『オリエンタリズム』で読む歴史

概要
西洋が「東洋」について語ってきたことは、東洋についての知識ではなく、西洋についての物語だった、という本。
この物語について
西洋の人びとが「東洋」について語ってきたことは、東洋についての知識だったのか。それとも、西洋が自分自身について語る物語だったのか。『オリエンタリズム』(エドワード・W・サイード、1978年、日本語版1986年)は、学問と支配がどのように結びついてきたかを問うた本である。

著者のエドワード・サイードは、1935年にエルサレムで、パレスチナのキリスト教徒の家に生まれた。カイロで育ち、10代でアメリカの寄宿学校に送られ、プリンストンとハーバードで学んだあと、ニューヨークのコロンビア大学で英文学と比較文学を長く教えた。文学の研究者であると同時に、パレスチナの人びとの立場をアメリカで訴える論客でもあった。
本の言うオリエンタリズムとは、東洋の文物を好む趣味のことではない。東洋を語り、分類し、描き出し、代わりに説明する、一つの制度化された話し方のことである。学者の研究、旅行記、小説、絵画、植民地の役人の報告書、新聞の記事。それらは互いに引用し合いながら、東洋とはこういうものだ、という一つの像を作り上げていった。著者は、哲学者フーコーの「言説」の考え方を借りて、この語り方そのものが一つの力だったと論じる。

その像の中で、東洋はいつも同じ性質を与えられる。受け身で、官能的で、非合理で、専制的で、時間が止まったように変わらない。そして何より、自分では自分を語れない。だから西洋が代わりに語ってやらねばならない。本は扉に、マルクスの「彼らは自分で自分を代表できない、代表されなければならない」という言葉を掲げている。東洋を知るという営みが、そのまま東洋を治める理屈になっていく、というのが本の中心の主張である。
本が近代のオリエンタリズムの起点に置くのは、1798年のナポレオンのエジプト遠征である。ナポレオン・ボナパルトは軍隊と一緒に、百数十人の学者や技術者をエジプトに連れていった。彼らは遺跡を測り、動植物を集め、人びとの暮らしを写し取り、その成果は、のちに大判の図版を含む『エジプト誌』として刊行された。本はこの遠征を、知ることと取ることが同じ一つの作業になった瞬間として描く。

遠征のさなか、ナイル河口の町で、三種類の文字が刻まれた石が見つかった。のちにロゼッタ・ストーンと呼ばれる石は、フランス軍が敗れたあとイギリスに引き渡され、ロンドンの博物館に収められた。古代エジプトの文字を読み解いたのは、フランスのシャンポリオンである。1822年のロゼッタ・ストーンの解読は学問の大きな勝利だったが、本の見方では、それは同時に、エジプトの過去を読めるようにすることと、それを所有することが重なった出来事でもあった。
もちろん、西洋と東洋の出会いは、近代に始まったわけではない。8世紀のトゥール・ポワティエ間の戦いや、11世紀の終わりの十字軍の呼びかけ以来、ヨーロッパにとってイスラームは、すぐ隣にいる強大な他者であり、恐れの対象だった。本は、中世から続くこうしたイスラームへの恐れと敵意が、近代の学問の装いをまとって受け継がれたと見る。

19世紀になると、オリエンタリズムは大学の学問として形を整える。本は、パリでアラビア語を教え、ヨーロッパ中の東洋学者を育てたシルヴェストル・ド・サシーや、セム系の言葉と人種を論じたエルネスト・ルナン、カイロに住んでエジプトの人びとの風俗を事細かに記録したイギリスのエドワード・レインらを、この学問の礎を築いた人びととして取り上げる。本は、フランスやイギリスの言語学者、歴史家、宗教学者たちが、セム系の言葉や人種についての理論を作り上げていった過程をたどる。旅行記と小説も、同じ像を広めた。フランスの作家フローベールはエジプトを旅し、ある踊り子と出会ったことを書き残した。だが彼女自身が何を考えていたのかは、どこにも残っていない。語るのはいつも西洋の男で、東洋の女は語られる側にいる。本はこの関係を、オリエンタリズム全体の縮図として描いた。
19世紀の後半、西洋は東洋を通り抜ける道を自分で作って持つようになる。1869年のスエズ運河の開通は、フランス人の技術者が計画し、エジプトの民の労働で掘られ、やがてイギリスがその支配権を握った。インドでは、インド大反乱のあと、イギリスがインドを直接治めるようになり、人びとをカーストや宗教で分類し、記述する仕事が統治の中心になった。中国に対しては、アヘン戦争が門を開かせた。19世紀の末にはベルリン会議とアフリカ分割でアフリカが分けられる。本は、こうした支配の広がりと、東洋を知る学問の広がりが、同じ時代に、同じ人びとによって進められていたことを強調する。1910年、イギリスの元首相バルフォアは議会で、エジプトを治めることの正しさを、我々はエジプトの文明を誰よりもよく知っている、という理由で弁じた。本の冒頭近くに置かれるこの演説では、知っていることが、そのまま治める資格になっている。イギリスのエジプト支配を担ったクローマー卿のような統治者は、同時に、東洋人とはこういうものだ、と自信をもって語る人びとでもあった。

