。アラブとヨーロッパへ12世紀に伝わった。
場所
24.87°N 118.68°E · 中国・福建省
本文
磁鉄鉱(磁石)が鉄を引きつけることは、古代から知られていた。それが南北を指すことを、中国が先に使った。
**占いの道具として**。漢代の「司南」——磁鉄鉱を削って柄杓の形にし、滑らかな青銅の盤の上に置くと、柄が南を指す。文献にはあるが、実物は出土していない。用途は方位占い(風水)と、儀式の方角合わせ。
**人工の磁石**。1044年、北宋の兵書『武経総要』に「指南魚」の作り方がある。薄い鉄の魚を焼き、赤くなったところで尾を北に向けて水に入れて急冷する。地磁気の方向に磁区が揃う。これを水に浮かべる。
**沈括**。1088年頃の『夢渓筆談』。磁石で針を擦って磁化する四つの方法(水に浮かべる、爪の上に置く、茶碗の縁に置く、糸で吊るす)を比べ、糸で吊るすのが最も良いと書いた。
そして、決定的な一行。「常に少し東を指し、正南ではない」。
これは**磁気偏角**の、世界で最初の記録である。ヨーロッパでこれが記されるのは、400年後、コロンブスの航海日誌である。
**海に出る**。1117年頃、朱彧の『萍洲可談』。父が広州の役人だった頃の見聞。
「舟師は地理を識る。夜は星を観、昼は日を観る。晦冥なれば則ち指南針を観る」。
晴れていれば、太陽と星で足りる。曇りと霧の日に、それでも進める。これが変えたことだった。それまで、視界が悪ければ、船は止まるか、岸を離れられなかった。
福建の泉州と広州から、船が南シナ海とインド洋へ出た。
**西へ**。1190年頃、イギリスの修道士アレクサンダー・ネッカムが『器具について』で、船乗りが磁針を使うと書いた。ほぼ同時期にフランスのギヨー・ド・プロヴァンの詩、そしてアラビア語の文献(1232年、バイラク・アル=キバジャーキー)にも現れる。
伝播したのか、独立に発明されたのか、決着はついていない。中国からアラブの船乗りを経てヨーロッパへ、というのが通説だが、直接の証拠は薄い。
**乾式羅針盤**。ヨーロッパで、針を軸の上に載せ、方位の書かれた円板(カード)を針に貼り付ける形が生まれた(13世紀末〜14世紀、アマルフィのフラヴィオ・ジョイアの名が伝説的に挙げられるが実在は疑わしい)。カードごと回るので、船首方向の目盛りを直接読める。さらに、ジンバル(常平架)で吊るして、船の揺れから独立させた。
中国では、水に浮かべる湿式が長く続いた。
**組み合わせ**。羅針盤だけでは足りない。同時に必要だったのは、(1)**ポルトラーノ海図**(針路と距離が書き込まれた海図)、(2)**トラヴァース・ボード**(当直の間の針路と速度を、穴に釘を挿して記録する板)、(3)**推測航法**の計算。
これらが揃って、外洋を渡る技術になった。
なお、磁気には二つの厄介がある。**偏角**(磁北と真北のずれ。場所と年で変わる)と、**伏角**(針が水平でなく傾く)。鉄の船が現れると、船自体の磁気(自差)も加わり、羅針盤の周りに補正用の鉄球を置くようになった。
20世紀、ジャイロコンパス(磁気を使わず、回転する独楽が地球の自転を検出する)が現れ、さらに衛星測位が来た。それでも、電源が落ちたときのために、磁気の羅針盤は、いまも船に積まれている。