概要
1845年5月、イギリス海軍のジョン・フランクリンは、2隻の軍艦エレバス号とテラー号に129人を乗せ、大西洋から北極の島々を抜けて太平洋へ出る北西航路を探しに出た。3年分の缶詰を積み、蒸気機関まで備えた、当時最高の装備の探検隊だった。だが船は氷に閉じ込められ、二度と戻らなかった。十数年に及ぶ捜索で、イヌイットの証言と、氷の上に残された書き置きや遺骨が見つかり、フランクリンは1847年に死に、残った者は船を捨てて歩き出し、全員が倒れたことが分かった。2隻の沈没船は、2014年と2016年にようやく海底で見つかった。
場所
68.95°N -97.90°E · カナダ・ヌナブト準州
本文
大西洋から北アメリカ大陸の北をまわって太平洋に抜ける北西航路は、16世紀から、ヨーロッパの船乗りたちが探し続けた道だった。見つかれば、アジアへの近道になるはずだった。19世紀のはじめ、ナポレオン戦争を終えたイギリス海軍は、余った船と士官を北極の探検に向け、航路の地図の空白を少しずつ埋めていった。
ジョン・フランクリンは、北極の陸地の探検で名を上げた海軍の士官だった。1845年5月、59歳のフランクリンは、エレバス号とテラー号の2隻に129人を乗せてイギリスを出た。船体は氷に備えて鉄で補強され、蒸気機関とスクリューも積み、3年分の食料として、当時まだ新しかった缶詰を大量に積んでいた。7月、2隻はグリーンランドの沖で捕鯨船に目撃されたのを最後に、消息を絶った。
1848年から、イギリス海軍と、フランクリンの妻ジェーンが私財を投じた捜索隊が、次々に北極へ向かった。十年あまりの間に数十の捜索隊が出て、その過程で北極の島々の地図ができあがっていった。1854年、ジョン・レイは、イヌイットの人々から、白人の一団が南へ歩きながら次々に倒れていった話を聞き、遺品を買い取った。レイは、最後の生存者たちが仲間の遺体を食べていたらしいとも報告し、イギリスの世論を憤らせた。
1859年、マクリントックの捜索隊が、キングウィリアム島で、石塚に残された書き置きを見つけた。それによれば、船は1846年の秋から氷に閉じ込められ、フランクリンは1847年6月に死んだ。1848年4月、生き残った105人は船を捨て、南の本土をめざして歩き出していた。全員が、寒さと飢え、壊血病などで力尽きた。のちの遺骨の調査では、缶詰のはんだから溶け出した鉛を多く取り込んでいた可能性も指摘されている。
イヌイットの人々は、沈んだ船の話を語り伝えていた。その証言を手がかりに、カナダの調査団は2014年にエレバス号を、2016年にテラー号を、キングウィリアム島の近くの海底で見つけた。北西航路を船で初めて通り抜けたのは、半世紀あまり後のアムンセンである。