20世紀になると、その中心はイギリスとフランスからアメリカへ移った、と本は言う。中東の専門家、政策の立案者、新聞やテレビの報道は、相変わらず、アラブ人やイスラームを一つのまとまった、変わらない性質を持つものとして描いている。本の最後の部分は、こうした現代のアメリカの中東研究と報道に向けられている。
この本の影響は、東洋学の外にまで大きく広がった。他者を描くことがどのように力と結びつくかを問う見方は、植民地支配の経験から文学や歴史を読み直す研究の出発点の一つになり、人類学、歴史学、美術史などで広く使われるようになった。
反論もある。ヨーロッパの東洋学を一色に塗りすぎている、という批判がまず出た。純粋な学問的関心から東洋の言葉と文献を研究し、その文化に深い敬意を払った人も多かった。中東の歴史家バーナード・ルイスは、本を厳しく批判し、二人のあいだには雑誌で激しい論争が交わされた。また、本が扱ったのはイギリスとフランスの東洋学が中心で、植民地をほとんど持たなかったのに東洋学の最先端にいたドイツを十分に扱っていない、という指摘もある。シリア出身の思想家サーディク・アル=アズムは、西洋を一つの本質を持つものとして描く本の書き方そのものが、裏返しのオリエンタリズムになっていると論じた。
一方、東洋の側にも、世界を自分の目で記述した人びとがいた。14世紀のモロッコに生まれたイブン・バットゥータは、イスラーム世界から中国まで旅をして、見聞を詳しく書き残した。語る側と語られる側は、歴史のなかで、いつも決まっていたわけではない。

サイードは晩年、白血病と闘いながら、パレスチナとイスラエルの若い音楽家を集めた管弦楽団を、イスラエル国籍の指揮者と一緒に作るなど、対立を越える試みを続けた。2003年、ニューヨークで亡くなった。
この物語は、本が使ったできごとを、このデータベースの側から並べ直したものである。本文は写していない。この年表が誰の書いた史料に頼っているかを問う物語物語「誰が書き残したか」と、この本は、同じことを別の角度から言っている。遠い土地の歴史を、誰が書き、誰が書かれなかったのか。その問いは、ここに並べたどのできごとの項目にも、静かに向けられている。
動画(1)
この物語が起きた場所
筋(12)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- トゥール・ポワティエ間の戦いできごとAD732年イスラームという「脅威」の記憶フランク軍がイスラム軍の北上を止めた。西ヨーロッパがイスラム圏に入らなかった分岐点とされる。トゥール(位置は特定されていない)

- 十字軍の呼びかけできごとAD1095年教皇が聖地の回復を呼びかけた。以後200年、ヨーロッパと西アジアが繰り返しぶつかる。クレルモン

- イブン・バットゥータ人物AD1304年2月24日 – AD1369年頃東洋の側にも、世界を記述した人はいた21歳で巡礼に出て、30年かけて12万kmを歩いた。インド・中国・マリまで行き、帰ってから口述で『大旅行記』を残す。マルコ・ポーロの三倍の距離になる。
- ナポレオン・ボナパルト人物AD1769年8月15日 – AD1821年5月5日革命の混乱から皇帝に上り、ヨーロッパの大半を支配した。敗れた後も法典と国民国家の考えが残る。
- シャンポリオン人物AD1790年12月23日 – AD1832年3月4日11歳でエジプトの文字を読むと決め、31歳で読んだ。聖刻文字が絵ではなく音も表すと見抜き、3000年ぶんの記録が読めるようになる。
- ナポレオンのエジプト遠征できごと1798年第1章。本が近代オリエンタリズムの起点に置く軍と一緒に160人あまりの学者が上陸した。軍事的には失敗したが、測り、写し、分類した成果は『エジプト誌』全24巻になる。東洋を研究することと支配することが、ここで結びついた。カイロ
- ロゼッタ・ストーンの解読できごとAD1822年9月読めるようにすることと、所有することが重なる同じ勅令が三つの文字で刻まれた石から、シャンポリオンが聖刻文字を解いた。エジプト3000年の記録が、初めて読めるようになる。パリ
- アヘン戦争できごと1840年清が英国に敗れ、香港を割いた。この敗北の報が、日本に開国の危機感をもたらす。南京

- インド大反乱できごと1857年統治のために、相手を分類し記述する鎮圧の後、ムガル帝国は名実ともに消え、インドは英国の直接統治下に入る。デリー

- スエズ運河の開通できごとAD1869年11月17日東洋を通り抜ける道を、西洋が作って持つヨーロッパとアジアの距離が一気に縮まった。エジプトは建設の負債で英国の支配下に入る。スエズ運河
- ベルリン会議とアフリカ分割できごと1884年11月アフリカの代表を一人も呼ばずに、14か国が大陸の分け方を決めた。実効支配していれば領有を認めるという規則が、その後20年の争奪を加速させる。ベルリン

- エドワード・サイード人物AD1935年11月1日 – AD2003年9月25日著者エルサレム生まれのパレスチナ人で、ニューヨークで英文学を教えた。西洋が「東洋」を語る型そのものを批判し、学問と支配のつながりを問うた。
重なっているストーリー
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