概要
フランス海軍の士官ジャック=イヴ・クストーは、魚のように自由に海を泳ぎたいと願っていた。ドイツに占領された1943年、彼は技師エミール・ガニャンとともに、燃料不足の自動車を調理用のガスで走らせるための弁を作り変え、吸うときだけ背中のボンベから空気が出る仕組みを作った。南フランスの海で試し、仲間は60メートルを超える深さまで潜った。船から管で空気を送ってもらう重い潜水服から、人は解き放たれた。クストーは水中の撮影も進め、1956年の映画『沈黙の世界』は、海の中の世界を多くの人に初めて見せた。
場所
43.12°N 5.93°E · フランス・ヴァール県
本文
人は大昔から、息を止めて海に潜り、貝や真珠や海綿を採ってきた。19世紀には、金属の兜をかぶり、船の上からポンプで空気を送ってもらう潜水服が使われるようになった。だが、重い靴と管に縛られた潜水夫は、海の底を歩くことはできても、魚のように自由に泳ぐことはできなかった。背中に空気のボンベを背負う方法も試されたが、空気を出しっぱなしにするため、すぐに尽きてしまった。
ジャック=イヴ・クストーは、フランス海軍の士官だった。若いころ自動車事故で腕を痛め、回復のために南フランスのトゥーロンの近くの海で泳ぐうち、水中めがねで見た海の中の世界に魅せられた。彼は、自分の力で自由に泳ぎ回れる潜水の道具を作りたいと考えていた。
1942年から43年にかけて、ドイツの占領下のフランスでは、ガソリンが不足し、自動車を調理用のガスで走らせる工夫が広がっていた。クストーは、パリの技師エミール・ガニャンが、そのためのガスの調整弁を作っていることを知った。二人は、この弁を作り変え、潜る人が息を吸うときだけ、そのときの水の圧力に見合った空気がボンベから出てくる仕組みを作った。吐いた息は水の中に捨てる。こうすれば、限られた空気を長く使える。
1943年、パリの近くの川で試したのち、クストーと仲間たちは、地中海で潜水を重ねた。仲間のフレデリック・デュマは、60メートルを超える深さまで潜った。二人は「アクアラング」の名で特許を取り、戦後、この道具は世界に広まった。軽いボンベと調整弁と足ひれだけで、誰でも海の中を泳ぎ回れるようになった。スキューバ・ダイビングの始まりである。
クストーは、水中の撮影の技術も磨き、調査船カリプソ号で世界の海を回った。若いルイ・マルとともに撮った映画『沈黙の世界』は、1956年のカンヌ国際映画祭で最高賞を受け、多くの人に、海の中の色鮮やかな世界を初めて見せた。のちにクストーは、テレビの番組で海の生き物と環境の大切さを訴え続け、海を汚すことに反対する運動の顔になった。